ボーイ・ジョージのオフィシャル・サイト『100% Boy』にて、カルチャー・クラブの再結成が、11月15日、正式に発表されました。オーストラリアのシドニーで毎年大晦日に開催されているニュー・イヤーズ・イヴのイヴェントに、ジャミロクワイやペット・ショップ・ボーイズと共に、ライヴ出演をするそうです。
※CULTURE CLUB IS BACK it's official! (www.boygeorgeuk.com, 2011.11.15)
カルチャー・クラブの再結成は、今回が3度目となります。前回の2006年の再結成では、ボーイ・ジョージとギタリストのロイ・ヘイが不参加でしたが、今回はオリジナル・メンバーの4人全員が顔をそろえています。
このニュー・イヤーズ・イヴでは、新曲も披露される予定だそうです。4人は現在スタジオで新曲を製作中で、来年には新作アルバムのリリースもあるようです。
※カルチャー・クラブ再結成を報じる、最新のインタヴュー映像です。
http://au.tv.yahoo.com/sunrise/video/-/watch/27254839
さて、前回の2006年の再結成時に、ボーイ・ジョージに代わる新ヴォーカリストとして、オーディションによって選ばれたサム・ブッチャーのその後が、私は気になって仕方ありません。
当時の再結成では、マネージャーのトニー・ゴードンが、「人々が聴きたいと思っているのはカルチャー・クラブの音楽であって、ボーイ・ジョージではない」という声明を発表して、「ボーイ・ジョージのそっくりさんではない歌手を求む」という新ヴォーカリスト募集の広告を出したのですが、最終的に選ばれたのは、やはりボーイ・ジョージと同様にフェミニンなイメージの、サム・ブッチャーでした。

この新生カルチャー・クラブは、2006年7月25日に、ロンドンの Too2Much というクラブで、プレス向けにお披露目ギグを敢行。そして同年12月からは全英ツアーを行なう予定とされていましたが、トニー・ゴードンからの正式な中止の発表もないまま、ツアーの計画は立ち消えとなっていました。つまり、サム・ブッチャーがカルチャー・クラブのヴォーカリストとしてライヴを行なったのは、実質上、お披露目ギグのみ。しかも、そのお披露目ギグでのサムのパフォーマンスを、ボーイ・ジョージは酷評しました。
※そのお披露目ギグのライヴ映像が、こちら。
http://youtu.be/ziWg8ib099M
新ヴォーカリストとしての活躍の場をろくに与えられないまま、表舞台から消えてしまったサム・ブッチャー。もともとサムは、「自分はボーイ・ジョージと交替したのではなく、ジョージが再結成に加わらないときにだけ役に就く」と発言していたので、ボーイ・ジョージが参加する今回の再結成にサムの姿がないのは、驚くに値することではないのかもしれませんが、そうなると、バンドの顔であったボーイ・ジョージを抜きにしてまでほとんど無理やりのように行なわれたあの2度目の再結成は、いったいなんだったのでしょうか。
来年にリリースされるという、オリジナル・メンバー4人による新作も非常に楽しみなのですが、サム・ブッチャーにも何らかの形で再びスポットが当たることを、私は密かに期待していたりします。
※CULTURE CLUB IS BACK it's official! (www.boygeorgeuk.com, 2011.11.15)
カルチャー・クラブの再結成は、今回が3度目となります。前回の2006年の再結成では、ボーイ・ジョージとギタリストのロイ・ヘイが不参加でしたが、今回はオリジナル・メンバーの4人全員が顔をそろえています。
このニュー・イヤーズ・イヴでは、新曲も披露される予定だそうです。4人は現在スタジオで新曲を製作中で、来年には新作アルバムのリリースもあるようです。
※カルチャー・クラブ再結成を報じる、最新のインタヴュー映像です。
http://au.tv.yahoo.com/sunrise/video/-/watch/27254839
