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トム・ジャドソン以前、このブログの『歌うゲイ・ポルノ・スターたち』シリーズでも紹介した、ガス・マトックスこと、トム・ジャドソン(Tom Judson)の新しいインタヴューが、11月11日、Out.com に掲載されました。

Need to Know: Tom Judson (Out.com, 2010.11.11)

トム・ジャドソンは、80年代から90年代にかけては作曲家として映画やテレビに楽曲を提供。00年代に入ると、ヒット・ミュージカル『キャバレー(Cabaret)』や『42nd Street』の全米公演に、端役で出演しました。そして巡業先のミネアポリスのゲイ・バーで、ゲイ・ポルノ監督のシー・シー・ラルーと出会い、43歳でゲイ・ポルノ界に転身。ゲイ・ポルノ・スターのガス・マトックスとして有名になります。

しかし、約2年後にゲイ・ポルノ俳優を引退。昨年(2009年)からは、ヴィンテージのキャンピング・カーで全米各地を巡りながら、自伝的内容のワンマン・ショー『Canned Ham』を上演しています。脚本も楽曲もすべて自作の『Canned Ham』は、少しずつ変貌を遂げながら、現在でもツアー続行中です。

こうしたトム・ジャドソンの経歴は、Queer Music Experience.本編に簡単にまとめてあるので、ぜひそちらも併せてご覧ください。

トム・ジャドソン バイオグラフィー(Queer Music Experience.) ←読んでね。



さて、かつてはゲイ・ポルノ・スターとして著名だったミュージシャンには、トム・ジャドソンの他にも、現在では主にクラブ・シーンで活躍しているコルトン・フォードの名が挙げられます。

コルトン・フォード バイオグラフィー(Queer Music Experience.) ←読んでね。

コルトン・フォードは、ゲイ・ポルノ・スター時代からのファン層を意識してか、そのCDジャケットやミュージック・ヴィデオの中で、現在でも衰えることのない鋼のような肉体美をたびたび披露していますが、トム・ジャドソンも、やはり『Canned Ham』のパブリシティ・フォト(上の画像)で、その見事な肉体美を披露しています。そして『Canned Ham』本編の中でも、ケツ割れサポーター姿の場面があるようです。

この点について、トム・ジャドソンは今回のインタヴューの中で、次のように語っています。

あなたのワンマン・ショーは、実に多くの領域を押さえていますが、ガス・マトックスとしての名声があることで、チケットを購入した多くの人たちは、淫らな一夜を期待――少なくとも予想ぐらいは――していたのではないかと思うのですが?

「プロモートにはポルノ的な側面を確かに利用してはいる。これ以外に効果的な宣伝方法を、僕は知らなかったからね。でも、そうしたセクションは、ほんの20分程度に過ぎない。一連の体験談の一つでしかないんだ。ショーは、次から次へと変貌していく僕の人生を、年代記的に表しているんだよ。」

音楽と笑いとエロだけではなく、非常に感動的な場面もいくつかあります。それについて少し話していただけますか。

「僕は、1996年にパートナーのブルース・バーンバウムをエイズで亡くしている。パフォーマンスの全体が、僕たちの関係に始まって、僕たちの関係で終わっている。だから実際のところ、作品のテーマはブルースなんだ。彼の死がきっかけとなって、僕はさまざまに異なったたくさんの方向性を探求することができたんだからね。」


また、このインタヴューの中では、「何か怖いものはありますか?」との質問に、「ダンスが怖い」と、トムが答えています。ミュージカル俳優としての経歴があるにもかかわらず、ダンスが非常に苦手なのだそうです。

あなたはブロードウェイのステージに立っていたんですよね。踊れない人が起用されるはずはないでしょう。あなたも踊らなければいけなかったのと違いますか?

「『42nd Street』ではリハーサル・ピアニストの役だったし、『キャバレー』ではステップを学んだけれど、全くもってぎこちなかったね。」

少なくとも『Canned Ham』では踊る必要はありませんが、ケツ割れサポーター姿で動き回らなければいけません。あなたのご家族は、それについてどうお考えですか? ショーはご覧になられたんですか?

「妹は大したもんだよ。両親も観に来てくれて、ショーの後でハグしてくれた。でも、絶句してたね。」

それは可笑しいですね!

「僕の家族って、そうなんだよ。僕がポルノに出ることを家族に話したときにも、母からは『これ以上ポルノに詳しくなんてなりたくないわ!』って言われたよ。」

これはまた可笑しい! あなたはポルノに出演したことや――他にもこれまでやってきたことを――後悔したことがありますか?

