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これから紹介するのは、オランダで放映された、ある子供向けの歌番組でのやりとりです。

司会者の女性が、会場の子どもたちに、質問を発します。

「今日、お母さんと一緒に来た人は、どれくらいいるのかしら?」

子どもたちは、その問いに挙手で応えます。

司会者の女性は会場を眺め渡して、「たくさんいるわね」と頷くと、次に、

「お父さんと一緒に来たという人は?」

何人かの子どもが手を挙げますが、司会者の女性は「そんなに多くないわね」という感想をもらします。

そして最後に、こう尋ねます。

「じゃあ、お父さんが2人いるという人はいるかしら?」

会場を見回した司会者の女性は、会場の一角を指差します。

「何人かいるようですね」

そして、歌の紹介をします。

「テレンスくんもその1人です。テレンスくんが、2人のお父さんについての歌を歌います」





"Twee Vaders"
(2005)




この映像は、オランダの子供向け歌番組、『Kinderen voor Kinderen』の中で、2005年に歌われた、「Twee Vaders」という曲です。このタイトルは、英訳すると「Two Fathers」です。

この曲の歌詞は、大人が作った大人の目線の物語を、無理やり子どもに歌わせているのではありません。

テレンスくん本人が書いたものを基に、オランダの著名なソングライターが、フィニッシュを手がけています。

つまり、「Twee Vaders」の中で歌われているのは、他ならぬテレンスくん自身の物語であり、テレンスくん自身の心情なのです。



『Kinderen voor Kinderen』は、英訳すると『Children for Children』です。元来は、オランダのVARAというテレビ局によって運営されている、児童合唱団を指す名称です。VARAは、日本のNHKのようなテレビ局です。

この児童合唱団は、1980年から、毎年1枚、オリジナルの童謡を収録したアルバムをリリースしています。ここでいう童謡とは、いわゆる「わらべ歌」ではなく、近年の『みんなのうた』で発表されているような、「低年齢層向けのポップ・ソング」と考えてください。

Kinderen voor Kinderenのアルバムに収録されている楽曲は、いずれも「Twee Vaders」のように、それを歌う子どもの作文を基に、オランダの著名なソングライターたちがフィニッシュを手がけたものばかりです。

したがって、そこで歌われているのは、近年の『みんなのうた』のような、おとぎ話の世界ではありません。Kinderen voor Kinderenは、『みんなのうた』のように幼年層を対象にしているのではなく、自分で文章を綴ることのできる、小学校低学年を対象にしているからです。

小学校低学年の子どもたちは、おとぎ話を既に卒業しています。思春期の一歩手前のところまで来ている彼らの目には、人生のさまざまな命題が、徐々に映り始めてきています。それはたとえば、恋であったり、お金であったり、孤独であったり、さらには身近な人の死であったり。

Kinderen voor Kinderenのオリジナル楽曲は、そうした子どもたちの作文を基にすることで、子どもたちの実際の心情を反映した、非常に身近で、リアルな内容を備えているのです。

Kinderen voor Kinderenは、アルバムをリリースするだけではなく、年に1回、子どもたちがスタジオで歌う様子を、特別番組として放送しています。今回紹介した映像は、2005年に放映されたものです。



テレンスくんが自分の家族のことを歌った「Twee Vaders」は、必ずしも身近な内容とはいえないかもしれません。

しかし、「子どもたちにとって身近なもの」というのは、実は普遍的なものなどではあり得ません。時代と共に、確実に移り変わっているのです。

たとえば、私は現在三十路半ばですが、私が子どものころには、携帯電話なんかありませんでした。

今の子どもたちに、しかし携帯電話は当たり前のものです。

つまり、子どもたちがどう友人とコミュニケーションを取っているかという点一つを採ってみても、昔と今とでは、全く違った様相を見せている、ということです。

したがって、「子どもにとって身近なもの」も、社会の変化に呼応して、変わっていきます。

逆に言えば、「子どもにとって身近なもの」こそが、いち早く社会の変化を捉えているのです。

大人の想像力では追いつかない社会の変化を、子どもたちは、いち早く捉えているのです。



ゲイ・カップルに育てられた子どもの存在。

それは、社会にとって珍しい存在かもしれません。

実際、ゲイである私にとっても珍しかった。テレンスくんの歌った「Twee Vaders」は、私が初めて聞く、ゲイのカップルを親に持つ子どもの、生の声でした。

でも、それを珍しいと感じているうちは、ダメなんですよね、きっと。

テレンスくんにしてみれば、パパが2人いて、時にはどちらもママになってくれるということは、当たり前のことなんです。

そのことによって、他の子どもたちとの違いを意識することは当然あるでしょう。実際、テレンスくんは曲の中で、2人の親がゲイのカップルであることで、いじめに遭うこともあると告白しています。