さて、前回の2006年の再結成時に、ボーイ・ジョージに代わる新ヴォーカリストとして、オーディションによって選ばれたサム・ブッチャーのその後が、私は気になって仕方ありません。
当時の再結成では、マネージャーのトニー・ゴードンが、「人々が聴きたいと思っているのはカルチャー・クラブの音楽であって、ボーイ・ジョージではない」という声明を発表して、「ボーイ・ジョージのそっくりさんではない歌手を求む」という新ヴォーカリスト募集の広告を出したのですが、最終的に選ばれたのは、やはりボーイ・ジョージと同様にフェミニンなイメージの、サム・ブッチャーでした。

この新生カルチャー・クラブは、2006年7月25日に、ロンドンの Too2Much というクラブで、プレス向けにお披露目ギグを敢行。そして同年12月からは全英ツアーを行なう予定とされていましたが、トニー・ゴードンからの正式な中止の発表もないまま、ツアーの計画は立ち消えとなっていました。つまり、サム・ブッチャーがカルチャー・クラブのヴォーカリストとしてライヴを行なったのは、実質上、お披露目ギグのみ。しかも、そのお披露目ギグでのサムのパフォーマンスを、ボーイ・ジョージは酷評しました。
※そのお披露目ギグのライヴ映像が、こちら。
http://youtu.be/ziWg8ib099M
新ヴォーカリストとしての活躍の場をろくに与えられないまま、表舞台から消えてしまったサム・ブッチャー。もともとサムは、「自分はボーイ・ジョージと交替したのではなく、ジョージが再結成に加わらないときにだけ役に就く」と発言していたので、ボーイ・ジョージが参加する今回の再結成にサムの姿がないのは、驚くに値することではないのかもしれませんが、そうなると、バンドの顔であったボーイ・ジョージを抜きにしてまでほとんど無理やりのように行なわれたあの2度目の再結成は、いったいなんだったのでしょうか。
来年にリリースされるという、オリジナル・メンバー4人による新作も非常に楽しみなのですが、サム・ブッチャーにも何らかの形で再びスポットが当たることを、私は密かに期待していたりします。
2011.11.20 Top↑
秋分の日の9月23日は、銀座6丁目の Miiya Cafe にて行なわれた、『たけださとしの歌のフリーマーケット実写版「とんちピクルス×鹿嶋敏行 秋分の日の五分五分スペシャル!」』に、お出かけしてまいりました。
全体は3部構成。まず第1部は、とんちピクルスさんのソロ。第2部は、サポートに竹内大輔さんを迎えての鹿嶋さんのソロ。そして第3部が、とんちさんと鹿嶋さん、さらに竹内さんも加わってのセッション・タイム。


とんちピクルスさんと鹿嶋さんの、おふたりの個性の好対照ぶりは、ご本人たちも今回のライヴのMCで「白と黒」「水と油」などといった自虐ジョーク的表現でネタにされていたんですが、藤嶋個人の感触としては、とんちピクルスさんと鹿嶋さんのあいだには、かねてから同じ匂いを感じていたのですよね。ご本人たちにもそのことは以前からお伝えしていたのですが、今回のライヴを企画なさったたけださとしさんも、たぶん藤嶋と似たようなことを感じていらっしゃったと思うんです。
ただ、その同じ匂いというのが何なのか、今まではうまく言語化できていませんでした。でも、今回のツーマン・ライヴを拝見したことで、ようやく言葉になってくれそうです。
とはいっても、厳密な音楽理論に基づいた話などではなくて、限りなく文芸解釈に近い、それでいていささかロジカルに過ぎるものかもしれないのですが。
☆
藤嶋によるとんちピクルス論は、既に Queer Music Experience.本編に記しています。その文章は本来 Q.M.E.のために書いたものではないので、文体がガチガチに堅いのですが、この中で述べていることをものすごく簡単にまとめてしまうと、とんちピクルスさんの世界観というのは、将来が保証されている安定した人生からはみ出してしまっている(あるいははみ出さざるを得ない)生き方への、共感とか感情移入によって成り立っている、ということです。
そして、ここからが今回の本題なんですが、そうした種類の共感や感情移入は、おそらく鹿嶋さんにも通ずる要素だと思うんですね。
