2010/04/05
ヨンシー/ゴー
2010年3月31日に、シガー・ロスのフロントマン、ヨンシーの初のソロ・アルバム『Go』が、日本で先行リリースされました。さっそく購入したよ!※ヨンシー バイオグラフィー (Queer Music Experience.) ←読んでね。
この『Go』というアルバム、とにかくドラム演奏のインパクトがスゴいです。
日本盤のライナー・ノーツによると、ヨンシーが「人間ドラムマシーン」と形容したという、サムリ・コスミネンというドラマー/パーカッショニストの前衛的なドラム・プレイが、むしろ電子音では実現不可能な種類の躍動感を生み出しています。
先行シングルの「Go Do」のヴィデオ・クリップでは、ヨンシーがスーツケースをバシバシと叩いてますが、実際にこの曲のドラムは、サムリ・コスミネンがスーツケースを叩いたり蹴ったりして録音されたものなんだそうです。すげー。
この「Go Do」や、「Animal Arithmetic」「Around Us」といった収録曲は、人工的な電子音が鳴っていないにもかかわらず、サムリ・コスミネンの刻む強烈なビートがあることで、ほぼダンス・ミュージックの領域にまで針を振り切っているんですよね。
日本盤ライナー・ノーツの中で、執筆者の新谷洋子さんはこのアルバムを「ジャンル無用の華々しく壮大なアンセム集」と評していますが、まさにアンセムです。
私は、このアルバムを聴いて、同じアイスランド出身のビョークのファースト・ソロ・アルバムを初めて聴いたときの衝撃を思い出しました。
もちろん音楽性は全然違うんだけど、ふたりともバンドの時の前衛色はそのままに、ダンス・ミュージック的なビートを取り込むことによって、より以上の大衆性を結果的に獲得している、という。
たぶん、ヨンシーはこのアルバムによって、シガー・ロス以上にポピュラーな存在になるんじゃないかな。
そのほか、シガー・ロスのアルバムとの大きな違いとして挙げられるのは、全9曲のうち7曲までが、英語で歌われていること。
この点について、日本盤ライナー・ノーツに掲載されているインタビューで、ヨンシーは次のように語っています。
「ほら、アメリカ人のアレックスと暮らしているから、アイスランドでもいつも英語を話している僕にとって、今回英語で歌うことはごく自然な選択だった」
そして、次のようにも言っています。
「何を歌っているか理解されちゃうわけだからものすごく無防備な気分がするけど、それはきっといいことなんだと思う」
これまでのシガー・ロスの作品は、アイスランド語で歌われているほか、ホープランド語という言語も多く用いられています。
このホープランド語というのは、シガー・ロスが新たに造り出した言語で、実質的にはスキャットのような唱法の一種です。
したがって、文法や意味などは存在せず、それ自体はコミュニケーション・ツールとしての機能を持っていません。
グラミー賞にもノミネートされた2002年の『( )』は、ホープランド語のみで歌われているアルバムですが、このようにコミュニケーション機能を持たない言語によって歌われた曲というのは、一種のディスコミュニケーションの表象だという気が、私はするんですよね。
リスナーからの理解を単に拒絶しているというよりも、言語の音声的な側面だけを取り出すことによって、音楽を通じてのコミュニケーションを意図的に韜晦させている、というか。
しかし、『Go』でのヨンシーは、英語で歌うことによって、より広範なリスナーとのあいだにコミュニケーションを発生させています。
日本盤ライナー・ノーツの執筆者の新谷洋子さんも、「かつては言葉=音/声=楽器と見做していたというのに、あのマジカルなヴォーカルを前面に押し出して積極的なコミュニケーションに乗り出している」と評していらっしゃいます。
思うに、ヨンシーがホープランド語によるディスコミュニケーションの世界から、『Go』のコミュニケーションの世界に足を踏み入れたのは、ボーイフレンドのアレックスの存在が大きいと思うんですよね。
アレックスの存在が、コミュニケーションの素晴らしさをヨンシーに教えてくれた。そして、愛する人とのコミュニケーション言語が英語だったから、ヨンシーは英歌詞がメインのアルバムを作った。――そういった感じの、私生活の充足からもたらされる創作意欲が、このアルバムにはみなぎっています。
各収録曲のテーマ自体は「希望」と「怖れ」の二極に分化しているんですが、言語によるコミュニケーションがシガー・ロスのときよりも前面に出ているぶん、「怖れ」がテーマの曲であっても内省的であるよりは対話的で、アルバム全体としてはタイトル通りに突き抜けた、前向きな作品です。
アニマル・アリスメティック
(2010)
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