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友達と呼ばれるだけで上出来

きのう(9月14日)発売された『yes』第4号は、自分のアンテナにはこれまで引っかかってこなかったトピックや、あるいは自分の情報収集能力だけでは詳細がわからなかったことなどが、たくさん掲載されていて、ものすごーく得をした気分になりました。

この第4号にインタヴューが掲載されている、中村中(なかむら・あたる)のことを、自分はこれまで、まったく知りませんでした。どうも最新の邦楽の情報には疎いもので。




中村中さんは、エイベックスに所属のシンガー・ソングライターだそうです。今年の6月に、シングル「汚れた下着」でデビュー。そして今月の6日に、2枚目のシングル「友達の詩」をリリースしたばかり。

というわけで、「友達の詩」のヴィデオ・クリップを、中村中さんの公式サイトで、ぜひ視聴してみてください。

恋愛中毒 中村中 Official Website



――で、ですね。

その「友達の詩」が発売された直後の、9月11日のことなんですが。

中村中さんについて、以下のような記事が、『スポーツ報知』に掲載されていました。

中村中がドラマで性同一性障害カミングアウト

スポーツ紙の記事は、少し時間が経つとすぐにサーバから消えてしまうので、全文を以下にコピペしておきます。

 男性シンガー・ソングライターの中村中(あたる、21)が、日テレ系ドラマコンプレックス「私が私であるために」(10月10日、後10時)で、性同一性障害(GID)の悩みを抱える役柄に挑戦する。

 実は中村はGIDで悩んでいた。「歌をやっていく上で、GIDを考えて歌っているつもりはない。これからもそう」。色をつけて見られることを恐れ、6月のデビュー以降、障害については触れず活動を続けてきたが、GIDがテーマのドラマがあることを知り、立ち向かうことを決意。

 撮影を後日に控え、都内でレッスンに励む中村は「最初は打ち明けることに反対だった」と、迷いがなかったわけではないが「やり遂げるべきものなのかもしれないし、自分の中で何かが軽くなるのかもしれない。何かメッセージが伝わるんじゃないかと思う」。

 6日には2枚目のシングル「友達の詩」を発売したばかりの新人。演技の経験も皆無だが、人生をかけて問題に立ち向かうつもりだ。


(2006年9月11日06時02分 スポーツ報知)


――というわけで。

読んでもらえればおわかりのように、中村中さんは、この記事の中で「男性シンガー・ソングライター」扱いされているわけです。

記事の主旨そのものは、中村中さんの勇気を讃えているわけだから、これを書いた記者の人には、決して悪意はなかったんだと思います。

そう思いたいです。

ただ、これを書いた記者の方は、性同一性障害について正しい理解があったとは言いがたい。そのことは否めないと思います。



性同一性障害というのは、戸籍上(身体上)の性と、性自認(自分が認識している自分の性)が一致していない、という状態なわけです。

ということは、

戸籍上の「男性」という性に苦痛を感じている人を、「男性」として記事の中で紹介するのは、明らかに非礼なんですね。



おそらく、この記事を書いた方は、こう考えていたのではないかと思います。つまり、戸籍上の性が「男性」であるならば、たとえ性同一性障害であっても、その人はあくまで「男性」である、と。

でも、それこそが性同一性障害への「誤解」なんですね。まさしく。



この『スポーツ報知』の記事を取り上げて記事を書いているブログも、いくつか拝読しました。多くのかたたちが、性同一性障害に理解を示そうというスタンスで書いていらっしゃいました。

ところが。

そういったスタンスで記事を書いていても、結構多くの方々が、中村中さんのことを「男性」と紹介しているんですよねー。



たぶん、中さんがMTF(male to female)であることを読者にわかりやすく示そう、という意図で、そういう書き方をされたのだろうとは思いますが。

でも、それを示す必要が、この場合にはあったのかどうか。

結局、かなりの数の人が、性同一性障害のことをちゃんとわかっていないのでは? という気がします。



ちなみに、中さんがデビューしたころのBARKSの記事も、併せて紹介しておきます。

衝撃のシンガーソングライター中村 中、ついにデビュー

以下は、本文からの引用です。

20歳という若さにして、ただならぬ妖艶な雰囲気を振りまく彼女の名は、中村 中(ナカムラ アタル)。岩崎宏美に楽曲提供を行なうなど、ソングライターとしての実力はすでに立証済みの彼女が、6月28日に1stシングル「汚れた下着」でついにデビューを果たす。

子供の頃から歌うこと以外にほとんど興味を示さなかったという彼女。しかし、10代初めに自分の声に違和感を感じて人前で歌うことを嫌うようになり、その反動をピアノにぶつけたことがきっかけで、音楽の道へと入っていった。そんな彼女の持ち曲は、デビュー前にして100曲以上。そして長い時間を経て、ついに自らの声で歌うことを決意し、今回デビューをするに至った。そんな彼女の第1弾シングルは、“浮気”をテーマに歌った曲「汚れた下着」。独特な質感を持つ彼女のセンスは、衝撃を与えるに違いない。(以下、略)


この記事を読めばわかるとおり、カミングアウトする前は、中さんは無条件で「彼女」という代名詞を使われていたわけです。

ところが。

性同一性障害をカミングアウトしたとたん、『スポーツ報知』の記事のように、いきなり「男性」扱いになってしまうわけです。(まあ、この2つの記事を書いた人は同一のかたではありませんが。)