全体は3部構成。まず第1部は、とんちピクルスさんのソロ。第2部は、サポートに竹内大輔さんを迎えての鹿嶋さんのソロ。そして第3部が、とんちさんと鹿嶋さん、さらに竹内さんも加わってのセッション・タイム。


とんちピクルスさんと鹿嶋さんの、おふたりの個性の好対照ぶりは、ご本人たちも今回のライヴのMCで「白と黒」「水と油」などといった自虐ジョーク的表現でネタにされていたんですが、藤嶋個人の感触としては、とんちピクルスさんと鹿嶋さんのあいだには、かねてから同じ匂いを感じていたのですよね。ご本人たちにもそのことは以前からお伝えしていたのですが、今回のライヴを企画なさったたけださとしさんも、たぶん藤嶋と似たようなことを感じていらっしゃったと思うんです。
ただ、その同じ匂いというのが何なのか、今まではうまく言語化できていませんでした。でも、今回のツーマン・ライヴを拝見したことで、ようやく言葉になってくれそうです。
とはいっても、厳密な音楽理論に基づいた話などではなくて、限りなく文芸解釈に近い、それでいていささかロジカルに過ぎるものかもしれないのですが。
☆
藤嶋によるとんちピクルス論は、既に Queer Music Experience.本編に記しています。その文章は本来 Q.M.E.のために書いたものではないので、文体がガチガチに堅いのですが、この中で述べていることをものすごく簡単にまとめてしまうと、とんちピクルスさんの世界観というのは、将来が保証されている安定した人生からはみ出してしまっている(あるいははみ出さざるを得ない)生き方への、共感とか感情移入によって成り立っている、ということです。
そして、ここからが今回の本題なんですが、そうした種類の共感や感情移入は、おそらく鹿嶋さんにも通ずる要素だと思うんですね。
2011.10.11 Top↑
久しぶりの更新です。何ヶ月も間が空いてしまい、申し訳ありませんでした。
そして、これまた久しぶりに、今回のエントリの内容は、海外からの話題です。
☆
トランスジェンダーであることを公にしている男性シンガー/ミュージシャンの数は、世界的に見ても、それほど多くはありません。
ここ日本では、オープンリーの FtM (Female to Male)の4人組のアイドル・グループ、Girls to Men が、2010年9月23日にライヴ・デビュー。そして12月1日にはファースト・シングル「声を聴いて〜エコーズ〜」を全国リリースしましたが、残念ながら2011年3月31日付をもって、グループとしての活動は休止となってしまいました。
※Girls to Men オフィシャルサイト
こうした寂しい状況の中、UK発の人気オーディション番組『The X Factor』のオーストラリア版に、トランスジェンダーの男性が出場したというニュースが飛び込んできました。The Advocate.com が9月2日付の記事で報じています。
※Trans Singer Rocks Oz X Factor (The Advocate.com, 2011.09.02)
男性の名は、ペイジ・エリオット・フェニックスさん。35歳。

(画像は The Advocate.com より)
フェニックスさんは、俗に言う「パス度」の非常に高いかたです。ゆえに、自身がトランスジェンダーであるということを公にせずにオーディションに参加して、そのまま勝ち抜いていくことだって、充分にできたと思います。
しかし、ありのままの自分を知ってもらいたいと願うフェニックスさんは、自身がトランスジェンダーの男性であるという事実を、番組の中で公にしました。
その勇気を、私は大いに讃えたいと思います。
さて、オーストラリア版『The X Factor』の現在の審査員は、オープンリー・ゲイの男性アイドルの嚆矢であった、故・スティーブン・ゲイトリーと共に、ボーイゾーンのリード・ヴォーカルを務めてきたローナン・キーティング、それから元スパイス・ガールズのメル・B、そして歌手兼女優のナタリー・バッシングスウェイトの3人。