「後悔なんてないよ。たとえ失敗した出来事であってもね。これまでにやってきたことの全てがあって、僕は今ここにこうしているんだし、それで幸せなんだから。」


ミュージカル俳優からゲイ・ポルノ・スターへの転身という、振幅の激しいその経歴。その全てを糧に、いつでも笑顔のトム・ジャドソン。その後悔しない生き方に、私は魅かれます。

もしも私がアメリカ在住だったら、ゼッタイにこの『Canned Ham』を観に行くんだけどなあ……。

嗚呼、どこでもドアが欲しい! ドラえもーん!(声:小原乃梨子)



※この夏に行なわれた『Canned Ham』プロヴィンスタウン公演にあたっての、
トム・ジャドソンのメッセージ・ヴィデオです。



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2010.11.18 Top↑
去る11月7日、日本のゲイ・インディー・ユニット、虹組ファイツの初めてのワンマン・ライヴ、『虹組ファイツ1st コンサート みんなの事がダイスキ!』が、新宿 Future Nature Valve にて開催されました。

虹組ファイツ 公式サイト

虹組ファイツは、「LGBTシーンで活動する『ゲイアイドルグループごっこ』を楽しむサークル集団」というコンセプトのもと、ソーシャル・ネットワーキング・サーヴィス mixi 内のコミュニティ「ゲイアイドルグループをつくろう」(現在は「虹組ファイツ」コミュニティに改称)を通じてメンバー募集が行なわれ、2009年3月から公式活動を開始した、世界的にも類のない、ユニークなゲイ・アイドル・ユニットです。

まずは“登録メンバー”としてコミュニティを通じてグループに参加し、ライヴやレコーディングなど実際の活動に参加できるメンバーは“背番号”付きの“選抜メンバー”として公式活動を行なっていく、という仕組みです。2010年11月現在、選抜メンバーの背番号は、なんと36番を数えるまでになり、LGBTミュージック史上、これまでに例のない大所帯ユニットとなっています。

メンバーは全国各地に散らばっているため、レコーディングやライヴのたびに現役メンバーの全員が顔を揃えるというわけにはいきません。その時々で、選抜メンバーのラインナップは変化します。それゆえ、虹組ファイツのライヴをほんの一、二度観ただけでは、彼らのライヴ・パフォーマーとしてのポテンシャルを測ることなど誰にもできないという、それもまた虹組ファイツの面白さの1つです。



さて。

虹組ファイツ初のワンマン・ライヴである今回は、2010年5月15日に21名の虹組メンバーのみなさんが出演されたLGBTミュージック・ライヴ・イヴェント『INSIDE OUT the LIVE 2010』のときを上回る、総勢27名(だったはず。違っていたらゴメンなさい)のみなさんが出演されました。そのうち6名のかたは、今年の8月から新規加入した、第4期メンバーのみなさん。これが虹組としての初めてのライヴとなります。そして、今回のライヴを最後に、第1期のメンバーから3名、2期のメンバーからは1名のかたが、虹組ファイツを卒業することとなりました。

2010年5月の『INSIDE OUT the LIVE 2010』では、負組ファイツや ℃3子ファイツといった、虹組ファイツを母体とするユニット内ユニットが登場しただけでなく、虹組ファイツ全体が“黄組”“青組”“赤組”の3チームに分かれて、それぞれにパフォーマンスを行ないました。この3チームはコンセプト別に編制されており、“黄組”は可愛らしさ、“青組”は歌、“赤組”はダンスに、それぞれ重点が置かれています。そして今回のワンマン・ライヴ『みんなの事がダイスキ!』でも、チーム間でメンバーの異動は見られたものの、『INSIDE OUT the LIVE 2010』での編制とセット構成が、ほぼ踏襲されていました。

まずオープニングには、新メンバーによる虹組ファイツOP組が登場(今回は第4期メンバー)。そしてその新メンバーをフィーチャーした黄組が、5曲をパフォーマンス。

その後、第1期メンバーである背番号03番の河野晋太郎さん、同じく06番の手塚智史さん、そして01番の岡本忍さんの御三方が、それぞれソロで1曲ずつを披露。

次に青組が登場。ユニット内ユニットの℃3子ファイツのパフォーマンスも含め、計6曲を披露。

続いて、やはりユニット内ユニットのデュオ・チーム、負組ファイツと、1期メンバーの背番号04番の伊藤晃人さんのソロ、そしてスペシャル・ゲストのマダム・ピロガネーゼさんが、ここで登場しました。今回の出演者の中では、踏んできた場数が飛び抜けているマダム・ピロガネーゼさん。あとで伺った話によると、「私は先輩なんだから」と気負い過ぎて、実は緊張しまくっていたとか。しかし、そんなことは全く感じさせない、貫禄のステージングでした。

