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先日の日曜日は、『Relation』というライヴ・イベントに行ってまいりました。



自分がここしばらく、日本のゲイ・インディーズについての話題をあまり取り上げてこなかった理由は、主には、

「ゲイ・インディーズを活動場所としてはいるんだけど、ゲイ・アーティストとして語られるのを『現実的なリスク』として捉えているアーティストの数が増えてきた」

という現状があったからでした。

つまり、「実態はゲイ・ライヴ・イベントなんだけど、出演者たちがゲイであることは表向きには伏せられている」というイベントも、ままあるわけです。





もちろん、そうしたイベントの中にあって、ゲイであることを前面に出している出演者たちも、いるにはいます。ただ、結局イベントそのものが、「ゲイ・ライヴ・イベント」の看板を掲げていないかぎりは、出演アーティストたちの中には、「ゲイであることを表向きには明言していないアーティスト」も、当然含まれてくることになります。

そうしたライヴ・イベントを、私がQ.M.E.で紹介してしまうと、場合によってはアウティング(第三者による強制的なカミングアウト)になってしまう恐れがある、ということですね。

特に最近のQ.M.E.は、ストレートの読者のかたのほうが、圧倒的に数が多いので。



で、ちなみにですね。

正論だけで言うならば。

「ゲイであることを知られるのは、自身にとってはマイナスである」と、もしも判断しているのであれば、そういったアーティストは、ゲイ・インディーズを活動の場とすべきではないんですよね、本来は。

まあ、あくまでも「正論から言えば」、ですが。

なぜかというと。

それは、

マスコミからの取材がいつ入ってくるかわからないから。

たとえば。

以前、日テレ系の深夜番組『先端研』で、日本のゲイ・カルチャーが特集されたことがありました。番組の中では、ゲイ・コミュニティーを基盤にして活動しているアーティストたち、つまりゲイ・インディーズのことも紹介されていました。

そして、Q.M.E.でも紹介しているアーティストたちのCDも、番組の中では幾つか紹介されたんですが、そこで紹介されたアーティストたちは、実は自分たちの曲とCDのジャケットが番組VTRの中で紹介されたことを、オンエア後に初めて知ったんですね。

この場合、メディアの側には特に非はないんです。

CDを出しているか否かには関わりなく、何らかの形で公的な音楽活動に従事している以上は、『先端研』の場合のような「メディアによる抜き打ちピックアップ」の可能性を、アーティストの側は、常に考慮しておく必要があるんです。本来は。

幸いにして、『先端研』で紹介されたアーティストたちは、表向きはゲイであることを伏せているタイプではなかったから、まあよかったんですけどね。

「ゲイだったらみんなカミングアウトしろ!」とかいうことではなく、「一人ひとりにとって最適の選択肢は何か?」ということを考えた場合に、ゲイ・コミュニティーでの表現活動というのは、実はリスクを伴うかもしれない行為なんですよ、という話です。これはね。




すっかり話が逸れてしまいましたが。

今回私が足を運んだ『Relation』は、公式サイト上では「ゲイ」という言葉は一切使用されていません。ただ、出演アーティストのプロフィールの文言の中では、過去の実績として東京ゲイ・パレードのことが触れられていたり、mixiのコミュニティのほうではゲイ・ミュージック・ライヴ・イベントであることが明言されていたので、私はこのイベントについてブログやQ.M.E.で触れても構わないのだな、という判断を下しました。

「ゲイ」という文字がサイト中にあるというだけで、一方的にアダルト・サイトと決め付けられてしまう現実は、ままあります。事実、Q.M.E.中のアーティスト・バイオグラフィーのページに直リンを貼っているブログを、最近は結構よく見かけるんですが、多くの場合、「ゲイのサイトなので注意してね」みたいな文言が付け加えられていたりします。

Q.M.E.は音楽サイトであって、アダルト・サイトではないんですけどねー。

もーね、「そんなの中身を読めばわかるだろーが!」って感じなんですけど、結局、性的指向に焦点を当てているイコール18禁、みたいな思い込みが、世間ではまかり通っちゃってるようなんですよ。

そういった決め付けを回避するためにこそ、あえて「ゲイ」という単語を使用しないというケースも、まあ、あるにはあるとも思うんですよね。だから、「ゲイ」という言葉を使っているか否かを判断の基準にするのも、それはそれで危うい話ではあるんですけど。



それはまた別の話です。



で。

個人的な思い入れを一切排したところで、今回の『Relation』を評価するならば、本番中の段取りがあまり良くなかったという問題点は、確かにあると思うんです。正直、じれったく感じた場面が、何度かありました。