オーディションに臨むフェニックスさんに、ローナン・キーティングは「なぜ、X Factor に出ようと思ったのか?」「なぜ、今このタイミングで出ようと思ったのか?」という問いを投げかけます。その答えの中で、フェニックスさんは自身が FtM のトランスジェンダーであることを告白しました。
オーディエンスからは大きな拍手が起こり、ローナン・キーティングもフェニックスさんの勇気と誠実さを讃えました。
そしてフェニックスさんが歌ったのは、オーストラリアが生んだスーパー・バンド、インエクセスの「ネヴァー・ティアー・アス・アパート (Never Tear Us Apart)」。世界中で大ヒットした1987年のアルバム『キック (Kick)』の収録曲で、翌1988年にアルバムからの4枚目のシングルとしてカットされ、全豪で最高14位、全米では最高7位を記録しています。
このフェニックスさんのパフォーマンスを、3人の審査員は絶賛。フェニックスさんは第2ステージの「ブートキャンプ」へと駒を進めることになりました。
控え室に戻ってきたフェニックスさんは、サン・フランシスコに暮らしているガールフレンドに、Skype で合格を報告。その模様も、番組ではオン・エアされました。
それでは、実際の番組の映像をご覧ください。
"Never Tear Us Apart"
(from TV "The X Factor", 2011)
http://youtu.be/cyZIagtyiUo
はたしてフェニックスさんは、どこまで勝ち残るのか。オーディションの行方は誰にもわかりませんが、このオーストラリア版『The X Factor』第3シーズンへの出演を通じて、フェニックスさんがメジャー・デビューへの切符を手にすることができたとしたら、それは実に画期的な出来事になると思います。
その日が来ることを、私は大いに期待しています!
そして、これまた久しぶりに、今回のエントリの内容は、海外からの話題です。
トランスジェンダーであることを公にしている男性シンガー/ミュージシャンの数は、世界的に見ても、それほど多くはありません。
ここ日本では、オープンリーの FtM (Female to Male)の4人組のアイドル・グループ、Girls to Men が、2010年9月23日にライヴ・デビュー。そして12月1日にはファースト・シングル「声を聴いて〜エコーズ〜」を全国リリースしましたが、残念ながら2011年3月31日付をもって、グループとしての活動は休止となってしまいました。
※Girls to Men オフィシャルサイト
こうした寂しい状況の中、UK発の人気オーディション番組『The X Factor』のオーストラリア版に、トランスジェンダーの男性が出場したというニュースが飛び込んできました。The Advocate.com が9月2日付の記事で報じています。
※Trans Singer Rocks Oz X Factor (The Advocate.com, 2011.09.02)
男性の名は、ペイジ・エリオット・フェニックスさん。35歳。

(画像は The Advocate.com より)
フェニックスさんは、俗に言う「パス度」の非常に高いかたです。ゆえに、自身がトランスジェンダーであるということを公にせずにオーディションに参加して、そのまま勝ち抜いていくことだって、充分にできたと思います。
しかし、ありのままの自分を知ってもらいたいと願うフェニックスさんは、自身がトランスジェンダーの男性であるという事実を、番組の中で公にしました。
その勇気を、私は大いに讃えたいと思います。
さて、オーストラリア版『The X Factor』の現在の審査員は、オープンリー・ゲイの男性アイドルの嚆矢であった、故・スティーブン・ゲイトリーと共に、ボーイゾーンのリード・ヴォーカルを務めてきたローナン・キーティング、それから元スパイス・ガールズのメル・B、そして歌手兼女優のナタリー・バッシングスウェイトの3人。