繰り返しますが、戸籍上の性が、性を自認する上での苦痛となっている、それが性同一性障害なんです。それに理解を示そうとするのであれば、中さんのことを戸籍上の性に従って「男性」と紹介するのは、非礼に当ります。

そのことに、もっと多くの人が気づいてほしいと思います。






自分がこのように攻撃的な書き方をすると、これを読んだ人は、中村中さんの性について語るのを、避けるようになるかもしれません。

でも、それもちょっと違うんです。

以前、シンガー・ソングライターのKAB.が、FTM(female to male)であることを告白したとき、音楽ジャーナリズムの大半は、KAB.の真摯な告白を黙殺しました。

そしてKAB.のファンの人たちも、KAB.がFTMであるという話題に触れるのを、今現在も、ずっと避け続けています。



KAB.に限らず、アーティストが自身の同性愛や性同一性障害を告白すると、以前からのファンは、その事実を「触れてはいけないタブー」にしてしまう傾向が、特に日本人は、非常に強いんです。

話は少し横道に逸れますが、米良美一さんが暴行事件で逮捕されたとき、米良さんのファンの女性のかたが運営されていたファンサイトで、管理人のかたが、ものすごくヒステリックに、

「米良さんはオカマなんかじゃありません!」

とトップページに書いていたことがあったんです。

しかも、わざわざフォントサイズを上げて。

それを見て私がビックリしたのは、「この人にとってショックだったのは、米良さんが逮捕されたことではなく、ゲイだったことなんだなー」、ということでした。

あんまりビックリしたんで、最後には笑えてきましたが。



まあ、斯様にして、日本の人は、性同一性障害や同性愛といった性の問題から、目を背けたがります。



どうしてそのような態度をとってしまうのかについては、さまざまな理由があるとは思います。

たとえば、差別的な意識は持っていないんだけれども、だからといって性同一性障害や同性愛についての詳しい知識もあるわけではないから、それらについて迂闊に語ってしまうと、「それは差別発言だ」などと非難されそうで、それが怖くて、あえて自分から語ることはしない、とか。

あるいは、性同一性障害や同性愛にあからさまに嫌悪を示すのは良くないという認識はあっても、それらの存在に肯定的というわけでもないから、アーティストの告白をあえて無視して(それが自分の好きなアーティストであっても)、性同一性障害や同性愛の事実そのものを、なかったことにしてしまおう、とか。



でも。

アーティストが性同一性障害や同性愛を告白した場合、もしもそのアーティストのことを本当に愛しているのであれば、「こうあってほしい」というファンにとっての理想像をそのアーティストに押し付けるのではなく、まずはそのアーティストの告白を受け入れて、そこから性同一性障害や同性愛を理解するように努めてほしい、と私は思います。

なぜなら、アーティストの性同一性障害や同性愛の告白は、そのアーティストからの「問題提起」でもあるからです。

もちろん、その告白の後先には所属レーベルのスタッフたちの思惑も絡んでいたりするので、それほど単純な問題ではないんだろうとは思いますが。

ただ、少なくとも言えるのは、現状の日本(に限らず、世界各国)では、芸能人が性同一性障害や同性愛を告白するのは、現実問題として、マイナス面のほうが大きい、ということなんですよ。にもかかわらず、あえてそれをするということは、告白の動機が何であれ、「性についての社会の意識に、一石を投じる」という性質が、自ずと備わってくるものなんです。

アーティストの告白が、音楽ジャーナリズムやファンから黙殺されたとしたら、それはつまり、アーティストがわざわざリスクを負ってまでして投じた一石を、メディアもファンも、見て見ぬふりをした、ということに、なりはしないでしょうか。

言葉は悪いですが、つまりは「逃げの姿勢」です。



結局のところ、性同一性障害や同性愛について語ることを避けてばかりいるから、それらについての誤解がいつまで経っても解けないんじゃないか、と思います。特に日本では。

たとえば、外国語を身につけようと思ったら、実際に声に出して話してみなければ、いつまで経っても上達しないでしょ?

それと似たようなものだと思うんですよ。

関心はあってもそれについて語ることをしないから、いつまで経っても誤解や先入観が解けないのではないでしょうか。



中村中さんのMTFの告白については、まだ中さんが新人なので、メディアからもリスナーからもそれほど大きく扱われていないのが現状だとは思います。

ただ。

これから先、中さんのことをメディアやリスナーがどう語るのか(あるいは語ろうとしないのか)、その部分に、日本の社会の、性に対する意識の成熟度が、如実に表れるだろう、ということは言えると思います。



私は、『スポーツ報知』の記事の書き方を、「性同一性障害について、正しい理解があったとは言いがたい」とは書きました。しかし、中さんの告白を記事として取り上げたこと自体は良かったと思っています。

なぜなら、記事として取り上げることをしなければ、中さんからの問題提起を黙殺することになってしまうし、こうして語ることをしなければ、性同一性障害への社会からの誤解を正すこともできないからです。

