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新宿二丁目・迷い道 / 浜 博也

都営新宿線の新宿三丁目駅改札を抜けた目の前の掲示板に張ってあるポスターが、ここんとこ、ずーっと気になってました。

件のポスターがコレ。
「新宿二丁目・迷い道」ポスター


新宿の地下道は、二丁目に向かうゲイの人たちを意識した広告が、わりと増加傾向にあって、男性用下着の広告も多いし、映画『MILK』のDVDのポスターとかも張られているんだけど、この『新宿二丁目・迷い道』のポスターも、そうした種類のうちの一つだと思います。

画像を見ていただければわかるかと思いますが、このポスターには「歌詞カード! ご自由にお持ちください!」と書かれたポケットがついていて、この画像を撮影したときには、歌詞カードは全部捌けていました。ということは、この曲に興味を示した通りすがりの人がそれなりの数で存在しているはずなんですが、藤嶋の周辺からはこれといった反響が聴こえてきません。ネット上でもあんまり話題になってません。まあ、ポスターのサイズが小っちゃいから、それほど気づかれてないってのもあるかもしれませんが。

この「浜博也」さんというかたの名前を藤嶋は存じ上げていなかったので、この曲がどんなジャンルなのかもわからなかったんだけど、発売元はテイチクだし、タイトルの雰囲気からしてこれは演歌だろうなーと思ったので、先日、紀伊国屋書店ビル内のテイトムセンに足を運んでみました。演歌のCDを買うなら、タワレコよりもこっちのテイトムセンのほうが、品揃えが良いので。

そうしたら、ビンゴ! なんと平積みで売ってました(笑)。さっそく購入。

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M'KEYS×COBO. /rainbow

9月21日に札幌にて開催されたクラブ・イベント『エゾナイト』の公式テーマ・ソングとして同日にリリースされた M'KEYS×COBO.「rainbow」が、現在 Dandoo Online Shop にて発売中です。

※ジャケットは、ゲイ雑誌『G-men』で有名な、あの児雷也先生が手がけておられます。
「rainbow」ジャケット
rainbow / M'KEYS×COBO. - Dandoo Online Shop | だんどうオンラインショップ


この曲を聴いて、ものすごく嬉しくなったので、その思いを、以下に書いていきます。



このシングルは、作詞・作曲・編曲のクレジットが記載されていないので、M'KEYS と COBO.のふたりがどういう役割分担で実際の制作をおこなったのか、藤嶋にはわからないんですが、この曲を聴いてとても嬉しく思ったのは、サウンドの格好良さももちろんのことながら、その歌詞の内容が、これまでにゲイ・インディーズでリリースされてきたプライド・ソングの流れを受け継いだ、まさに王道の内容になっている、ということでした。

そして歌詞カードに掲載されている M'KEYS と COBO.のそれぞれのプロフィールの中でも、このふたりは自分が「ゲイ・アーティスト」であることを、きっちりと明言してくれていました。

そのことが、藤嶋にはほんとうに嬉しかった。

『Queer Music Experience.』に掲載している sola ちゃんのインタビューの中で、LGBT の看板を掲げて活動しているご自身のことを「今の流れに自分は逆行してるのかもしれないけど」と語っている箇所があります。

これというのはつまり、「LGBT の看板を掲げた音楽活動に懐疑的な雰囲気が、ゲイのインディー・ミュージシャンたちのあいだでは、現在は大勢を占めている空気」を、このインタビュー収録当時の sola ちゃんは感じていた、ということだと思うんですね。

そうでなかったら、こんな発言が出てくることはないだろうし。

そして。

そうした空気を、私も同じように感じていました。

というか、sola ちゃんが『ソラニワ』(2007年12月15日開催)をオーガナイズするよりも前の時期は、そういう空気がもっともっと、かなり濃厚に漂っていたと思います。

もちろん、LGBT の看板を掲げたくても諸事情によりできない(たとえば、すでに芸能事務所に所属していて、本人はゲイ・アーティストとして活動したくとも事務所がそれを許さない、など)、というケースも、私は実際に知っています。

けれども、この時期はそういう「しかたがなく」という感じではなくて、sola ちゃんが語ったように、「LGBT の看板を掲げないことこそが、今の時代の流れだ」という奇妙なコンセンサスが、濃厚に感じられました。