最後に登場したのが赤組。6曲を披露。そしてアンコールでは、今回の虹組メンバーが全員登壇しての卒業セレモニーが行なわれました。

以前、私が『INSIDE OUT the LIVE 2010』について書いたレポート記事では、赤組のダンス・パフォーマンスの充実ぶりを絶賛しました。そうした声は、ひょっとすると私以外からもあったのか、今回のワンマン・ライヴでは、黄・青・赤のそれぞれのチームのあいだに、良い意味での競争意識が発生しているように、私には見えました。たとえば、黄組のみなさんはMCの中で「練習時間は黄組がいちばん多かった」とおっしゃっていたし、青組々長(チーム・リーダー)の背番号23番の西村雅之さんも、やはりMCの中で「青組がいちばん良かったと言われるような最高のパフォーマンスを見せていきたいと思います」とおっしゃっていました。

そのようなわけで。

今回は、黄・青・赤の、どのチームのパフォーマンスがいちばん良かったのか、私個人の見解を書いちゃおうと思います。

とは言っても、私は評論家などではないし、良し悪しを断じるようなことも全く好きではないので、あくまでも「こういう意見の人もいる」という程度の話として読んでください。



虹組ファイツ青組今回の虹組ワンマン・ライヴにおける、私のいちばんのお気に入りは、青組による「なんちゃって大奥」のパフォーマンスでした。

なんでそのように感じたのかというと、虹組ファイツの監督(プロデューサー)の田中守さんが書いた曲をパフォーマンスする際には、歌とダンスだけではなく、演劇的な要素も、実は強く求められてくると思うんですよね。特に、可愛らしい雰囲気の曲には、芝居っ気が多く含まれていますよね? 言葉を替えると、そうした芝居っ気の強い曲というのは“黄組的”な曲だ、という言い方も可能だと思うんです。「なんちゃって大奥」も、やはり芝居っ気たっぷりな曲ですが、しかし曲調は可愛らしいというよりも非常にダンサブル。つまりは“赤組的”。

ということは。

「なんちゃって大奥」をパフォーマンスする際には、“黄組的”な資質と、“赤組的”な資質の両方が求められてくるのではないか、と思うんですよね。「なんちゃって大奥」は、歌やダンスのスキルだけではカヴァーし切れない、難易度の高い曲のはずなんです。

その意味で、今回の青組の「なんちゃって大奥」は、その両方をクリアしていたという点において、実に素晴らしかったです。聞けば青組は、他のチーム以上にメンバーが全国各地に散らばっているため、全員そろっての練習時間がなかなか取れなかったそうです。にもかかわらず、非常に充実したパフォーマンスを披露してくれました。ブラボー!



虹組ファイツ赤組ダンス・パフォーマンスの華やかさという点では、依然として赤組が頭1つぶんリードしていたと思います。特に、振り付けも担当しておられる背番号26番の牛島瑛一郎さんのシャープな動きは、牛島さんがMCの場面では非常に控えめに振舞っているからこそ、尚のことオーディエンスの目を強く惹きつけるんですね。被りつきで観ていた女性のかたは、「すごーい!」と声に出しながら、牛島さんの動きに目を奪われていました。

また、背番号13番の山下真彦さんも、こう申し上げたら大変失礼ではあるんですが、「そのガチムチ体型で、どうしてその動き!?」と訊きたくなってしまうほど、実にしなやかなダンスを披露なさっていました。しかも今回のライヴでは、お腹をへこますために、なんとさらしを巻いていたそうで、そんなムチャをしたら呼吸困難に陥ってしまうことは間違いないのに(実際、MCの際にはまともに喋れないほどゼーゼーと荒い呼吸をなさっていたんですが)、それでも見事に踊り切り、そして歌い切っていたのは、素晴らしい! の一言に尽きます。

“とまらない心臓エキゾチカ”
(Live, 2010)

http://www.youtube.com/watch?v=JZHLoPBO8p4





虹組ファイツ黄組そして黄組。

黄組も、『INSIDE OUT the LIVE 2010』のときと比較して、明らかにダンス・パフォーマンスに力が入っていて、より充実した内容に進化を遂げていました。

