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 昨年(2013年)にイギリスでブレイクを果たして以降、既に3曲のシングルが全英チャートの No.1に輝いている、現在大躍進中のブルー・アイド・ソウル・シンガー、サム・スミス (Sam Smith)

 そのサム・スミスの性的指向が、かねてから英米のゲイ・メディアでは、話題になっていました。

サム・スミス


 5月22日には、彼の最新のミュージック・ヴィデオ「Leave Your Lover」が、YouTube で公開されたのですが、その内容には男性同性愛の要素があり、公開開始の翌日には、アメリカのメジャー・ゲイ雑誌『Out』誌のサイトに、サム・スミスの性的指向を憶測する記事が掲載されました。

 その記事が、こちら。

 ※Did Sam Smith Come Out in His Latest Video? (Out Magazine, 2014.05.23)

 この記事の中で、憶測の根拠として挙げられていたのは、彼がその交際関係を常に曖昧にしていることと、『The New York Times』紙からのインタヴューに答える中で、ビヨンセやホイットニー・ヒューストンといったディーヴァたちや、ジョージ・マイケル、エルトン・ジョンといったアーティストたちが好きだと語っていたこと、などでした。

 そして、この記事は、最後には、“Is this Smith’s subtly not-so-subtle way of coming out? Or just a tease to get us riled up?”という一文で締めくくられていました。

 私個人としては、こうした性的指向の憶測報道は、それが異性愛者側からのものであれ、LGBT側からのものであれ、好ましいとは思っていません。

 同性愛の指向を、あくまでも仄めかし程度に留めておいて、わざと曖昧にするという表現方法も、それはそれで、性的指向について表現者としてどのようなスタンスをとるかという表明の、一つの形なのだから、オーディエンスはそれをそのまま受け止めればいいというだけの話であって、少なくともマス・メディアが一喜一憂する必要はないと思っています。

 だから、サムのように、性的指向を曖昧にしているアーティストに対して、「白か黒かハッキリしろ」と、マス・メディアが苛つくのは、それがたとえ『Out』誌のようなゲイ・メディアであっても、大きなお世話でしかないと、理屈の上では思います。

 とはいうものの、サム・スミスがゲイであったとして、彼のように今が旬のアーティストが、ゲイであることをカミング・アウトしてくれたら、と期待する気持ちが、私の中にあったのも、また事実でした。

 だから私は、『Out』誌の記事が出て以降は、サムの性的指向にも個人的には関心を寄せていました。

 そして、5月26日、サム・スミスの待望のデビュー・アルバム『In the Lonely Hour』が、ついにリリースされました。

サム・スミス『In The Lonely Hour』ジャケット


 その『In the Lonely Hour』のリリースから2日後の5月28日、サムは、アメリカの音楽誌『The FADER』からのインタヴューに応えて、このアルバムは、彼自身の報われなかった男性との恋愛体験にインスパイアされたものであるということを、明らかにしました。

 『The FADER』誌のインタヴューの全文は、こちら。
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2014.05.30 Top↑
 私の目に留まったLGBTミュージック関連のニュースのすべてを、逐一記事にしていくのは、ちょっと私には無理なので、あれやこれやと詳細に語りたいものについてだけ、これまではこのブログで記事にしていたのですが、一週間に報じられたニュースのダイジェスト版をまとめて毎週掲載するというやり方もあるなと思い、それを試験的に始めてみることにしました。

 しかし、このやり方も、これはこれで、私が考えていた以上に手間暇がかかったので、今回限りの企画倒れに終わるかもしれないし、次回の掲載があったとしても、今回以上に手を抜いた内容になっている可能性が大です。

 まあ、とにかく、今回は、2014年5月19日から25日のあいだの、私の目に留まったLGBTミュージック関連のニュースを、ざっと紹介していきます。

 ちなみに、これは特に意識した結果ではないのですが、ゲイ・コミュニティの排他性の強さについて言及しているアーティストの話題が、2組もあった(しかも音楽性は全く異なっている)のは、ちょっと興味深いところです。
2014.05.25 Top↑
 やったよ! やってくれましたよ!