誤解を正すためには、誤解している側とされている側が、ちゃんと言葉に表して語り合うしかないんです。

もちろん、いくら語り合っても誤解を解こうとしない頑なな人も、いることはいます。

が、そういう人たちは、最初から差別意識をむき出しにしているケースが大半です。

そうではなく、「理解したい、解かり合いたい」と少しでも思っているかたたちがいらっしゃるのであれば、そのことをちゃんと言葉に出して語ってほしいと、私は思います。

そして、言葉を積み重ねていく中で、理解を深めていってほしいと思います。






ちなみに。

『yes』第4号に掲載されているインタヴューの中身ですが。

さすがに『yes』だけあって、中さんのことを「彼」とか「彼女」とかいった代名詞で表している箇所は、一箇所もないんです。

ホントに。

そして、このインタヴュー記事の中では、「性同一性障害」という言葉も、実は一切使われていません。

それというのは、たぶん、このインタヴューの中で、中さんが自身のことを、「私には、性がないんです」と述べているからだと思います。

戸籍上は男だが、自分ではそれに違和感を持っている。“男”という自覚はないし、“女”という実感もない。


だからこそ、この『yes』第4号の表紙では、中さんのインタヴューに『nonsexualを告白』という見出しをつけているんです。

実に見事な記事の作り方であり、そして素晴らしい編集方針です。



そして、このブログのエントリでは、中さんの音楽はそっちのけで、性の話題ばかり書き連ねてしまったんですが。

「友達の詩」のヴィデオ・クリップを視聴されたかたならおわかりのとおり、実に素晴らしい曲を作り、実に素晴らしいヴォーカルを聴かせるアーティストなんですよ、中村中という人は。

『yes』のインタヴューでは、中さんは「友達の詩」について、以下のように述べています。

この曲は、ずっと好きなのに友達にさえなれなかった相手のことなんですよね。だから、友達と呼ばれるだけでも上出来かもしれないねっていう曲です。初めて、“この人好きだな”って思った人と、離れなきゃいけなかった時期に、書き始めたんです。中3だったんですけど、5年くらい好きだった人で。この人を好きになることが、おかしいんだなっていう自覚が、少しずつ生まれて来た


最初に書いた曲だから思い入れはあるけど、一番大事というわけではない。でも大事かどうかより、絶対つきまとうんだろうな、この曲、と思ってる。特別なんでしょうね。嫌いでも悪くても、特別。ホントに説明できないんですよね、歌詞の韻を踏むとか、そんなこと全くできなくて、思ったことを書いただけだから。あんまり色々言われると、この曲が嫌いになっちゃいそう(笑)。実は、いい思い出が、あんまりないんです。だから、この曲が出来て、何も救われていない。ただ、自分のオリジナルができたということで、多少の自信になった


ひとつ言っておきたいのは、曲に“共感”されたくはないんです。曲を褒めてもらうのはいいんですけど、“共感しました~”なんて言われると、“じゃ私と同じ気持ちになってから言ってよ!”って思う


共感されたくはない、とのことですが。

「うわー、あたしもこういう気持ちになったことあるー」と感涙するリスナーは、きっと多いことでしょうね(笑)。

自分も初めて「友達の詩」を聴いたとき、そう思いましたから(笑)。



今の自分は、ノンケに片想いするのは徒労以外の何物でもないと思っている(笑)、ある意味ではベタベタのゲイなので、「友達の詩」を聴いてもリアルタイムでザクザク刺さってくる感じはあまりなかったんだけど、もしも自分がノンケに片想いをしていた10年前とかにこの曲に出会っていたら、まず間違いなく、ボーボーと大泣きしていたと思う。

自分は、中島みゆきさんとかユーミンのような、日本のゲイ・イコンの楽曲に、それほど深く馴染んでいるわけではないんだけど、そんな自分でも何となくわかることというのは、みゆきさんとかユーミンが日本のゲイから親しまれている理由と同じものが、中さんの「友達の詩」にはある、ということです。(事実、中さんは、荒井由実時代のユーミンやみゆきさんから影響を受けているそうです)



つまり、「友達の詩」に感涙するリスナーは、中さんの個人的な体験に共感しているわけではなく、

あくまでも、自分の体験に照らし合わせて涙しているわけです。



中さんの曲は、たとえ中さん個人の体験から生じた感情を表したものであっても、リスナーの一人ひとりが、自分の体験に置き換えて感情移入できるような作りになっていると思うんです。

それはつまり、ノンセクシュアルであることに悩み苦しんだ中さんの感情が、実は決して特殊なものではなく、本当は普遍的な、「人間としての感情」であることの証左、なのではないでしょうか。



ノンセクシュアルであるがゆえに抱いた悲哀が、性的指向や性の在り方の違いを超えて、普遍的な「人としての感情」として描かれている。

それは素晴らしいことだと思うんです。


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コメント

スポーツ報知の記者さんも、多分無意識に「男性シンガーソングライター」と書いてしまったんでしょう。おそらく何の疑問にも思わず書いてしまった・・・のかもしれません。でも、今の日本では、まだまだ認識が浅いんですね。(という私も多分不十分です。)
でも、その人が男性か女性か、同性愛者かどうかであるよりも、まずは人間としてどうか、ということに注目して欲しいですね。素晴しいアーティストだと思って尊敬していれば、男か女かなんてどうでもいいと思うんですよ。人間としての感情は同じですものね(私の経験では、悩んで悩んで悩みぬいた方のほうが精神性がかなり高いし、人々に多くの影響を与えてくれます)。それが社会では(ピートの言葉を借りれば)、何よりもその人の性のことばっかり注目されてしまうんですよね。それって、すごく損していると思うんです。その人に、もっと注目していれば見えるはずの素晴しいもの全てに対して目をつぶっていることになるんですからねぇ。文化的に痛手ですよ☆