私は「どのチームのパフォーマンスがいちばん良かったのかを書く」と先に記したものの、実際のところ、黄・青・赤の3チームを比較することに、それほどの意味はない、というのが私の本当の意見です。

なぜかと言うと、かわいい系の黄組、歌の青組、ダンスの赤組、というように、3つのチームはそれぞれに重点の置き所が違うのだから、同じ評価基準で引き比べることなど、最初からできはしないんですよね。評価基準が違うのだから、比較もできない、ということなんです。極端な例えを持ち出すと、可愛らしさが第一の魅力であったアイドル時代の松田聖子と、明らかに歌で勝負している中森明菜と、歌とダンスの両立が最大の武器である安室奈美恵の三者を、同じ土俵の上で語ろうとするようなもんです。そんなの、意味ないでしょ? だって三者の魅力はまさに三様なんだから。

というわけで、黄・青・赤の、どのチームがいちばん良かったかという話は、絶対的な良し悪しの話にはなりません。オーディエンスの単なる好みの話です。私が『INSIDE OUT the LIVE 2010』のレポート記事で赤組を絶賛したり、今回のエントリで青組がいちばん良かったと書いたりしているのも、私という人間の個人的な好みを書いているに過ぎません。

そうした個人的な好みを全く排したところで虹組ファイツのライヴを語るときに、いちばん重要な存在となってくるのが、黄組のパフォーマンスなんですね。

黄組がレパートリーとしている楽曲の多くは、虹組ファイツというユニットのカラーの根幹を形成しています。たとえば、記念すべき初めての楽曲「恋愛Debut!始めました」や、『INSIDE OUT the LIVE 2010』のエンディングにメンバー全員で歌われた「桜エバーピンク」、そして今回のライヴのアンコールでやはり全員で歌われた「青春は待ってくれない!」など、虹組ファイツ全体の基本イメージを形成しているそれらの楽曲は、すべて今回の黄組のレパートリーとなっています。

つまり、黄組のパフォーマンスのカラーこそが、“虹組らしさ”の根幹なんですね。

そうした黄組のパフォーマンスがあるからこそ、実は機能特化型ともいえる“歌の青組”や“ダンスの赤組”が、初めて活きてくるんです。その意味では、黄・青・赤の3チームが揃い踏みしてこそ、虹組ファイツはパフォーマーとしての真価を存分に発揮することができるんですね。

今回、黄組々長を務められていた背番号25番の三浦小麦さんは、たけださとしさんのネットラジオ『歌のフリーマーケット』や、当日のMCの中で、「練習時間は黄組がいちばん多かった」という発言を繰り返しておられました。虹組の基本イメージを形作っていながらも、メンバーは新人が中心という黄組。おそらく三浦さんは、単にスキルを磨くためだけではなく、何よりも先ず虹組としてのチームワークを築き上げるためにこそ、それだけたくさんの練習時間を割いたのではないかと、私はそう感じました。

そして、そのチームワークこそが、虹組ファイツという大所帯ユニットの最大の武器であり、最も美しい点なんですよね。

全体のリーダーを務める岡本忍さんも、そして各チームのリーダーのみなさんも、ご自分が前に出るよりも、他のメンバーを活かすことを先ず第一に考えておられる。そのことは、ライヴを観ているとすごくよくわかるんです。振り付けも担当しておられる牛島瑛一郎さんにしても、私は先に「オーディエンスの目を強く惹きつける」と書きはしましたが、牛島さんご本人は、決して突出しようとはしていない。

『みんなの事がダイスキ!』という、今回のライヴのサブタイトルにもあるように、虹組ファイツのメンバーのみなさんは、そこに仲間がいるからこそ、一所懸命に活動に取り組んでおられる。仲間がいるからこそ、全力でがんばっておられる。そうした仲間への思いが、オーディエンスに対する誠実さにも繋がっていて、だからこそ虹組ファイツのライヴは、誰の目から観ても楽しい。

今回の1st コンサート『みんなの事がダイスキ!』は、虹組ファイツが“サークル活動”として運営されていることが、あらゆる面でプラスに働いているという事実を、オーディエンスの目にもわかる形で示してくれていました。

アンコールでの卒業セレモニーでは、多くのメンバーのかたが号泣しておられました。虹組ファイツが“サークル活動”であるからこそ築き上げられた、仲間への強い思い。その思いゆえに涙するメンバーのみなさんの姿を、私はとても美しいと感じました。