 当ブログの昨年(2013年)11月14日付の記事で紹介した、今年度(2014年)のユーロヴィジョン・ソング・コンテストのオーストリア代表、ドラァグ・クイーン・シンガーのコンチータ・ヴルスト (Conchita Wurst)が、5月10日の夜(日本時間の11日未明)にデンマークのコペンハーゲンにて開催された決勝で、見事、優勝を果たしました!

コンチータ、おめでとう!!


コンチータ・ヴルスト バイオグラフィー (Queer Music Experience.)←新しい情報を書き加えてあります。

コンチータ・ヴルスト
(画像は Attitude Magazine 公式サイトの記事から)


Austria’s Conchita Wurst wins Eurovision Song Contest (Attitude Magazine, 2014.05.11)

Conchita wins Eurovision (Gay Star News, 2014.05.11)

 コンチータ・ヴルスト優勝のニュースは、ここ日本の大手メディアでも報じられました。

オーストリア代表の「ひげの女装歌手」が優勝、欧州歌謡祭ユーロビジョン(AFPBBNews, 2014.05.11)

(この AFP やロイターの日本語記事、さらにはフジテレビ系列で5月17日に放映された『世界 HOT ジャーナル』などといった、大手メディアによる日本での報道の大半は、コンチータ・ヴルストの名前を、英語読みの「ウルスト」と表記・発音しています。私に確認できた範囲内での例外は TVK テレビ[テレビ神奈川]で、この局で毎週水曜日に放送されている『Billboard TOP40』の5月14日放送分では、VJ の中村真理さんが、コンチータのことを「コンチータ・ヴルスト」と、ドイツ語読みで紹介なさっていました。)



 さて。

 この記事の冒頭でリンクを張った、当ブログの昨年11月14日付の記事の中でも触れているように、昨年の10月、コンチータ・ヴルストがユーロヴィジョンのオーストリア代表に決定した直後には、Facebook 上にアンチ・コンチータ・ヴルストのページが作成され、「いいね!」の数が40,000を超えるという騒動が起こりました。

 また、ベラルーシでは、ユーロヴィジョン本選でのコンチータ・ヴルストの出演場面を放送禁止にするよう、2,000人が署名したという請願書が、ベラルーシの情報省に提出されるという事態も起こりました。

 これらの反発は、いずれも彼女がトランスヴェスタイト(異性装)のゲイであるという、たったそれだけの理由からでした。

 特に、ベラルーシでの署名運動の中心人物の一人であったアルチョーム・キラショウなどは、その同性愛嫌悪を全く隠そうともしていませんでした。露骨なまでの嫌悪ぶりを、キラショウは、マス・メディアを通じて、全世界に向けて発信していました。

 こうした騒動があったことから、コンチータ・ヴルストの存在は、今大会の大きな話題の一つとなっていました。そして、5月8日のセミ・ファイナル前に開かれた記者会見の様子は、日本のマス・メディアでも報じられました。

「ひげ面の女装歌手」が話題独占、欧州歌謡祭(AFPBBNews, 2014.05.09)

 同じく5月8日付で、イギリスのメジャー・ゲイ雑誌『Attitude』誌のサイトに掲載された記事の中では、コンチータは、「どうして女装姿なのに髭を生やしているのか」という質問に、次のように答えています。
2014.05.21 Top↑
 前回の記事では、2014年4月27日(日)に東京・渋谷の代々木公園にて行なわれた『東京レインボープライド2014 パレード&フェスタ』の、イヴェント全体に関する私の個人的な印象を述べました。

 そして今回の記事では、その『東京レインボープライド2014 パレード&フェスタ』のステージで繰り広げられた、個々のパフォーマンスについて、書いていきます。

TOKYO RAINBOW PRIDEの横断幕


 ただし、前回の記事にも記しているとおり、私がじっくりと腰を据えて拝見したのは、実は午前の部のステージだけです。午後からは、友人とディスカッションをしながら、イヴェント全体をやや離れたところから俯瞰していたので、したがってこの記事でご紹介させていただくのは、午前の部の出演者に限らせていただきます。申し訳ありません。