中学時代の中村さんのように、「この人を好きになることが、おかしいんだな」って思わせる日本の教育、変えて欲しいですね。人を好きになるって、素晴しいことですよ。と、思うんですけど・・・^_^

はじめまして。
中村中さんについて書いたblogを検索していてこちらにたどり着きました。私自身、中村さんと同じように性同一性障害を抱える者として(自分のことをこのようにラベリングするのは好きではないんですが)報知さんの「男性シンガー・ソングライター」表記を残念に思っていたので、とても興味深く読ませていただきました。

1つだけちょっと疑問に感じたことがあるので、書かせていただきたく思います。Yesの記事で「中さんが自身のことを、「私には、性がないんです」と述べている」とのことなんですが、ここから中村さんが「『nonsexualを告白』」とするのはちょっと飛躍があるのではないかなと感じています。Yesの記事を読んだわけではないので、中村さんがそのように明示的におっしゃったのかどうか分からないのですが、「戸籍上は男だが、自分ではそれに違和感を持っている。“男”という自覚はないし、“女”という実感もない。」というのは、MtFの(広義の)トランスジェンダーにとって比較的よくある自己の客観像であり、それだけでnonsexualの表明とは言えないと思うのです。私自身はすでに性別適合手術を済ませ、戸籍の性別を女性に変更したMtFですが、中村さんの言うような自己像を持っています。だからといって、自分を中性と位置づけたいわけではない。そこには非常にアンビバレントな感情があるのです。

わたしは、中村さんの「友達の詩」をそうしたアンビバレントな感情を歌った歌として聞きました。もちろん、私と中村さんは同じではないので、中村さんの気持ちは分かりません。しかし、中村さんが聴衆から女性アーティストとして受容されることで、中村さん自身、女性であるという実感を得て幸せに生きられるかもしれないのです。もちろん、女性であるという実感を得ることが幸せなんていうのは、社会のバイアスを受けているからに他ならないのですが、それが個人の幸せなら、それを否定する権利は誰にもないと思うのです。だから、中村さんを社会の常識に対する闘士に仕立て上げるようなことをしてはいけないんじゃないか。それが私の思ったことです。

最後に、

>中さんの曲は、たとえ中さん個人の体験から生じた感情
>を表したものであっても、リスナーの一人ひとりが、
>自分の体験に置き換えて感情移入できるような作りに
>なっていると思うんです。

という点には心から同感です。

本来ならこんな長いコメントは自分のblogに書いて、トラックバックでお伝えするべきところ、長々と書き連ねてしまったこと、お詫びします。

>yukiTさん

ご無沙汰しております。(^^

マドンナの来日に伴って、これまでのマドンナの発言を集めた本が、複数の出版社から発売されました。そのうちの1冊を、先日本屋でパラパラッと立ち読みしてみたんですが、次のような言葉が目に留まりました。

「私はフェミニストではない。私はヒューマニストなのよ。」

……このマドンナの発言って、たぶんyukiTさんがおっしゃった「人間としてどうなのか」、という言葉と、根本は同じだって思いました。

「男だとか女だとかいう以前に、みんな同じ『人間』である」

という種の発言を、マドンナのようにセクシャルなイメージの強いアーティストが口にすると、「じゃあなんでそんなにセクシャルなんだ」と反論してくる人も多いんですよねー。

でも、yukiTさんだったらおわかりの通り、それも完全な誤解なんですよね。

相手をまず「人間」として見る、ということは、「男らしさ」とか「女らしさ」の全否定などではなく、「性別とか性的指向だけで人間を判断するのは愚かなことだ」ということであり、その人がゲイであろうがビアンであろうが、バイであろうがトランスであろうが、それがその人にとっていちばん自然な姿であるのならば、それは尊重されるべきである、ということなんですよね。

それを一言でまとめると、「まず人間としてどうなのかが大事」ということになる、と。

「人間としてどうなのかこそが重要」という主張を、「男らしさ」とか「女らしさ」の全否定であるかのように誤解する人が、近頃のジェンダーフリーに対する反動だと思うんですけど、最近は結構多いんですよね……。

ていうか、yukiTさんの誠実なコメントが誤解されたら困るので、アレコレ書いているうちに、なんだかちょっとピントの外れたレスになってしまいました。

yukiTさん、ごめんなさい。
(^^;


>KOさん

はじめまして。コメントをどうもありがとうございました。

GIDではない私がGIDのことを当事者性をもって語るには、限界があると思っているからこそ、KOさんからこうしてコメントをいただけたことを、嬉しく思っています。

『yes』の記事についてなんですが、中村中さんのインタヴューに「nonsexualを告白」という見出しがつけられていたのは、表紙の一箇所だけですね。本文中では、nonsexualという言葉は一切用いられていません。

で、nonsexualという言葉の使用が表紙の見出しだけだったとしても、それが「中性」だという決め付けのようにKOさんに感じられたのであれば、今後はnonsexualという言葉の定義も、もっとハッキリとさせていく必要があるかもしれないですねー。