2010.11.14 Top↑
当ブログの10月26日付のエントリで紹介した、イタリアのティツィアーノ・フェッロや、11月2日付のエントリで紹介した、ベルギーのティモ・デシャンといった、英語圏以外の地域で活躍しているオープンリーLGBTアーティストの名前を私が初めて知ったのは、アメリカのゲイ&バイ男子向けエンタテインメント・ニュース・サイト、AfterElton.com の記事がきっかけでした。

その AfterElton.com で記事を執筆しているライターのみなさんも、実は英語圏以外の地域のエンタテインメント情報に通暁しているわけではないらしく、読者のかたからの情報提供に負うところも大きいようです。

AfterElton.com に11月4日付で掲載された"Best. Gay. Week. Ever! "の記事の中では、ティツィアーノ・フェッロのカミング・アウトについて、以前の記事よりも多少詳しい内容が掲載されていますが、これは読者のかたがイタリア語の記事を英訳してくれたおかげであると、そのように書いてありました。

この11月4日付の"Best. Gay. Week. Ever! "では、ティツィアーノ・フェッロ以外にも、英語圏以外の出身のオープンリー・ゲイのアーティストが、新たに2人、紹介されていました。いずれも読者のかたからの情報だそうです。1人は、チェコ出身のコレオグラファー、イェミ AD。そして、もう1人が、今回のエントリの主役、アレル・スカット(Harel Skaat)です。

アレル・スカットは、イスラエルの出身です。同国出身で世界的に有名なLGBTアーティストといえば、第一に名前が上がるのは、やはりダナ・インターナショナルでしょう。彼女は1998年、世界最大規模の音楽祭であるユーロヴィジョン・ソング・コンテストに、イスラエル代表として参加。そして見事に優勝し、世界中から注目されるようになりました。その翌年には、ここ日本でも彼女のアルバムが発売されています。

ダナ・インターナショナル (Queer Music Experience.) ←読んでね。

そしてアレル・スカットも、今年の5月にノルウェーで開催された第55回ユーロヴィジョン・ソング・コンテストに、イスラエル代表として参加しています。残念ながら入賞は果たせませんでしたが(最終結果は14位)、既にイスラエル国内では高い評価と支持を集めている人気シンガーです。

AfterElton.com のライターさんは「僕はこれ以上のことは大して知らない」という理由から、アレル・スカットの詳しい経歴について書いてはくれていませんでしたが、英語版 Wikipedia には既に詳しい記事が掲載されていたので、それを基に、アレル・スカットのこれまでの経歴を、ごくごく簡単に、以下にまとめてみます。

アレル・スカットは1981年8月8日生まれの29歳。6歳のときに地元で開催された子ども向けの音楽コンテストで優勝して以来、子役タレントとしてさまざまな番組に出演するかたわら、学内のバンドやローカル・バンドで歌っていたようです。

そして2004年、『アメリカン・アイドル (American Idol)』と同じ形式の、イスラエルのオーディション番組『Kokhav Nolad』に参加。これに準優勝したアレル・スカットは、2006年7月、セルフ・タイトルのアルバム『Harel Skaat』をリリースして、プロの歌手としてデビューを飾りました。このデビュー・アルバムはイスラエル国内でプラチナ・ディスクを獲得。シングル・カットされたバラード曲「Ve'at」は、イスラエルに2つあるヘブライ語ソング・チャートの両方で年間 No.1を記録したそうです。

"Ve'at"
(2006)

http://www.youtube.com/watch?v=ARKJfrMM29E


そして2009年9月には、セカンド・アルバム『Dmuyot』をリリース。イスラエル国内でゴールド・ディスクを獲得しています。

さて、かようにして現在ではイスラエルを代表する人気アイドル・シンガーとして、特に女性ファンを多く抱えているアレル・スカットが、ゲイであることをカミング・アウトしたのは、先月(10月)のことです。イスラエルのテレビ局・チャンネル2で放映されたドキュメンタリー番組の中で、ゲイであることを初めて公に認めたのだそうです。

Harel Skaat Is Now Officially Gay (wiwibloggs, 2010.10.27)

アレル・スカットがゲイではないかという噂は、実は数年前から既に囁かれていたんだそうです。上のリンク先の記事では、「ガラスのクロゼットからようやく出てきた」という言い回しが用いられています。ガラスのクロゼット――つまり、誰の目にも彼がゲイであることは明らかであった、という意味です。

件の番組の中で、彼は次のように語ったそうです。

「僕はプライヴェートを秘密にしたがる人間なんだけど、その一方で、隠し事は一切ないんだよ。ボーイフレンドがいても、世間から隠すつもりはない。こういうふうに生まれたのは神の思し召しなんだから、僕は僕のことが好きだし、これでいいんだと思ってる。」