 さて、この日、司会を務められたのは、ホラー系女装として有名なエスムラルダさんと、そしてシンガー・ソングライターのキムビアンカさん。キムビアンカさんによるライヴ・パフォーマンスの前後には、キムビアンカさんの代わりに東 小雪さんが、エスムラルダさんと共に司会を務められました。
司会のキムビアンカさんとエスムラルダさん


 オープニングでご挨拶のために登壇なさった、共同運営委員長の山田奈津美さんと、同じく共同運営委員長の矢島竜也さん。
山田奈津美さん、トビー、矢島竜也さん、にんに君
(右から、山田奈津美さん、TRP 公式ゆるキャラのトビー、矢島竜也さん、
日本テレビ系列『火曜サプライズ』の番組キャラクターの「にんに君」)




 そして、ステージ・パフォーマンスがスタート。最初に登場なさったのは、このブログではおなじみの、虹組ファイツのみなさん。2曲を披露なさいました。

虹組ファイツ1

虹組ファイツ5


 引き続き、同じく「ゲイ・アイドル」枠で、二丁ハロのみなさんが登場。

二丁ハロ1

二丁ハロ2


 その後、各フロートの紹介を挟んだのちに、GID (性同一性障害)をモチーフとした劇団、トランス☆プロジェクトのみなさんが登場。今年の10月に再演が予定されているという、劇団初のミュージカル作品の一幕を、この東京レインボープライドのステージで演じられました。

トランス☆プロジェクト


 続いては、既に00年代の前半のころから、日本のプライド・イヴェントには欠かせない存在となっている、エイサーの新虹(あらぬーじ)のみなさんの演舞と、「“みんな”でブラス!」。

 そして、午前の部のラストを飾ったのは、司会も務められているキムビアンカさんのライヴ・パフォーマンスでした。

キムビアンカ5


 先にも書いたとおり、私は午後の部のステージは、ちゃんと腰を据えて拝見させていただいたわけではないのですが、この日の午後の部には、昨年(2013年)11月7日にフジテレビ系列で放送された『アウト×デラックス』へのご出演の中でゲイであることをカミング・アウトなさった、音楽芸人のこまつさんがメンバーとして所属なさっている、インストゥルメンタル・バンドの HMC BAND の出演がありました。

 こまつさんについては、いずれ何らかの形で記事として取り上げさせていただきたいと思っています。




 さてさて。

 午前の部の出演者のみなさんのうち、ここでは特に、虹組ファイツのみなさんとキムビアンカさんのステージの様子について、クローズ・アップさせていただきます。
2014.05.08 Top↑
 2014年4月27日(日)は、渋谷で行なわれた『東京レインボープライド2014 パレード&フェスタ』に、私も足を運んでまいりました。

 とはいえ、当日の私は、実際にパレードを歩いたわけではなく、またステージの内容をじっくりと拝見したのも、実は午前の部だけだったりするのですが。

 寝不足と、それから人混みが辛かったのとで、午前の部が終了してからは、パレード参加受付をすることもなく、日影のベンチに座って、グッタリとしていました。

 そして午後からは、数年ぶりに再会した、私と最もウマの合う友人と2人で、パレードの出発や帰着の様子を眺めながら、今回の参加者層が見た目にはどのようなものであったのかを分析したり、各フロートの人数分布をチェックしたり(2人とも分析癖のある人間なので)、また、時には莫迦話を差し挟みつつ、イヴェント全体を俯瞰しながら、互いの意見を交わし合い、ディスカッションをして時間を過ごしました。