私がそのように考える理由というのは、たとえば一つの「型」にはめられたくない、という思いは私にもあるし、誰にでもあるものだと思っているんですが、そのように「型」にはめられないためには、その「型」によって表されている内容が、しっかりと定義されていないと、自分とその「型」との差異を、第三者にハッキリと明示することができないのではないか? と思うからなんですね。

nonsexualという言葉は、「中性」というだけではなく、性的指向を持たない人のことも、指して用いられることがあります。

なので、多様性を含んでいるというよりは、どちらかといえば定義の曖昧な言葉だと思うんですよ。

ということは、nonsexualという言葉も、軽々しく用いるべき言葉ではないのかもしれませんねー。

今後は、私も気をつけたいと思います。

>「戸籍上は男だが、自分ではそれに違和感を持っている。
>“男”という自覚はないし、“女”という実感もない。」
>というのは、MtFの(広義の)トランスジェンダーにとって
>比較的よくある自己の客観像

このKOさんの記述は、私にはとても参考になりました!(^^

GIDのかたたちの自己の客観像をうかがう機会は、私もほとんどなかったので、KOさんからコメントをいただけて、非常にありがたく思っています。m(_ _)m

それから、「中村さんを社会の常識に対する闘士に仕立て上げるようなことをしてはいけないんじゃないか。」という点についてなんですが。

そのお言葉は、私も全く同感なんです。

ただ、私が今回ブログに書いた内容が、KOさんの目から見て、「中村さんを社会の常識に対する闘志に仕立て上げている」ように感じられたのだとすれば、それは私の意図とは全く異なっているので、私が今後ブログや本サイトのほうを続けていく上で、充分気をつけなければいけないなと思いました。

私は、このブログや、Queer Music Experience.というサイトの中で、さまざまなLGBTのロック/ポップスのアーティストを紹介していますが、その意図というのは、それらのアーティストを「リブ活動のシンボル」ではなく、「ロール・モデル」として紹介するためなんです。

「What's Queer Music?」というコンテンツ(http://k-serv.homedns.org/QueerMusicExperience/whats_queer_music.html)の中でも説明しているのですが、私の意図というのは、自分の性的指向や性の在り方に悩んでいる人たちに、ロック/ポップスを介して「ロール・モデル」を紹介していきたい、ということです。

だから、そこで紹介しているアーティストの取捨選択は、私個人のイデオロギーには基づいていません。さまざまな性的指向、さまざまな考え方を、アーティストのバイオグラフィーの中で紹介しているつもりです。たとえば同性婚に賛成しているゲイ・アーティストも紹介していれば、反対しているゲイ・アーティストも、同じように紹介しています。政治的なアーティストも、非・政治的なアーティストも、両方紹介しています。そして、それらのアーティストのイデオロギーの違いに対して、私個人が良し悪しの判断を下すことはしていません。(唯一、ジョージ・マイケルに対しては、やや批判的な書き方をしている箇所がありますが。)

つまり、性の多様性だけではなく、思想の多様性も提示しているつもりです。

ただ、今回のエントリの内容が、私の文章力不足のせいで、中さんをリブ活動の象徴に仕立てようとしているように感じられたのであれば、それは私の書き方に大いに問題があるということになるので、今後は一層の注意を払っていかなければなりませんね……。



>本来ならこんな長いコメントは自分のblogに書いて、
>トラックバックでお伝えするべきところ、
>長々と書き連ねてしまったこと、お詫びします。

いえいえ、気になさらないでください。(^^
トラックバックよりは、直接コメントをいただくほうが、私にはありがたいです。
というか、私自身、コメントを短く簡略にまとめるのがどうしようもなくヘタクソなので(笑)、長文のコメントをいただいても全然気になりません。
むしろ、私は語り合うのが好きなので(議論が好きなのではなく、通じ合うための語らいが好き、ということです)、今回いただいたコメントは、とても参考になりましたし、嬉しかったです。

ありがとうございました。(^^



藤嶋さん、温かいレスありがとうございます。たしかに、私のコメントも誤解を生むような内容だったな、と反省しました。すみませんでした。
私の場合、性同一性障害で苦しんだこともなく、同性の方を愛してしまってという経験も無いので、皆様からみれば、「それは違う」というような不適切な発言をしてしまうことも大いにあると思います。でも、異性愛者の女の一人ではありますが、その立場から、性の問題についてどう歩み寄ったらいいのか、どう認識したらいいのか、皆様がどんな思いを抱えていらっしゃるのか、よく学んでいきたいと思っています。

前回は、同じ人間として、同じことをやられたら(言われたら)どう思うだろうという稚拙な考え方しか出来なかったことが以前のコメントの失敗だったな、と感じました。例え同じ人間だとしても、人生体験は皆違って、考え方も違うのだし、下手な歩み寄り方では到底理解できるものではないと思い知りました。「その人が男性か女性か、同性愛者かどうかであるよりも」ではなくて、それをひっくるめて、その人として受け入れることが大切でしたね。(と、頭では分かっていながら表現出来なかったんだと思います…言葉選びに気をつけます…)

でも、藤嶋さんが私の言いたかったことを更に発展させて代弁して下さったので、私もとても勉強になりました。これからも、ご指導お願いいたします。(長くなってすみません。私も語り合いが好きなもので・・・)
本当にご迷惑お掛けしました。

>yukiTさん

いえいえ、迷惑だなんて、とんでもなーい!!!