オーディションに臨むフェニックスさんに、ローナン・キーティングは「なぜ、X Factor に出ようと思ったのか?」「なぜ、今このタイミングで出ようと思ったのか?」という問いを投げかけます。その答えの中で、フェニックスさんは自身が FtM のトランスジェンダーであることを告白しました。
オーディエンスからは大きな拍手が起こり、ローナン・キーティングもフェニックスさんの勇気と誠実さを讃えました。
そしてフェニックスさんが歌ったのは、オーストラリアが生んだスーパー・バンド、インエクセスの「ネヴァー・ティアー・アス・アパート (Never Tear Us Apart)」。世界中で大ヒットした1987年のアルバム『キック (Kick)』の収録曲で、翌1988年にアルバムからの4枚目のシングルとしてカットされ、全豪で最高14位、全米では最高7位を記録しています。
このフェニックスさんのパフォーマンスを、3人の審査員は絶賛。フェニックスさんは第2ステージの「ブートキャンプ」へと駒を進めることになりました。
控え室に戻ってきたフェニックスさんは、サン・フランシスコに暮らしているガールフレンドに、Skype で合格を報告。その模様も、番組ではオン・エアされました。
それでは、実際の番組の映像をご覧ください。
(from TV "The X Factor", 2011)
http://youtu.be/cyZIagtyiUo
はたしてフェニックスさんは、どこまで勝ち残るのか。オーディションの行方は誰にもわかりませんが、このオーストラリア版『The X Factor』第3シーズンへの出演を通じて、フェニックスさんがメジャー・デビューへの切符を手にすることができたとしたら、それは実に画期的な出来事になると思います。
その日が来ることを、私は大いに期待しています!
2011.09.03 Top↑
4月17日には、二子玉川にある美味しい中国茶と食料雑貨のお店、Lasah にて、この会場では二度めとなる、鹿嶋敏行(かじま・としゆき)さんのワンマン・ライヴが行なわれました。サポートは前回と同じく、メジャー・シーンでも活躍なさっている、ギタリストの久保田浩之さんです。
前回の Lasah でのライヴは、おふたりにとっては5年ぶりの共演でした。今回はそれほど長くは間が開いていないこともあり、前回以上におふたりのミュージシャンとしての呼吸はピッタリだったと思います。
今回撮影したライヴの写真をパソコンでチェックしているときに気づいたことなのですが、前回の Lasah でのワンマンを撮影したときには、鹿嶋さんのお姿と久保田さんのお姿を別々に撮影したもののほうが、圧倒的に数が多かったんですね。ところが今回は、鹿嶋さんと久保田さんのおふたりの姿を1つのフレームに収めている写真のほうが、数が多かったんです。
これというのは、鹿嶋さんと久保田さんが前回以上にひとつのチームとして緊密に結びついていらっしゃる雰囲気を私は無意識のうちに感じ取っていたから、おふたりが1つのフレームに収まっている構図を、より多く選択していたのだな、と思いました。

そして今回の Lasah ライヴも、前回と同様、実に多彩なジャンルの曲が取り上げられていましたが、それについて私はこのブログの中で次のように記しました。
前回の Lasah でのライヴは、おふたりにとっては5年ぶりの共演でした。今回はそれほど長くは間が開いていないこともあり、前回以上におふたりのミュージシャンとしての呼吸はピッタリだったと思います。
今回撮影したライヴの写真をパソコンでチェックしているときに気づいたことなのですが、前回の Lasah でのワンマンを撮影したときには、鹿嶋さんのお姿と久保田さんのお姿を別々に撮影したもののほうが、圧倒的に数が多かったんですね。ところが今回は、鹿嶋さんと久保田さんのおふたりの姿を1つのフレームに収めている写真のほうが、数が多かったんです。
これというのは、鹿嶋さんと久保田さんが前回以上にひとつのチームとして緊密に結びついていらっしゃる雰囲気を私は無意識のうちに感じ取っていたから、おふたりが1つのフレームに収まっている構図を、より多く選択していたのだな、と思いました。

