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昨日(日曜日)は、G-men主催による、映画『ノミ・ソング』の特別試写会(つまりゲイ・オンリー)に行ってきました。

『ノミ・ソング』は、ロック/ポップスの分野でいちばん最初にエイズで命を落としてしまったアーティスト、クラウス・ノミのドキュメンタリー映画です。

製作されたのは2003年なんですが、ようやく日本でも正式公開されることが決まり、クラウス・ノミの国内盤も、2枚のオリジナル・アルバムと1枚のベスト・アルバムが、今月25日にめでたく発売されました。

G-men主催の試写会の雰囲気と、『ノミ・ソング』を観ての感想は、後日Q.M.E.のほうにレビューとしてアップロードする予定です。こちらのブログのほうでは、26日に東京国際フォーラムで行なわれた『ノミ・ソング』試写会について書きたいと思います。


といっても、藤嶋は26日の試写会に足を運んでいるわけではないのですが。

『ノミ・ソング』の日本公開にあたっては、“宣伝歌姫(ディーバ)”という肩書きで、ハードゲイキャラを売りにして名を上げている吉本芸人、レイザーラモンがイメージ・キャラクターに起用されています。そして26日の試写会では、レイザーラモンの2人がトーク・ショーを行ないました。

トーク・ショーの様子は、『ノミ・ソング』の公式サイトで動画で観ることができます。

http://www.elephant-picture.jp/nomi/

レイザーラモンの起用の理由というのは、クラウス・ノミがゲイのアーティストだから、ゲイのキャラクターを売りにしている旬のタレントを起用して宣伝効果を上げよう、ということなんだろうと思います。戦略としては正解でしょう。

でも、本当にそうなんだとしたら、ストレートのレイザーラモン住谷を起用するよりは、リアル・ゲイのタレント、たとえばKABA.ちゃんあたりを起用してほしかった。KABA.ちゃんだったら、クラブ・カルチャーにも通じてそうだし。(ギャラの問題は度外視して言っています)

ストレートの男性がゲイのキャラを演じることに反発してるわけじゃないんです。たとえば、藤井隆には反発を感じない。むしろ大好き。藤井隆のキャラは、ゲイの藤嶋から見ても「こーゆーオカマっているよね」と思えるものだから、彼がゲイだろうとストレートだろうと関係なく、親しみが持てる。しかも、彼自身はストレートだからこそ、彼が演じるオネエキャラは、結果として生々しさのない、カラッとしたものになっていて、ストレートの男性に警戒心を抱かせないキャラになっている(藤井隆は共演の男性タレントに色目を使ったり必要以上に体を接触させたりしないし、「誰々のお相手をしたいわ」的な発言も一切ないでしょ?)。だから藤井隆という存在は、実はセクシャリティのボーダーを越えたところで、オネエキャラのイメージ向上に大いに貢献していると思うんですね。

でも、レイザーラモン住谷のハードゲイキャラには、なんか違和感を覚えるんですよねー。

「こんなゲイ、いねーよ」というか。

まあ、ひょっとしたら藤嶋が知らないだけで、本当はたくさんいるのかもしれないけど。

レイザーラモン住谷の名前でネット検索すると、レイザーラモン住谷自身は「僕はストレートです」と公言しているにもかかわらず、彼を真性のゲイだと勘違いしているブログが結構見受けられる。「ハード・ゲイというものを初めて見た」とか「ハード・ゲイって、実はイイ人なんですね」とか(苦笑)。

テレビのバラエティー番組に登場するゲイがオネエキャラばかりであることに対して、「ゲイへの偏った理解が広まる」という批判があります。確かにそうです。ただ、そうしたオネエキャラを売りにしているタレントが、もしも真性のゲイであるならば、それもまた真実のゲイの姿を伝えていることに変わりはないのだから(たとえそれが一局面に過ぎないものであっても)、本当に批判対象とすべきは、オネエキャラのみに商品価値を見出す制作者の側なのであって、オネエキャラのタレントを非難するのは筋違いです。

藤井隆のように真性のゲイではない場合でも、そのキャラクターがゲイというセクシャリティを歪曲していなければ、それはゲイに対する偏見とか誤解を助長するものにはならないと思います。

でも、レイザーラモン住谷のハードゲイキャラは、なんかこう、歪曲されてる感じがするんだよねー。

オネエ以外のゲイ・キャラクターがブラウン管に登場したということ自体は画期的だし、肯定的に受け止めるべきなんだろうけど。

彼がお笑い芸人である以上、言動がデフォルメされているのは当然。でも、そのデフォルメの仕方に、どうしても違和感を覚える。

たとえば、「フー!」という奇声が、どうしてハード・ゲイに直結するのか、よくわからない。

あの「フー!」という奇声と腰の動きは、藤嶋の目には、どちらかというとマイケル・ジャクソン的に映るんですが。

レザー・アイテムの着こなしにしても、あれはハードゲイの着こなしなの? 別にハードじゃないと思うんだけど。ひょっとして藤嶋の感性のほうが麻痺してる?