アレル・スカットの最新シングルは、ユーロヴィジョン・ソング・コンテストの参加曲であるバラード、「Milim」。そのヴィデオ・クリップをご覧ください。

"Milim"
(2010)

http://www.youtube.com/watch?v=CUV5r281XLY


この「Milim」には、英語ヴァージョンやフランス語ヴァージョンもあります。英語ヴァージョンのタイトルは「Words」。こちらも併せてご覧ください。(映像の内容は「Milim」と同じです)

"Words"
(2010)

http://www.youtube.com/watch?v=uaAqFInNZxo


2010.11.06 Top↑
当ブログの2008年12月21日のエントリでは、ゲイ・メンズ・コーラス、つまりゲイ・オンリーの男声合唱団を、いくつか紹介しています。

そのうちの一つである、ゲイ・メンズ・コーラス・オブ・ロサンゼルス (Gay Men's Chorus of Los Angeles)が、シンディ・ローパーの「True Colors」をパフォーマンスする映像を、新たに公開しています。Out.com が、11月3日付の記事でこれを紹介しました。

It Gets Better: The Musical (Out.com, 2010.11.03)

この「True Colors」の映像は、前回前々回のエントリでも触れている It Gets Better Project のサポートとして収録されたものです。

上のリンク先の記事によると、このパフォーマンスには、ゲイ・メンズ・コーラス・オブ・ロサンゼルスのメンバーのみなさんの友人やアライのみなさんも加わっており、プレスビテリアン教会の体育館で映像の収録が行なわれたそうです。

どうか、ご覧ください。

"True Colors"
(2010)

http://www.youtube.com/watch?v=KnYa9R4N-8c


2010.11.04 Top↑
前回のエントリでも触れていますが、今アメリカでは、同性愛を理由に残酷ないじめに遭ったティーンネイジャーたちが、次々と自らの命を絶っています。

こうした事態を受けて、オープンリーのLGBTの著名人や、さらには年齢や性別、職業もさまざまな一般のLGBTの当事者のみなさん、そしてLGBTを支援するアライのみなさんなど、実にたくさんのかたたちが、YouTube を通じて、"It Gets Better."のメッセージを発信し続けています。

It Gets Better Project

そして、以前このブログでも紹介したことのある、ガイアナ共和国出身のオープンリー・ゲイのソウル・シンガー、ノッジ (Nhojj)が、この It Gets Better Project にインスパイアされた新曲「Things Will Get Better」を発表しました。

ノッジ バイオグラフィー (Queer Music Experience.) ←読んでね。

孤独に苛まれているLGBTのティーンネイジャーたちに寄り添うかのような、静かで優しい旋律は、やがてトライバルな躍動感を増していき、「人生は必ず、もっと明るいものになる、僕は約束する」という、前向きで力強いメッセージが歌われます。

生きることに絶望し、死の淵へと吸い寄せられている10代のLGBTに向けて、ノッジから送られた生命のメッセージ、「Things Will Get Better」。この曲のフル・コーラス試聴は、下のリンク先のサイトで可能となっています。歌詞も掲載されているので、このブログをご覧くださっているみなさんも、ぜひ聴いてみてください。

New Music Monday - Things Will Get Better (Nhojj.com)

「Things Will Get Better」ジャケット


2010.11.04 Top↑
私、クラシカル・ミュージックには全く疎いんです。すみません。だから、オープンリー・ゲイの指揮者や演奏家、声楽家の名前を、あまり知りません。

そういうわけで、スティーヴン・ライニキー (Steven Reineke)の名前も、Out.com に11月1日付で掲載されたインタヴュー記事を読んで、初めて知りました。

Catching Up With: Steven Reineke (Out.com, 2010.11.01)

スティーヴン・ライニキーは、全米最大級のポップス・オーケストラ(ポピュラー音楽に特化した交響楽団)である、ニューヨーク・ポップスの音楽監督を現在つとめている、作曲家・編曲家です。

作曲家としてのスティーヴン・ライニキーは、主に吹奏楽曲の作品で知られているようです。吹奏楽のサークルに所属しているゲイの友人が私には何人かいますが、吹奏楽ファンにとっては、スティーヴン・ライニキーの名前は、一般的なのかな?