そして今回の Lasah ライヴも、前回と同様、実に多彩なジャンルの曲が取り上げられていましたが、それについて私はこのブログの中で次のように記しました。
2011.05.23 Top↑
3月11日に発生した東日本大震災以降、メジャーかインディーかには関わりなく、大勢のミュージシャンのみなさんが、被災者のみなさんを支えるために、チャリティー・ライヴを開催なさっています。
そして4月16日には、ゲイ・ミュージシャンの sola さんが、新宿二丁目のコミュニティ・センター akta を会場に、チャリティー・ライヴ“pray and sing for 3.11 「僕らが奏でる祈りのうた」”を開催なさいました。

このライヴ・イヴェントは、「大震災が起きました! 大変だ! じゃあチャリティー・ライヴを開こう!」と瞬間的に開催が決められたものではありません。sola さんは、このライヴの開催を決意なさるまでに、さまざまな問いかけをご自分に投げかけていらっしゃいます。
たとえば、被災地ではない東京で、被災者ではないオーディエンスのみなさんを前に歌うことが、はたして被災者のみなさんの役に立つのだろうか、とか。
あるいは、今もこうして無事に生活を送れている自分自身のことを、被災者のみなさんに対して申し訳ないと思う、その気持ちに、ただ自分は酔い痴れているだけなのではないだろうか、とか。
こうした心の葛藤の数々が、sola さんのブログでは綴られています。
その3月30日付のエントリにおいて、今回のライヴ開催の正式な表明が行なわれたのですが、そこで sola さんは次のように記されています。
そして開催に至った、今回の「僕らが奏でる祈りのうた」。
当日、会場には被災者支援のための募金箱が設置されました。ここでオーディエンスのみなさんから寄せられた義援金は、日本赤十字社ではなく、東日本大地震「Think the Earth基金」に寄付されました。
今回のライヴの開催の詳細が告知された、sola さんのブログの4月10日のエントリでは、Think the Earth 基金への寄付を決めたことについて、次のように記されています。
義援金の給付の遅れは深刻で、「まだまだ時間を要しそうな気配」と sola さんが記した、その20日後の YOMIURI ONLINE の記事でも、依然として「1割未満」と報じられていました。一刻も早い状況の改善を願います。
※義援金、被災者に届かない…給付は1割未満(YOMIURI ONLINE, 2011.04.30)
☆
さて、今回のライヴの内容ですが、節電に配慮して、マイクもアンプも無しの、完全生音のスタイルで行なわれました。お客さまのかけているテーブルの上には、これもまた節電に配慮して、akta のジャンジさんが、たくさんのキャンドルを灯してくださったのですが、キャンドルの柔らかい灯り越しに拝見するライヴは、まるでジョン・キャメロン・ミッチェル監督の『ショートバス』の中でジャスティン・ボンドが「In The End」を歌うシーンのようで(もちろん、この日の東京は停電していたわけではないので、あそこまで暗くはなかったし、メイク・ラヴをしているお客さんもいらっしゃいませんでしたが:笑)、とても温かな雰囲気のライヴ・イヴェントとなりました。
そして4月16日には、ゲイ・ミュージシャンの sola さんが、新宿二丁目のコミュニティ・センター akta を会場に、チャリティー・ライヴ“pray and sing for 3.11 「僕らが奏でる祈りのうた」”を開催なさいました。

このライヴ・イヴェントは、「大震災が起きました! 大変だ! じゃあチャリティー・ライヴを開こう!」と瞬間的に開催が決められたものではありません。sola さんは、このライヴの開催を決意なさるまでに、さまざまな問いかけをご自分に投げかけていらっしゃいます。
たとえば、被災地ではない東京で、被災者ではないオーディエンスのみなさんを前に歌うことが、はたして被災者のみなさんの役に立つのだろうか、とか。