『ノミ・ソング』の公式サイトでは、レイザーラモン住谷のことを「巷でゲイ旋風を巻き起こしている」と紹介しているんだけど、そうなの? 巷のリアル・ゲイは、レイザーラモン住谷の芸風を、どう受け止めているんだろう?

レイザーラモン住谷の芸風の図式自体は、ドラァグ・クイーンの裏返しだと理解しています。ゲイの目から見た女性性を記号化し、デフォルメしたのがドラァグ・クイーンであり、ストレートの目から見たゲイ性を記号化し、デフォルメしたのがレイザーラモン住谷である、と。

しかし、ドラァグとレイザーラモン住谷で大きく異なっているのは、ドラァグのパフォーマンスを見た人が「女とはこういう生き物」という誤解をすることは絶対にないんだけど、レイザーラモン住谷のパフォーマンスを見た人が「ハードゲイとはこういう生き物」という誤解をすることは大いにあり得る、ということ。事実、先述したように、ネット上ではそうした誤解が見受けられたので。

なぜドラァグが女性性に対する誤解を招くことがないのかといえば、それはドラァグの女性性のデフォルメが、「歪曲」ではなく「徹底した誇張」だから。

ヴィジュアルや仕草の「誇張」が「現実には有り得ない」というレヴェルにまで達しているからこそ、ドラァグが女性性に対する誤解を招くことはない。



ということは、レイザーラモン住谷がハードゲイに対する誤解を既に招いているということは、彼のデフォルメが「誇張」ではなく「歪曲」になっている、ということなのでは?



レイザーラモン住谷というキャラクターは、ヴィジュアルは中途半端にリアルに作られている一方で、現実には有り得ない言動(「フー!」という奇声とか腰のグラインド)が強調されている。でも、人というものは、どうしても外見で相手の属性を判断しがちだから、ヴィジュアルがそれなりにハードゲイっぽく作られていた場合には、その言動がどれだけ有り得ないものであっても、人はそれを「誇張」だと誤解してしまう。

だからこそ、レイザーラモン住谷の芸風は、結果としてハードゲイを「歪曲」したものになっている。

レイザーラモン住谷がゲイに対する偏見を持っているとは思いません。そうだとしたら、そもそもハードゲイキャラを演じることはないでしょう。

ただ、ハードゲイの生態とかセンスに対する研究が、結果として踏み込み不足なのでは? と思うんですよ。あるいは徹底してない、というか。

彼がビルダー並みに筋肉を隆々とさせて、今よりももっと露出度の高いSMファッションに身を固めた上で、本物のハードゲイのセックスアピールの仕方というものを身に付ければ――言い換えれば、本物のハードゲイ以上にハードゲイっぽくなれば、たぶん藤嶋のように懐疑的なゲイでも、それを「誇張」として素直に受け止められると思うんだけど。

レイザーラモン住谷に対する違和感を長々と述べてきましたが、斯様な理由によって、レイザーラモン住谷は、結果として「ゲイというセクシャリティの外側」にいる、と少なくとも藤嶋の目には見えます。なぜなら、レイザーラモン住谷のハードゲイに対する視点は、外在的だから。彼は「ストレートの目から見たハードゲイ」を演じているのであって、ハードゲイになり切っているわけではないと思う。藤井隆はセクシャリティのボーダーを越えたところにいるんだけど、レイザーラモン住谷は「ストレートの目から見たハードゲイ」だから、ゲイというセクシャリティに対して好意的ではあっても、あくまでも「外在的存在」なんです。少なくとも、今のところは。

で、このテキストの主旨というのは、「外在的存在」の功罪を論じることそのものではなく、そうした「外在的存在」のタレントを『ノミ・ソング』のイメージ・キャラに起用した場合には、『ノミ・ソング』のストレートの観客は最後まで「内在的視点」を持ち得なくなってしまうかもしれない、ということです。

『ノミ・ソング』という映画は、ゲイのアーティストの生涯を描いたものである以上、それをストレートの人が観た場合には、その視点が「ふーん、ゲイの人って、こーゆー風なんだ」という外在的なものになりがちです。というか、そうなるのが自然です。

でも、クラウス・ノミの命を奪ったエイズという病気は、決してゲイだけが罹る病気ではない。

HIVの問題は、セクシャリティの違いには一切関わりなく、すべての人々が「自分も感染し得る恐ろしいウイルスである」という「内在的視点」をもって考えるべき問題です。

だからこそ、『ノミ・ソング』のイメージ・キャラクターには、ゲイの「内在的視点」を有した人、つまりHIVを「自分の問題」として語ることのできる人を起用してほしかった。

「これはあなた方の問題でもあるのです」ということを、全てのセクシャリティの人々に向かってアピールしてほしかった。


……とまあ、そんなことを考えた次第です。


『ノミ・ソング』本編とG-men主催の試写会については、また改めて、Q.M.E.にレビューを書く予定です。



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2005.05.30 Top↑
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