――ただ。

今回の私は、出演者たちに対しても、それからイベントの意義に対しても、思いっきり思い入れがあったんですよ。って、ヘンな日本語ですが。

加えて、今回はライブ・イベントとしては結構ユニークな仕掛けも幾つかあったので、マイナス部分にばかり目を光らせるのは、少なくとも私がするべきことではないな、と。

そういう見方は、せっかくの楽しみを自分のほうから減らしてしまっているようで、ちょっと勿体ないなーという思いが、今回は強かったんですよ。ドライな見方ばっかりしてると、かえってプラスの部分を見落としてしまいそうだな、と。

もちろん、時にはドライな見方も必要なんだけど、それはあくまでも、全体的な状況を鑑みてのものだと思うんですよね。今回の場合は、プラスの部分を読者のかたがたに理解してもらうことこそが、自分の書くべき内容だと思いました。その理由は、後述する内容を読んでもらえれば、たぶんわかっていただけると思うんですが。






さて、各出演者について。

まずRights Of Dark

今回の彼らは、本当に貫禄を感じさせてくれました。

mixi内でも同じような感想があちこちで散見されているので、これはもう、藤嶋1人の主観ではないと思います。オケの音飛びというトラブルがあったにもかかわらず、フロアーから観ているかぎりでは、余裕すら感じさせる、実に堂々としたパフォーマンスでした。お馴染みの曲のリアレンジもカッコ良かったし、ライヴでは初めてとなる「slow」のパフォーマンスも嬉しかったし。

これは全く個人的な事柄なんですが、会場で販売していた『LOCUS plus』のブックレットのspecial thanksの欄に、藤嶋の名前もあったのがとても嬉しかったんですよね。

確かに自分は以前、『LOCUS』に特典として付いていたライナーノーツを書いたことがあったんだけれど、今回の『LOCUS plus』では何のお手伝いもしていないので、「この人たちってば、何て義理堅いんだろう!」と感激しちゃいました。

ありがとー。(^^






それから、今回はMetroとして出演したCOBO.。

彼とはネット上のお付き合いはあっても、直接会って話したことはなかったし、ライヴを観たこともなかったので、今回彼が東京に来ると聞いて、非常に楽しみにしていたんですよ。

COBO.単体に対する藤嶋のイメージは、とにかく1stシングルの「花火」のイメージが強烈だった。

弱冠21歳でこの世界観ですか!? みたいな。

彼がコムロとかアサクラが大好きな人で、ダンス・リミックスもバンバン作る人だっていうのはわかっていても、とにかく今までは、「花火」の印象が強烈だったんです。

その辺の第一印象が、今回の実際のパフォーマンスを観て、綺麗に払拭されましたね。「ああ、この人は確かに、コムロ・チルドレンだなー」と。もちろん、これは褒め言葉として言ってます。自分もコムロサウンドが大好きな人間だから。

で、Metroというユニットについては、今回のライヴはカヴァー曲が中心だったので、そのコンセプトを、自分は正しく理解できているわけではないんだろうと思うけど、要は「女性ヴォーカリスト用のキーで書かれた曲をバンバン歌っていくユニット」、って感じなんだろうか? この読解に自信は全然ないんだけど、仮にそうであったとしたら、それは確かにしゅうじの特性を活かしたユニットだと思うし、コムロ・チルドレンのCOBO.との組み合わせにも明確な必然があって、面白いと思います。

今回の東京行はCOBO.にとってはかなり疲弊するものだったと思うけど、COBO.としてもMetroとしても、新曲をどんどん作っていってほしいなーと思います。






んで、T/K

彼のソロ・オリジナルは「野性の花」1枚だけなので、今回はborderless時代の曲が中心だったんだけど、実は藤嶋、borderlessのライヴを一度も観たことがないんですよ。

だから、今回のライヴはborderlessの曲を生で聴く初体験だったわけです。

その意味での感慨は大きかった。

あと、「野性の花」を生で聴くのも、やっぱり初めて。

とにかく盛り上がりますね、この曲は。まるで何かの集会みたいだった(笑)。わかっちゃいたけど、やっぱりすごい曲ですよ、コレは。

あとね、これも前からわかっていたことなんだけど、改めて強く実感したのが、この人って天性のエンタテイナーだなー、ということ。

彼のパフォーマンスは、野郎っぽく熱唱するカッコいい姿と、コミカルなおっさん(失礼)の側面が、目まぐるしく出たり消えたりするんだけど、その入れ替わりが、実は全く破綻を来たしてない。

2つの全く相反する表情が、何の違和感もなく、T/Kという1人のアーティストの中にピタリと納まっているの。それがスゴい不思議。

つーかズルイ。

卑怯だよ、アンタ。(褒め言葉)