あるいは、今もこうして無事に生活を送れている自分自身のことを、被災者のみなさんに対して申し訳ないと思う、その気持ちに、ただ自分は酔い痴れているだけなのではないだろうか、とか。
こうした心の葛藤の数々が、sola さんのブログでは綴られています。
その3月30日付のエントリにおいて、今回のライヴ開催の正式な表明が行なわれたのですが、そこで sola さんは次のように記されています。
「(ライヴ開催について)否定的な意見も戴いたし、日本中に蔓延する自粛の風潮に何度も挫けかけたけど、やっぱり、うたをうたおうと思っています。
被災地の現場はそれどころではない、とお叱りを戴きそうですが、昨日のサッカーのカズのゴールを飛び上がって喜んでる被災地の子供もいたよ。勿論、たかが僕ごときが、被災地でもない東京の片隅でじたばたしたところで、被災地に住む誰かの足しになる筈もないし、自己満足でしかないのかもしれない、それは十分に理解しているからこそ、この二週間余り躊躇を続けていました。
でも、地震当日、被災地に対するあり余るほどの善意と、帰宅難民になりかけた人がいっとき縋れる場所を伝え続けていたTwitterのTLに、意図的か否かはさておき、誰かを傷つけかねない刃がちらつき始めた頃から、今、安らげる場所を求めているのは被災地の人だけじゃないのかもしれない、ということをぼんやりと思い始めたのです。取り急ぎ目立った不自由もなく、穏やかに暮らせている筈の他ならぬ自分自身が、今ここで、全く安らげていないことに気付いてしまったのです。(中略)
非力にも程がある自分だもんで、ひとりで届けられるお金も物資もありませんが、小さな声もたくさん重なればユニゾンにもハーモニーにもなるんじゃないかな、ってね。
もろもろ、調整に向けて動き始めました。
もしも実現しましたら、何らかの形でお力添え頂ければ嬉しい限りです。」
そして開催に至った、今回の「僕らが奏でる祈りのうた」。
当日、会場には被災者支援のための募金箱が設置されました。ここでオーディエンスのみなさんから寄せられた義援金は、日本赤十字社ではなく、東日本大地震「Think the Earth基金」に寄付されました。
今回のライヴの開催の詳細が告知された、sola さんのブログの4月10日のエントリでは、Think the Earth 基金への寄付を決めたことについて、次のように記されています。
「いま行なわれている募金の大半が日本赤十字社へのもので、自分も実際に募金を行なわせていただきましたが、被災地の人々に直接行き渡るまでにはまだまだ時間を要しそうな気配です。そのため、今回のライヴでは少し違う視点から、実際に災害現場で活動する複数のNGO/NPOの方々へ迅速に寄付を行なうことで、『しっかりした活動を行っている中堅の団体にも活動資金がまわるようにしたい』という基金の主旨に賛同しまして、そしてそれが被災者の方への迅速な支援に繋がるひとつの方法であると考え、こちらへの寄付を行なうこととしました。」
義援金の給付の遅れは深刻で、「まだまだ時間を要しそうな気配」と sola さんが記した、その20日後の YOMIURI ONLINE の記事でも、依然として「1割未満」と報じられていました。一刻も早い状況の改善を願います。
※義援金、被災者に届かない…給付は1割未満(YOMIURI ONLINE, 2011.04.30)
さて、今回のライヴの内容ですが、節電に配慮して、マイクもアンプも無しの、完全生音のスタイルで行なわれました。お客さまのかけているテーブルの上には、これもまた節電に配慮して、akta のジャンジさんが、たくさんのキャンドルを灯してくださったのですが、キャンドルの柔らかい灯り越しに拝見するライヴは、まるでジョン・キャメロン・ミッチェル監督の『ショートバス』の中でジャスティン・ボンドが「In The End」を歌うシーンのようで(もちろん、この日の東京は停電していたわけではないので、あそこまで暗くはなかったし、メイク・ラヴをしているお客さんもいらっしゃいませんでしたが:笑)、とても温かな雰囲気のライヴ・イヴェントとなりました。
2011.05.05 Top↑