ゲイ・インディーズの黎明期を知らないアーティストさんたちは、そういう状態をむしろ「進化」ととらえ、積極的に望んでいたのかもしれないけれども、その状態は実はゲイ・インディーズが成立する前の時代と同じなので、私の目にはまったく「進化」には見えなかったんです。それどころか、むしろ「退化」に見えました。

まあ、ゲイ・インディーズの成立の背景が、これまではちゃんと語り継いでこられなかったところにも問題はあるのでしょうけれども。

2006年4月以降のゲイ・インディーズが、「進化」ではなく実際には「退化」していたのは、これはもう藤嶋の主観ではなく、客観的な事実だと思います。というのも、藤嶋以外にも何人ものかたたちが「ここ数年のゲイ・ミュージック・シーンは元気がなかった」という趣旨のことを、mixi やオフィシャル・サイト上で発言されているので。

2006年から2008年あたりのゲイ・インディーズに対しては、藤嶋以外のかたたちも、そういう厳しい評価を下されているんです。

そして、こうしたゲイ・インディーズの動きは、ここ数年の日本のゲイ・コミュニティ全体の空気とも、絶妙にリンクしていたように思います。

若い世代のゲイのかたを中心にして、ゲイ・カルチャーへのこだわりや、ゲイであることへのこだわりが、どんどん失われていっています。

たしかに日本という国は、わざわざゲイの看板を掲げなくてもゲイとして生きていくことはできるし、そうやって生きていくことに慣れてしまえば、ゲイ差別を感じずに生きていくこともできます。

こうした近年の空気を、体育 Cuts は「飼い慣らされてるだけ」と一刀両断にしていましたが、その見解には藤嶋もまったく同感なんです。

といっても、むやみなカミング・アウトを強制、推奨しているわけではまったくありませんからね。念のため。

そうではなく、特定の国や地域、共同体に固有の文化が失われてしまったら、それはその国や地域、共同体の喪失と、かぎりなくイコールでしょ?

でしょ?

たとえば大昔、当時の日本の為政者が、アイヌや琉球の人たちに大和文化を強制することによって、アイヌ人としての、琉球の民としてのアイデンティティが剥奪されていった、という歴史があるじゃないですか。

いささか大袈裟なたとえではあるけれども、でも、地域や共同体固有の文化へのこだわりの喪失って、結局そういうことだと思うんですよ。

固有の文化へのこだわりを失うということは、固有のアイデンティティの喪失なんです。

ゲイ・カルチャーへのこだわりが失われていくということは、ゲイ・コミュニティそのものの危機とイコールだと、私は思うんですね。

ゲイ・インディーズについていえば、その基礎を築いた最大の功労者である「がんちゃん」こと春日亮二さんが亡くなられたのと前後して、城野祐樹くんや sola ちゃんといった、ゲイ・インディーズの黎明期を知っているアーティストさんたちが、LGBT の看板を明確に掲げたライブ・イベントをもういちど東京に復活させようと、オーガナイズに自ら乗り出すようになりました。

城野くんがライブのオーガナイズに乗り出したのは、がんちゃんの死がひとつのきっかけとなっているんだそうです。

ゲイ・インディーズの場合、個々のアーティストのスタンスよりも、ライブ・イベントのオーガナイザーのスタンスこそが、シーンに対して、より決定的な影響を及ぼすのだということは、この数年でかなりはっきりしたと思います。だからこそ、sola ちゃんや城野くんのようなアーティストさんたちが、自らオーガナイズに乗り出したのだと思います。

もちろん、出演者が全員 LGBT のライブ・イベントが、かならず LGBT の看板を対外的にも掲げていなければいけないというルールはありません。でも、少なくとも断言できるのは、LGBT の看板を掲げたライブ・イベントが皆無になったとき、それは LGBT インディー・ミュージック・シーンの喪失とイコールだ、ということです。

それはもうすでに事実という形で証明されていると、私は思います。

城野くんや sola ちゃんが実践したライブ・イベントのオーガナイズは、すでに喪失してしまった東京の LGBT インディー・ミュージック・シーンの仕切り直し、再生の試みであった、と私は思っています。