むしろ、yukiTさんからコメントをいただけたことは、本当に嬉しかったんですよ。

エントリの本文中にも書いているとおり、私自身の考えというのは、「性同一性障害や同性愛の当事者ではない人が、もしもこれらの性の問題について理解を深めたいという気持ちがあるのであれば、どんどんそれを言葉にして表してほしい」、ということなんです。

だからこそ、それに真っ先に応えてくださったyukiTさんのことを、私が迷惑に思うはずがないじゃないですか。(^^

喜びと感謝の気持ちはあっても、迷惑に思うことなんか、一つもないですよ~。



大事なのは、こうやって言葉を交し合うことで、互いの理解を深めていくこと、それ自体にある、と思うんです。



性同一性障害の当事者のかたへの理解がまだ充分ではない、という点では、自分もyukiTさんと全く同じ立場にあります。

でも、言葉の選び方を誤ってしまったからといって、その問題について語るのをタブーにしてしまったら。

理解は、そこでストップしてしまうんです。



大事なのは、自分の「語る言葉」を磨いていくこと。

そのためには、実際に言葉を発していくことこそを、大切にしなければと思います。

そして、それを実践していらっしゃるのが、yukiTさん、あなたなんです。
(^^



私がyukiTさんのコメントをフォローしたのは、不適切とか不充分と感じたからではないです。その辺、いろいろと気を揉ませてしまったようで、こちらこそお詫びしなければいけません。

yukiTさんのコメントにフォローを入れたのは、そこにも書いてあるとおり、誤解する人がいたら困るな、という、先回り的なものでした。

つまりは、私が先走ってしまったというところがあるんです。

だから、私のほうも、大いに反省せねば、です。


そして、こうやって、私もyukiTさんも、「語る言葉」を磨いていく、というわけです。
(^^


こういうやりとり、私は大好きです。
(^^

ありがとうございます!

中村中さんの曲、聴いてみたくなりました^^
今は自分の経験値を貪欲に増やしていきたいですね。それで、もっと色々なことを語り合える人間になりたいです。

「僕らの音楽」で初めて中村さんの歌を聞くことが出来ました。
奇を衒ったところの無い唄声と歌詞がとても良かったです(音楽的にも好み)。
きちんと自分と向き合っている人なんだなというのが伝わってきました。
結局・・・彼女が性同一性障害を告白したというのは、
「自分以外の何者でもありたくない」という彼女自身の生き様の表れなのかなと。
その結果、「社会の常識に対する闘士」として扱われることも
ある程度覚悟のうえでのことだと思います。
ただ、そういう視点で彼女の歌を聴くことは明らかに間違いだと思いますけどね。
これは優れたどのアーティストにも言えることですが、
彼女も「男」だとか「女」だとかいう部分を越えた
「人間」の歌を歌っていると、そう思います。

こんにちは。メインサイトのトップがシザー・シスターズの「ときめきダンシン」になってる~~★

「僕らの音楽」見ました。中さん、すっごくきれいな女性です。この人を見て、歌を聞いてそれでも彼女を「男性」だと言う人がいたら顔を見てみたい…と思ったら、もう見ちゃいました。

「ねーねー、昨日TVで偶然見たんだけど、”女装の歌手”が出てて…。」

まだまだ性同一性障害は理解されていないなあ、と感じました。それで、ワタクシ
その人にみっちり説教いたしました。

「彼女は私たちとおなじ!女なのヨッ!」

でも結局、興味のない人にとっては”(手術で)取るもん取ってあるのか”とか”恋愛対象は男か女か”の方に向いちゃうみたいで…。あんなに素晴らしい歌を披露していたのに。
このように小っさい単位ですら、誤解は海のように深く存在します。中さんには今後、逆風や誤解も多いと思いますが、負けないで欲しい。それ以上に、中さんの歌が好きで、応援してくれる人がたくさんいるだろうから。

レスがすっかり遅くなってしまいました。申し訳ありません。

>yukiTさん

あさとさんやマーガレットさんのコメントに出てくる、『僕らの音楽』、ご覧になられましたか? なんとワタクシ、実はこの番組を観ることができませんでした……。無念。

でも、アーティストの活動の場はテレビだけじゃないですしね(と、むしろ自分に言い聞かせて慰めてます)。

私も、中さんの音楽活動を、これからも追い続けたいと思っています。



>あさとさん

yukiTさんへのレスにも書きましたが、私は『僕らの音楽』を観ることができなかったんですよー。うえーん。(T T)

ところで、あさとさんが寄せてくださるコメントを読むと、いつも感じることなんですけど、あさとさんは、私が膨大な字数を費やして訴えている内容を、実にコンパクトに、さらりとまとめてくださいますよね。

あさとさんからコメントをいただくと、「そーだよ、俺も最初からこーゆーふうに書けばよかったんだよ」って思います。

今回も、「そーそー、なんで俺も、最初からこーゆーふうに書けなかったんだろう?」って思いました。(^^;

適確なフォローを、いつもありがとうございます。(^^



>マーガレットさん

やっぱり、今いちばん旬なのは「ときめきダンシン」でしょう! トップページは当分このままでいくと思います。(^^

>まだまだ性同一性障害は理解されていないなあ、と感じました。
>それで、ワタクシその人にみっちり説教いたしました。
>「彼女は私たちとおなじ!女なのヨッ!」

ありがとうございます! って私が礼を言うのも筋違いな話なんですが。

でも、マーガレットさんのコメントを読んで私が最初に感じたのは、感謝の気持ちでした。

自分がこういうエントリを書いたのも、やっぱり「誤解を正したい」という気持ちがあったからなので。

現場レベルで協力していただいて、どうもありがとうございました!(^^



中村 中さんのシングル2枚、今日買ってきて聴きました。
あさとさんのおっしゃるとおり、自分が彼女を性同一性障害とかいう特別な視点で見ているのであれば失礼だし、買わないつもりでいたのですが、ドラマで聴いた彼女の声がとても好きになってしまったので、購入しました。
これからも是非聴きたいな、と思いました!邦楽のCD買ったのは4~5年ぶりです・・・こんなに純粋に気に入った邦楽アーティストは、ホント久しぶりですね(私事ですみませんが・・・)

>yukiTさん

私は、yukiTさんの視点が「特別な視点」だとは思わないですよ?