そして東京組。

個人的に、今回のイベントの目玉だと思っていたのが、Plusの再結成。

当人たちは「オマケ」と述べていましたが、自分にとっては紛れもなく、今回の目玉。

自分がPlusの再結成を歓迎するのは、この2人の組み合わせが、ジャンルの制限を超えている、と思うからなんですよ。

ヴォーカルのしゅうじは、パフォーマーとしてはツッコミどころ満載だったりするんだけど(たとえばMCをもっと頑張ろうよ、とかね:笑)、でもヴォーカリストとしては非常に幅のある人だと思うので、その相棒がTAiSHiであるならば、さまざまな音世界を展開していくことが、充分に可能のはずなんですよ。

だからこそ、今回の再結成は、決して一過性で終わらせてほしくはないです。

いろいろな可能性にチャレンジしてほしいです。マジで。






そして、今回のイベントのトリだったのが、G.G.G.(トリプル・ジー)。

アカペラ・グループなんだけど、打ち込みもOK。レパートリーはホント、幅広いです。

歌の上手さはもちろんなんだけど、今回のライヴで特筆すべきだったのは、やっぱりDJとの共演でしょう。

トリプル・ジーのパフォーマンスとDJのプレイを、交互に繋いでいくという試み。

今回の会場は、ステージとDJブースがフロアーを挟んで正対していたので、トリプル・ジーからDJへと出番が移ると、オーディエンスは後ろを向かなくてはいけなかったんですよ。その展開はちょっとキツイなあと思っていたら、トリプル・ジーの面々がフロアーに降りてきて、ミラーボールの下で輪になって歌い始めたんですね。

この演出は、自分にとっては適確なものに思えたし、会場がライヴ・ハウスではなくクラブであるからこその、「このイベントでしか味わえない面白さ」だ、と思いました。

もちろん、ツッコミはいろいろと可能だとは思うんですよ。特にトリプル・ジーの場合、中心メンバーのTAiSHiが全体のPAも1人で兼ねていた関係で、どうしても段取りの面で、スムースにいかない部分があったのは否定できない、とは思います。

ただ、ですね。

トリプル・ジーのパフォーマンスに限らず、今回のイベントの、当日の運営上の問題点というのは、たぶん、会場をライヴ・ハウスに移せば、5割方はあっさりと解決するもののように感じました。

だからといって、「じゃあ次回からはライヴ・ハウスでやりましょう」という話になってしまうと、今回のイベントの長所も、たぶん5割方は失われますね。

自分の視点からすると、今回のイベントの運営上における実際的な問題点は、その部分だけを取り出して云々しても、きっとそれは片手落ちだと思う。

今回のイベントが「手作り」だったからこそ生じていた、さまざまな実際上の問題点を、私は決して否定的に見てはいません。

それらの問題点は、「取り除いていくべきもの」ではなく、あくまでも「仲間同士の力で解決して、次回に繋げていくべきこと」、だと思うんです。

その点に留意せず、ただ問題点だけをつらつらと列挙するような取り沙汰の仕方をしてしまうのは、非常に危険。



自分の視点からすると、かつての東京のゲイ・インディーズが、クラブ中心からライヴ・ハウス中心へと移行する段階で、「仲間同士が一丸となって一つのイベントを作り上げていくことの意義」を、バッサリと切り捨ててしまったという過去が、自分にはどうしても悔やまれるんですよ。

というか、自分は、そういった動きの当事者の1人だったんですね。

自分の発した一言が、オーガナイザーの背中を押して、東京のゲイ・インディーズがクラブ中心からライヴ・ハウス中心へと移行していく流れを作り出してしまった、という過去があるんです。

だから、「仲間同士が一丸となって一つのイベントを作り上げていくことの意義」が切り捨てられていった東京の過去に対して、自分は今でも罪悪感があるんです。

だからこそ、いま自分は、あえてこういう突っ込んだ書き方をしています。

自分のような「ウォッチャー」の立場にいる人間は、「運営側は、そして出演者たちは、いったい何を試みたのか」というところを汲み取らなければいけない、と思ったんです。

仮に、その「試み」の部分に問題があったのであれば、その場合には、自分は批判をも厭わない。けれども、今回はそうじゃないんです。

今回の試みはとても意義があった。そして観客として楽しむこともできた。

で、ここで話は元に戻るんですが、先に述べたトリプル・ジーのパフォーマンスは、段取りという点においてツッコミを入れることも可能ではあるんだけど、実は今回のイベントの主旨と意義を、いちばん体現していたと思うんですよ。

加えて、「ライヴ・ハウスでは実現不可能」なパフォーマンスを試みたという点でも非常に先鋭的だった、と私の目には映ったし、私の耳にはそう聴こえました。

たぶんトリプル・ジーは、ゲイ・ミュージック・イベントへの出演がメインの活動ではないような気がするんだけど、これからもゲイ・ミュージック・イベントにはどんどん出演してほしいです。





んで、後日、このエントリにもう少し加筆して、もっと丁寧に推敲したものを、Q.M.E.にアップロードします。


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2006.10.19 Top↑
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