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中村 中が振り返る、カミング・アウトのあの頃。

このブログで初めて中村 中さんのことについて書いたのは、2006年9月16日。「友達の詩」が avex trax からリリースされた、その一週間後のことです。そのエントリのコメント欄に、翌月の18日、以下のような質問をいただきました。長くなりますが、ほぼ全文を引用します。

もしも知っていたらでよいのですが、

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『yes』(注:日本で刊行されていたゲイ・カルチャー誌。現在は休刊)のインタヴューでは、中さんは「友達の詩」について、以下のように述べています。

この曲は、ずっと好きなのに友達にさえなれなかった相手のことなんですよね。だから、友達と呼ばれるだけでも上出来かもしれないねっていう曲です。初めて、“この人好きだな”って思った人と、離れなきゃいけなかった時期に、書き始めたんです。中3だったんですけど、5年くらい好きだった人で。この人を好きになることが、おかしいんだなっていう自覚が、少しずつ生まれて来た
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というコメントがありましたが、
確かちょうどその頃、FM横浜だったと思うのですが、
中村さんが出演していました。
その中で、DJの方が「中村さんは、元は男性なのですよね?同性だから叶わない思いを詩にしたのですか?」
みたいなコメントがありました。

それに対して中村さんは、
「この曲は決して自分の事ではなく、普通の男女だったらこうなんじゃないかなぁ、、みたいに作った曲です。私が思った事を詩にしたものでは決してありません!」と、、
ラジオで聞いた言葉ですので、言葉は正確ではありませんが、何度もはっきりと断言していました。

まったく違うコメントをメディアにしてしまっているのですが、
何か考えがあってのことなのか、
単に一貫性がないのか、
ファンになりかけた時にたまたま生で聴いてしまったので、すごく気になってしまいました。
その後別のメディアでもそういったコメントに変更されているのかどうか、
気になるところです。
もしもご存知でしたら、よろしくお願いします。


この質問に、私は翌日、以下のようなレスを投稿しました。これまた長くなりますが、ほぼ全文を引用させていただきます。

ご質問の件ですが、結論から先に申し上げますと、別のメディアで中村中さんがどういった発言をしているかを、これは本当に申し訳ない話なんですが、私は把握していません。

なので、かすみさん(注:質問してくださったかたのハンドルネーム)がコメントの中でおっしゃっていた、「何か考えがあってのことなのか、単に一貫性がないのか」の具体的な判断は、私には付きかねます。

ただ、以下のように考えていくこともできるのではないか? と私は考えています。

『yes』のインタヴューの中で、確かに中村 中さんは、「友達の詩」は実体験をベースにしたという(ようにも読める)発言をなさっていますが、それと同時に、

「“共感”されたくはないんです」

「“共感しました~”なんて言われると、“じゃ私と同じ気持ちになってから言ってよ!”って思う」

ともおっしゃっているんですね。これは私の書いたエントリの中でも紹介しています。

これらの発言というのは、一見しただけでは、「私の歌は『性同一性障害を扱った歌』だ」と自ら述べているようにも見えるんですが、その見方というのは、実際のところ、実はかなり予断を含んだ解釈だと思うんです。

あくまでも純粋に、言葉の上に現れている情報だけで解釈するならば、中村中さんは、

「安易にわかったふりをしてほしくない」

ということしか言っていないんです。

「これは性同一性障害を扱った歌だ」ということを、中さんは明言はしていませんよね?

そのように考えていくならば、『yes』のインタヴュー内容と、かすみさんがお知らせくださったインタヴューのあいだには、実は一つの共通項が生まれます。

つまり、「中村中は、自分の曲を一方的に解釈されることを、頑なに拒んでいる」ということです。

FM横浜のインタヴューにおける中村 中さんの発言は、確かに『yes』のインタヴュー内容とは矛盾している(ように見える)んですが、「リスナーの一方的な曲解釈に対して『それは違う』と述べている」という点では、実は全く同じなんですよね。

だから、これはもう単なる憶測でしかないんですが、たぶん中村 中さんは、自身がMTFであることを告白されたことで、自分の曲があれやこれやと先入観をもって解釈されているのではないか、とナーバスになっているんじゃないか? という気がするんです。

そのナーバスな状態の現われが、インタヴュー内容の矛盾(に見えるような物言い)に繋がっている、と。

そういうふうに解釈することも、まあ、あながち不可能ではないですよね?(^^

そういうふうに考えたほうが、「どっちの発言が正しいんだろうか?」と悩むよりも、幾分かスッキリすると思うんですが、かすみさんはいかがでしょうか?(^^

たぶん、中さんの発言内容を追っている我々の側でも、「性同一性障害をオープンにして音楽活動をしている人の心理はどのようなものか?」という好奇心が働いているせいで、中さんの発言に対して、必要以上に注意を傾け過ぎてしまっていると思うんです。

言い換えれば、我々の側でも、中さんの発言に対して、ナーバスになっている、ということです。

もちろん、これは自分に対する戒めでもあるんですが。

そのせいで、中さんの発言というのは、他の J-POP のアーティストに比べると、「言葉の独り歩き」が起きやすい状況になってしまっている、と思うんです。

そして、中さん一人の力では、そういった「言葉の独り歩き」を、コントロールできない状況下にあるような気がするんですね。

というのも、「言葉の独り歩き」というのは、ある意味では、発言者と受け手の側の「共同作業」みたいなものですから。中さん一人の意志だけではどうにもならないわけです。

だから、中さんのインタヴュー内容が矛盾していたとして、「どちらの発言が本当なの?」と真偽を判断しようとすると、それはたぶん、さらなる「言葉の独り歩き」を生むことになるんじゃないか、と感じます。

結局、リスナーの曲解釈を頑なに拒む中さんの側も、性同一性障害という単語に過剰に反応してしまう我々の側も、「言葉の独り歩き」を招き易い状態にあるんだろうなー、と思うんですよね。

そうした一種のパニック状態が冷却化すれば、たぶん中さんの発言にも、一貫性が生まれてくるんじゃないかという気が、私はします。


そして、2010年9月29日。

この日の朝日新聞の夕刊に、中村 中さんの記事が掲載されていました。月曜から金曜まで毎日掲載されている『ニッポン人脈記』の、シリーズ<男と女の間には>の第12回(最終回)で、中村 中さんのことが取り上げられています。

朝日新聞9月29日夕刊


このシリーズ<男と女の間には>のテーマは、GIDです。その第1回には、東京都世田谷区区議会議員の上川あやさんと、その親友でいらっしゃる野宮亜紀さんのお二人が登場されています。

さて、中村 中さんがシリーズの掉尾を飾った、9月29日の<男と女の間には>。これを読んで私が感じたのは、2006年9月16日のエントリで私がコメント欄に記した「一種のパニック状態」が、2010年現在、どうやらほぼ完全に冷却したようだ、ということでした。

シリーズ<男と女の間には>の第12回は、中村中さんが出演された2007年の『NHK紅白歌合戦』でのエピソードから始まっています。このときの中さんの心境を、この記事は次のように綴っています。

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