あさとさんが指摘した、以下の、

>「自分以外の何者でもありたくない」という
>彼女自身の生き様の表れなのかなと。
>その結果、「社会の常識に対する闘士」として
>扱われることも
>ある程度覚悟のうえでのことだと思います。
>ただ、そういう視点で彼女の歌を聴くことは
>明らかに間違いだと思いますけどね。

という箇所。この箇所は、私とあさとさんが同じ視点を共有しているという感触があるからこそ、私のほうから補足させていただくんですが、ここでいう「そういう視点で彼女の歌を聴くこと」というのは、言い換えれば、

「LGBTであるというだけで、そのアーティストがリブ的な内容を歌っていると即断してしまうこと。あるいは、そのアーティストの曲の内容を、リブ的な方向に無理やり解釈しようとすること」

――なんです。

もちろん、リブ的な内容の曲を歌っているLGBTのアーティストも、たくさんいます。でも、そうでないアーティストだっているし、デッド・オア・アライヴも、そうしたアーティストのうちの一組だと思うんです。

そして、yukiTさんは、デッド・オア・アライヴの曲を、そういうふうには解釈していませんよね?

yukiTさんは、ピートのことを「ゲイ・リブの闘士」とは見なしていないでしょ?

yukiTさんがピートのことを素晴らしいと思うのは、「外野が何を言おうとも、自分が自分であることを貫き通す、その姿勢」にあると思うんですよ。

だったら、yukiTさんの視点は、「特別な視点」なんかではないはずですよ。(^^




それに、たとえ「特別な視点」を有していたとしても、それが「好き」という感情に裏打ちされたものであるならば、それはそれで構わないと思うんです。

いちばんいけないのは、「どうせLGBTのアーティストなんだから、リブ的な内容を歌ってるんだろ?」と、実際の曲を聴きもせずに否定的に決めつけてしまうことなんです。その場合には、「特別な視点」は偏見以外の何物でもなく、なんのプラスももたらしませんが、それが「好き」という感情を伴っていた場合には、実際に曲を聴いてみようというプラスの動機になるし、実際に聴いてみることで、そこから新しい感動や、新しい視点が生まれます。自分の世界が拡がっていく、最初の一歩になり得るんです。

事実、中さんのCDを手にして、新しい何かがyukiTさんの中に生じたからこそ、yukiTさんはこうして、私に報告してきてくださってると思うんです。そうじゃありませんか?






私は、むしろyukiTさんは、みんなのお手本になってほしいと思っているくらいなんです。マジで。

だって、yukiTさんは、決して自分の視点を「当たり前」のものとは思わず、常に違った視点と照らし合わせて、より良い視点を自分の中に築こうと努力していらっしゃるじゃないですか。そして、自分を磨くために、こうして積極的に発言することを、怖れてはいないじゃないですか?

そうしたyukiTさんのスタンスって、なかなか持てるものじゃなかったりするんです。

人によっては、そうしたスタンスを持つことって、かなり困難だったりするし、たとえyukiTさんと同じような考えを持っていたとしても、実際に発言するのを怖がっちゃっている人も多いんですよ?






繰り返しになりますが、私はyukiTさんの視点が、「特別な視点」だとは思わないです。

「特別な視点」を持っている人というのは、自分の視点が「特別」だということに、自分で気づいていない人のことをいうんです。

「自分の視点は特別なのかもしれない」と自己を省みることのできる人は、そもそもの始めから、偏った物の見方はしていません。(^^

だから、yukiTさんは大丈夫です!



はじめまして、初コメントさせて頂きます。(ロムっておりました^^;)
いきなり質問じみたコメントで申し訳ないのですが、どうしても気になりまして。

もしも知っていたらでよいのですが、

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『yes』のインタヴューでは、中さんは「友達の詩」について、以下のように述べています。

この曲は、ずっと好きなのに友達にさえなれなかった相手のことなんですよね。だから、友達と呼ばれるだけでも上出来かもしれないねっていう曲です。初めて、“この人好きだな”って思った人と、離れなきゃいけなかった時期に、書き始めたんです。中3だったんですけど、5年くらい好きだった人で。この人を好きになることが、おかしいんだなっていう自覚が、少しずつ生まれて来た
----------------------------

というコメントがありましたが、
確かちょうどその頃、FM横浜だったと思うのですが、
中村さんが出演していました。
その中で、DJの方が「中村さんは、元は男性なのですよね?同性だから叶わない思いを詩にしたのですか?」
みたいなコメントがありました。