そして、この喪失をリアルタイムで目にしてきた藤嶋は、後続の世代が同じ歴史をくり返さないようにするために、その記録を遺す義務があると思っています。

で、ですね。

LGBT の看板を掲げた音楽活動に懐疑的な雰囲気というのは、そこで活動しているアーティストたちの楽曲の内容にも、少なくない影響を与えていたと思います。

がんちゃんの genetic LOAD PROJECT の一連の楽曲や、GALE の「Always Proud」や「BRAVE WALKER」のようなプライド・ソングはもう古い! という空気も、私はかなり濃厚に感じていました。

というのも、この種のプライド・ソングは、2005年の TETSU vs M'KEYS の「ボクノシルシ」や、Takashi の「野性の花」あたりを最後に、リリースがほぼ途絶えていたから。

ここ数年の傾向としては、田中守 a.k.a.岡本忍が、ゲイであることに立脚したアイドル歌謡を多数発表して孤軍奮闘の大活躍をしていたり、sola ちゃんがセクシュアリティ・フリーをテーマとした傑作「ソラニワ」をライブで演奏したりはしてくれていたけれども、ゲイ・インディーズの黎明期に多くのリスナーやオーディエンスを励ましてくれた、「自己肯定をテーマとしたプライド・ソング」の新曲は、ほぼ完全に途絶えていました。

「ボクノシルシ」よりもあとの時代のプライド・ソングとしては、3ピース・バンドの SPEEDER を率いているゲイ女子アーティストの kkjk が作詞を担当して、尾辻かな子さんが歌った、2007年の「Running to the Rainbow」があります。

2007年のころは、kkjk や尾辻さんのようなゲイ女子のかたがプライド・ソングをクリエイトして歌っていたけれども、ゲイ男子によるプライド・ソングは、すっかり廃れていました。

自己肯定がテーマの佳曲はあっても、「Running to the Rainbow」のような直球型のプライド・ソングを、ゲイ男子のミュージシャンが新曲として発表したのは、「ボクノシルシ」や「野性の花」が発表された2005年が最後です。

悲しいことに、それが事実なんです。

若い世代のゲイのみなさんはゲイであることに悩まなくなってきている、とよくいわれています。でも、その一方で、自分のセクシュアリティを肯定できずに悩んでいる若い世代のかたたちだって、実は今でもたくさんいるんです。そのことは、NHK 教育の『ハートをつなごう』を観れば明らかです。

今でも多くの若い LGBT のかたたちが、自分のセクシュアリティに悩み、孤独感に苛まれ、場合によっては自傷したりしているんです。

遠い海外ではなく、この日本で。

私たちが暮らしているこの日本の、今この時代でも、ね。

だから。

プライド・ソングだって、まだまだ必要とされていると思うんです。

プライド・ソングを必要としている若いゲイの人たちは、今でもたくさんいるんです。



そして、ここでようやく話はスタート地点に戻ってくるんですが。

『エゾナイト』の公式テーマ・ソングとしてリリースされた M'KEYS×COBO.の「rainbow」は、まだまだ必要とされているはずなのにどういうわけか長いあいだ途絶えていたプライド・ソングを、2009年の現在に復活させてくれた、素晴らしい1曲だと思うんです。

そしてこの曲が、ゲイ・インディーズが全国区で最盛期を迎えた時期の代表的アーティストのひとりである M'KEYS の単独ではなく、若い世代のゲイ・アーティストである COBO.とのコラボレーションであるということが、私にはすごく嬉しい。

喪失と再生を経た今、ゲイ・インディーズは、20代の若い世代のアーティストさんたちがとっても元気です。alis くんや SEKI-NE くん、灯くん、藤本大祐くん、などなど(五十音順)。

そして、Metro の片割れとして、わざわざ札幌からやってきて東京でライブをおこなってくれている COBO.も、そのひとりです。

まさにプライド・ソングの王道をいく、この「rainbow」という楽曲に、COBO.の名前がクレジットされているのが、ほんとうに嬉しい。

こうした曲のクリエイトに、若い世代のアーティストが積極的に関わっている、そのことには、ものすごく大きな意義があるんです。



やや攻撃的な内容のテキストになってしまったかもしれないし、ここで私が書いたことには異論・反論もあるでしょうが、とにかくこれが、今の私の正直な思いです。