スティーヴン・ライニキー
(画像はスティーヴン・ライニキー公式サイトより)


さて。

今回 Out.com に掲載された、スティーヴン・ライニキーのインタヴューなんですが、ロック/ポップスの世界で活躍しているオープンリーのLGBTアーティスト/ミュージシャンのインタヴューとは、一味ちがった面白さがありました。いくつかの部分を、下に引用してみます。

あなたはクラシック音楽界で、ゲイであることを最もはっきりと公言している一人ですよね。

「(間を置いてから)うん、そうなのかな。正直な話、そういったことは全く考えてなかったんだけど。」

それはまたどうしてですか? クラシック音楽界は、そこまで進化していると?

「クラシックの世界は、もっと寛容なんだ。――芸術の世界は大概そうさ。だけど、僕はいつだって普通の男だったよ。僕はご婦人からも好かれるし、彼女たちは僕が目当てでコンサートにやってくる。同伴させられてる旦那さんたちからも、嫌われたりはしてないよ。僕は大のスポーツ・ファンだから、フットボールの話ができるしね。」

ニューヨーク・ポップスの来季のラインナップは、10月の ABBA コンサート、11月の(スティーブン・)ソンドハイムの80歳のバースデー・パーティー・コンサート、そして3月には、ジュディ・ガーランドのカーネギー・ホール公演50周年記念コンサートが含まれています。あなたは「普通の男」なのかもしれませんが、こんなにゲイ的なラインナップを、はたして「普通の男」が選べるでしょうか?

「(笑)そうだね。でも正直なところ、それは意図してのものじゃないんだ。シーズンのラインナップをまとめるとき、僕が第一に考えるのは、オーディエンスのこと。第二に、オーケストラの音楽家や演奏家たちのこと。僕自身のことはいちばん後回しだ。『来季はゲイ的なラインナップにしてやろう』とかいうのはないよ。僕のエゴは排除して、バランスをとろうとしている。」


ゲイであることはオープンにしていても(いや、オープンにしているからこそ)、「僕は普通の男だよ」と、ついついアピールしてしまう。よくあることですが、それに対するインタヴュアーのツッコミには、山田くんに座布団を3枚くらい運んできてもらいたいです。

そして、自身の性的指向と、作曲活動とのあいだの関係については、次のように述べています。

ゲイであることは、あなたの曲作りに、どのような意味がありますか?

「ゲイであることは、僕の曲作りには全く何の影響も及ぼしていないね。」

それでは、何が影響しているのですか?

「僕の音楽は、とっても視覚的なんだ。目を閉じて僕の作品を聴くと、心の中に映像が浮かび上がってくる。僕はしばしば、土地や場所からインスパイアを得るんだ。ウエスト・ヴァージニアで体験した急流の川下りの体験は、『激流の中へ(Into the Raging River)』という作品に結実した。僕の作品で最もポピュラーな『ピラトゥス~ドラゴンの山(Pilatus: Mountain Of Dragons)』は、スイスの山と、そこに棲んでいると言われているドラゴンの昔話から着想を得たんだ。『ザイオンの神殿にて(In the Temple of Zion)』は、ザイオン国立公園についての曲だ。」


当ブログの2010年10月2日付のエントリでも触れていますが、音楽と性的指向との関係は、そのアーティスト/ミュージシャンが、どのようなスタンスで音楽活動に取り組んでいるかによって変化します。そのアーティスト/ミュージシャンが、もしも自己表現の手段として音楽に取り組んでいるのであれば、その音楽と性的指向は無関係では有り得ない。しかし、自己表現ではないのであれば、そのアーティスト/ミュージシャンの音楽は、確かに性的指向とは無関係です。

「土地や場所からインスパイアされる」というスティーヴン・ライニキーの作品も、確かに彼の性的指向とは無関係なのでしょう。

たぶん彼のゲイ性は、作曲活動よりも、音楽監督としての活動に表れ出ている気がします。ニューヨーク・ポップスの来季のラインナップは、まさにその好例ですよね。まあ、彼自身は「意図してのものではない」と笑いながら否定していますが、そのラインナップが示しているゲイ性そのものは、否定していません。



そして。

今アメリカでは、同性愛者であることが理由でいじめに遭ったティーンネイジャーの自殺が、立て続けに起こっています。

これを受けて、オープンリーのLGBTの著名人だけでなく、年齢や性別、職業もさまざまなLGBTの当事者と、そのアライのみなさんが、YouTube を通じて、"It Gets Better."のメッセージを発信し続けています。

YouTube - It Gets Better Project

この問題についても、ライニキーは質問に応えています。

これまで、ゲイのティーンネイジャーたちからの声は受け取ったことはありますか?