それに対して中村さんは、
「この曲は決して自分の事ではなく、普通の男女だったらこうなんじゃないかなぁ、、みたいに作った曲です。私が思った事を詩にしたものでは決してありません!」と、、
ラジオで聞いた言葉ですので、言葉は正確ではありませんが、何度もはっきりと断言していました。

まったく違うコメントをメディアにしてしまっているのですが、
何か考えがあってのことなのか、
単に一貫性がないのか、
ファンになりかけた時にたまたま生で聴いてしまったので、すごく気になってしまいました。
その後別のメディアでもそういったコメントに変更されているのかどうか、
気になるところです。
もしもご存知でしたら、よろしくお願いします。

>かすみさん

初めまして。コメントをどうもありがとうございます。(^^

さて、ご質問の件ですが、結論から先に申し上げますと、別のメディアで中村中さんがどういった発言をしているかを、これは本当に申し訳ない話なんですが、私は把握していません。

なので、かすみさんがコメントの中でおっしゃっていた、「何か考えがあってのことなのか、単に一貫性がないのか」の具体的な判断は、私には付きかねます。

ただ、以下のように考えていくこともできるのではないか? と私は考えています。



『yes』のインタヴューの中で、確かに中村中さんは、「友達の詩」は実体験をベースにしたという(ようにも読める)発言をなさっていますが、それと同時に、

「“共感”されたくはないんです」

「“共感しました~”なんて言われると、“じゃ私と同じ気持ちになってから言ってよ!”って思う」

ともおっしゃっているんですね。これは私の書いたエントリの中でも紹介しています。



これらの発言というのは、一見しただけでは、「私の歌は『性同一性障害を扱った歌』だ」と自ら述べているようにも見えるんですが、その見方というのは、実際のところ、実はかなり予断を含んだ解釈だと思うんです。

あくまでも純粋に、言葉の上に現れている情報だけで解釈するならば、中村中さんは、

「安易にわかったふりをしてほしくない」

ということしか言っていないんです。

「これは性同一性障害を扱った歌だ」ということを、中さんは明言はしていませんよね?

そのように考えていくならば、『yes』のインタヴュー内容と、かすみさんがお知らせくださったインタヴューのあいだには、実は一つの共通項が生まれます。



つまり、「中村中は、自分の曲を一方的に解釈されることを、頑なに拒んでいる」ということです。



FM横浜のインタヴューにおける中村中さんの発言は、確かに『yes』のインタヴュー内容とは矛盾している(ように見える)んですが、「リスナーの一方的な曲解釈に対して『それは違う』と述べている」という点では、実は全く同じなんですよね。



だから、これはもう単なる憶測でしかないんですが、たぶん中村中さんは、自身がMTFであることを告白されたことで、自分の曲があれやこれやと先入観をもって解釈されているのではないか、とナーバスになっているんじゃないか? という気がするんです。

そのナーバスな状態の現われが、インタヴュー内容の矛盾(に見えるような物言い)に繋がっている、と。

そういうふうに解釈することも、まあ、あながち不可能ではないですよね?(^^



そういうふうに考えたほうが、「どっちの発言が正しいんだろうか?」と悩むよりも、幾分かスッキリすると思うんですが、かすみさんはいかがでしょうか?(^^





たぶん、中さんの発言内容を追っている我々の側でも、「性同一性障害をオープンにして音楽活動をしている人の心理はどのようなものか?」という好奇心が働いているせいで、中さんの発言に対して、必要以上に注意を傾け過ぎてしまっていると思うんです。



言い換えれば、我々の側でも、中さんの発言に対して、ナーバスになっている、ということです。

もちろん、これは自分に対する戒めでもあるんですが。



そのせいで、中さんの発言というのは、他のJ-POPのアーティストに比べると、「言葉の独り歩き」が起きやすい状況になってしまっている、と思うんです。

そして、中さん一人の力では、そういった「言葉の独り歩き」を、コントロールできない状況下にあるような気がするんですね。

というのも、「言葉の独り歩き」というのは、ある意味では、発言者と受け手の側の「共同作業」みたいなものですから。中さん一人の意志だけではどうにもならないわけです。



だから、中さんのインタヴュー内容が矛盾していたとして、「どちらの発言が本当なの?」と真偽を判断しようとすると、それはたぶん、さらなる「言葉の独り歩き」を生むことになるんじゃないか、と感じます。



結局、リスナーの曲解釈を頑なに拒む中さんの側も、性同一性障害という単語に過剰に反応してしまう我々の側も、「言葉の独り歩き」を招き易い状態にあるんだろうなー、と思うんですよね。

そうした一種のパニック状態が冷却化すれば、たぶん中さんの発言にも、一貫性が生まれてくるんじゃないかという気が、私はします。



かすみです
コメントしたあとに旅行に行く事になり、コメント遅れてすみませんでした。
ありがとうございます。
「言葉の独り歩き」、「我々がナーバス」
おっしゃる通りですね。。
未来にはもうナーバスにならなくて済む世間になっているかもしれませんし。
中さんの今後の活動に期待したいと思います。
わかりやすいコメントありがとうございました。
また色んな話題、楽しみにしています♪

>かすみさん

こちらもコメントが遅れてしまい、すみませんでした。m(_ _;m

「もうナーバスにならなくて済む世間」……素敵な言葉ですね。
そういう未来が、ぜひ来てほしいです。

ここしばらくは更新が滞っちゃってますが、これからもこのブログをよろしくお願いします。(^^
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