 そのようなわけで、今回の私は、会場に足を運んではいたものの、参加者というよりは、むしろ傍観者の立場にいました。

 そんな私が、今回のプライド・パレードについて何かを語ったところで、それは運営側の事情・心情というものを斟酌できていない、一方的なものだろうとは思います。

 ですが、傍観者の目から見た一つの意見として、ここでは私個人の感想、というか印象を、述べてみたいと思います。



 先ず、私が初めて実際にプライド・パレードを体験した、00年代前半のころと比べると、性の多様性の可視化の実現が、本当に進んでいると実感しました。

 たとえば、00年代前半の日本のプライド・パレードでは、トランスジェンダーのかたたちの参加は、今ほど数は多くなかったです。

 そういう以前に、女性のかたの参加自体も、まだまだ少なかった。

 それから、会場で見かける外国人のかたの姿も増えたし、お子さんのいらっしゃるLGBTのステップファミリーのかたの可視化も、これは本当に著しく進んでいます。

 こういった、セクシュアル・マイノリティという大きな枠組の中での、それぞれの性の領域の可視化が進んでいるのに加えて、一般企業からの協賛や広告の増加、欧米の大使館からの後援など、既存の社会に対してのセクシュアル・マイノリティ総体としての可視化も、非常に進んでいます。

 これらのことは、00年代前半のころの日本のプライド・パレードでは、実現されていなかったことです。

 その意味では、現在の東京レインボープライドは、00年代前半のころの東京レズビアン&ゲイパレードに比べて、確実に進歩しているし、これからも基本的には今のままの方向性で、進歩と成長を続けていってほしいと、本気で願っています。

 ただ、ですね。

 だからといって、00年代前半のころの日本のプライド・パレードが、女性やトランスジェンダーのかたたちの存在を排除していた、というわけでは、全然ありませんからね。念のため。

 当時の日本のプライド・パレードの運営側も、女性やトランスジェンダーのかたたちに、もっともっと表に出てきてほしいと願っていたし、それを実現するための努力を怠っていたわけでもありませんでした。

 そもそも、セクシュアル・マイノリティと一口にいっても、それは決して一枚岩ではないのだから、無条件で連帯ができるわけではないんですよね。

 これというのは、たとえば1994年に行なわれた、日本で初めてのプライド・パレード『東京レズビアン・ゲイ・パレード』の参加者が、300人だった(今年の東京レインボープライド2014の公式ガイドに掲載されていた、当時の主宰を務められた南定四郎さんの談による)というのと、たぶん同じことです。

 要するに、たとえ同じセクシュアル・マイノリティ同士であっても、プライド・パレードの開催・参加への理解というのは、徐々にしか拡がっていかない、ということです。

 ということは、つまり。

 参加者が少なかった時代のプライド・パレードの運営側のかたたちほど、まだ姿を見せていない、同じセクシュアル・マイノリティの人々に対して、「もっと参加してほしい、もっと表に出てきてほしい」という気持ちを、より強く、より切実に抱いていたはずなのです。

 私が実際に体験した、00年代前半のころの日本のプライド・パレードの運営側も、それはやはり同じでした。

 既に参加者が増えていたゲイやバイの男性だけではなく、当時はまだまだ参加が少なかった、女性やトランスジェンダーのみなさんの参加を、当時の運営側は、強く強く望んでいました。そのことは事実であると、私は断言できます。というのも、当時の日本のプライド・パレードの運営の中枢にいらっしゃったかたたちの何人かを、私は個人的に存じ上げているので。

 つまり、00年代前半のころの日本のプライド・パレードは、確かに2014年の現時点に比べると、女性やトランスジェンダーのかたたちの参加が少なかったけれども、それは当時の日本のプライド・パレードが、女性やトランスジェンダーのかたたちの存在を視野に入れていなかったというわけではないんです。

 むしろ、その逆です。

 そして。

 00年代前半当時の日本のプライド・パレードの運営側は、異性愛社会に向けたメッセージだけではなく、ご自分がセクシュアル・マイノリティであることを受け入れられずにいらっしゃるかたたち、つまりクロゼットのかたたちに向けて、前向きなメッセージを発信することも、強く意識されていました。

 そのメッセージを受けて、クロゼットから外に出てきて、ゲイ・コミュニティに足を運び入れるようになった、その一人が、何を隠そう隠しませんが、この私です。



 というわけで。

 いささか回り道にはなりますが、この私が、どのようにしてクロゼットから外に出てきたのかを、ここで語らせてください。

 私個人について興味のないかたにはつまらない話だということは重々存じておりますが、どうかお付き合いをお願いいたします。
2014.05.04 Top↑
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