「二度ほどあるよ。僕がカミング・アウトしているのを知っている若い学生が、ソーシャル・メディアを通じてメッセージを送ってきた。そこには、『僕は、あなたから強い影響を受けています。ゲイであることを隠さずにいるあなたをロール・モデルにして、大学では音楽を専攻しています』と書いてあった。とても力強かったね。」

自分の性的指向を受け入れられずに苦しんでいる十代のために、何かアドヴァイスをお願いします。

「ダン・サヴェジや、それ以外にもカミング・アウトしているみんなが言っているように――状況は、絶対に良くなっていくよ。自分の人生は、もっと自分でコントロールしなくちゃ。必要となる友だちが、ちゃんと周りにいてくれる環境を作ること。それが、あらゆる人へ送る、僕からのアドヴァイスだ。『良き人々の中に身を置きなさい。ネガティヴな人や、その人が発するネガティヴなエネルギーなど、誰も求めてはいないのだから』ということなんだ。人は、周りの人々が発するエネルギーに、どんどん感化されていくものだからね。」




"Pilatus: Mountain Of Dragons"
ピラトゥス~ドラゴンの山


http://www.youtube.com/watch?v=HbtU5JHThOo



激流の中へ:スティーヴン・ライニキー作品集 INTO THE RAGING RIVER: THE MUSIC OF STEVEN REINEKE激流の中へ:スティーヴン・ライニキー作品集 INTO THE RAGING RIVER: THE MUSIC OF STEVEN REINEKE
(2002/08/01)
不明

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スティーヴン・ライニキー公式サイト



2010.11.03 Top↑
英語圏以外の地域のエンタテインメント情報も、結局は英文記事を通じて初めて知ることが多い私です。今回のエントリの話題も、ソースは英文記事です。

ベルギーで活躍しているオープンリー・ゲイの歌手兼俳優、ティモ・デシャン (Timo Descamps)のミュージック・ヴィデオ、「Like It Rough」が、11月1日、アメリカのゲイ&バイ男子向けエンタテインメント・ニュース・サイト、AfterElton.com で紹介されていました。

Timo Descamps Asks If We "Like It Rough." We Think We Might (AfterElton.com, 2010.11.01)

記事によると、この「Like It Rough」という曲は、ティモ・デシャンが主演しているインディー映画「Judas Kiss」の主題歌だそうです。「Judas Kiss」は吸血鬼テーマのゲイ映画で、これから全米各地のゲイ映画祭で上演されていくようです。

「Judas Kiss」公式サイト

ティモ・デシャンは、1986年5月27日生まれの24歳。2004年にテレビ・ドラマの俳優としてデビュー。今回の「Judas Kiss」が初めての映画出演だそうです。

歌手デビューは2007年。シングル「Phonecall」がベルギーのヒット・チャート(正確にはフランドル全域を対象としたヒット・チャート)、Ultrapop50で、最高36位を記録したそうです。ジャケットの雰囲気からすると、当時はアイドル的なポジションにいたのかな?

「Phonecall」ジャケット写真


"Phonecall"
(2007)

http://www.youtube.com/watch?v=uw78bch6LZk




ティモがカミング・アウトしたのは、昨年の6月。オランダの児童文学が原作のミュージカル『Crusade in Jeans』で共演した俳優、ダニー・デ・ヨン (Danny De Jong)との交際を、ここで明らかにしています。そのときの記事が、以下のリンクです。

Spring-acteur Timo Descamps blijkt homofiel (Gazet Van Antwerpen.be, 2009.06.10) ←オランダ語です。

さて、おそらくはカミング・アウト後の初のシングルではないかと思われる、件の「Like It Rough」なんですが、ロック調だった「Phonecall」からは一転、四つ打ちのクラブ・ミュージックとなっています。これを紹介する AfterElton.com の記事は「ユーロヴィジョンっぽいサウンド」などと身もフタもない書き方をしていますが(笑)、それでもこのミュージック・ヴィデオが AfterElton.com で取り上げられている理由、それは、男性同士のキス・シーンが、堂々と描かれているからなんです。

というわけで、ベルギーのオープンリー・ゲイ・シンガー兼、俳優のティモ・デシャンの新曲「Like It Rough」のミュージック・ヴィデオをご覧くださいませ。



"Like It Rough"
(2010)

http://www.youtube.com/watch?v=XO2n-m9dpC0




ティモ・デシャン公式サイト(オランダ語です)


2010.11.02 Top↑
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