でも。

子どもにとっていちばん大事なのは、

親に愛されているということ。

そして、両親がちゃんと愛し合っているということ。

自分の帰る家に、愛が溢れているということ。



父親と母親が揃ってさえいれば、子どもは無条件で幸せになれるのでしょうか。

私は、否、と思います。

両親のどちらかが子育てに全く無関心であったり、あるいは子どもの前でエゴをむき出しにして憎み合い、諍いを繰り返す。そんな両親のもとで育てられるのと、たとえ片親であっても、子どもを本当に愛し、諍いがいかに醜い営みであるかをきちんと教えられる親のもとで育てられるのと、どちらが子どもにとって幸福なのか。



私の両親は、私が小さいころから互いのことを毛嫌いし、互いの陰口を子どもに向かって吐き出し、子どもの前でも平気で罵り合っていました。

老年に達した今も、争いが絶えません。

私がゲイである理由を、両親の不仲に求めることはしません。自分の子ども時代が殊更不幸だったとは思いませんが、幸福感をもって振り返ることは未だにできない。

ただ、一つだけ確実に言えるのは、そうした両親を持っている私は、「互いを心から信頼し、愛し合っている両親の姿」というものを、実体験として知らない、ということです。

「愛し合った結果によって築かれた家庭」というものを、私はフィクションの中でしか知りません。

だから、誰かを愛することがあったとしても、それが家庭作りに繋がっていく道程を、私はリアルにイメージすることができません。

その欠落感は、私の中にしっかりと根を下ろしています。

私の両親が離婚しなかった理由は、「子どもがいたから」だそうです。

でも、本当に子どものためを思うのであれば、私は両親に離婚してほしかった。

両親が醜く罵り合う姿など、見たくはなかったから。

互いのことがどうしても耐え難いのであれば、迷わず離婚して、新しいパートナーを見つけて、たとえ血は繋がっていなくとも、「互いに心から信頼し合い、愛し合っている両親の姿」を、私に見せてほしかった。

愛し合っている者同士が家庭を築くのはどういう営みなのかを、私に教えてほしかった。

大学時代、サークルの同期の女子学生が、「離婚」をテーマに、卒論を書いていました。「子どもには父親と母親がきちんと揃っているべき」と主張するその女の子に、私は、「たとえ両親が揃っていても、愛し合っているのでなければ意味はない」と意見を述べました。しかし、その女の子は私の意見に不信そうな顔をするだけでした。その場にいた他の同期の学生たちも同様でした。

それを見て、私は、「ああ、仲の良い両親に育てられた人たちには、俺のこの感覚は、きっと理解できない、未知のものなんだな」ということを悟りました。



思わず、自分語りをしてしまいましたが。

子どもが必要としているのは、男女一対の両親が揃っているという「フォーマット」ではない、と思うんですよ。

もちろん、親の存在は必要です。でも、それが男女一対である必然はない、ということなんです。

肝腎なのは、

自分に注がれる愛情を実感できる環境にいること。

そして、それが「憎しみのない家庭」であること。

私は、自分のこれまでを振り返って、そう思うんです。

子どもに必要なのは、「完全なフォーマット」ではなく、「完全な愛情」。

テレンスくんの2人のパパは、互いに愛し合い、どちらもテレンスくんを心から愛している。

それがテレンスくんには実感できているから、たとえ「他者との違い」を理由にいじめられても、パパが2人いることを恥ずかしがったり、疑ったりはしないんだと思うんですよね。

自分は守られているという安心感が、テレンスくんには、きっとあるんです。

その安心感が、2人のパパに対する絶対的な信頼感に繋がっている。

私には、そう感じられました。



「他者との違い」を子どもに意識させるのは良くない、だからゲイのカップルは子どもを育てるべきではない。そう考えているゲイの人も、多いと思います。かく言う自分自身、仮にパートナーと一緒に生活を始めたとして、2人のあいだに養子を引き取ろうという気には、少なくとも今のところはなれません。パパが2人いることが、子どもを不幸にしてしまいそうで怖いから。

でも、テレンスくんの「Twee Vaders」は、ゲイのカップルだって、ちゃんと子どもを幸せにしてやれるんだ、という希望を、ゲイの当事者に与えてくれます。



「Twee Vaders」の曲調は、やや悲壮味を帯びています。これはおそらく、作・編曲を担当したライターが、テレンスくんが書いた元の歌詞に、「差別との闘い」というニュアンスを読み取ったからではないか、と思います。あるいは、「この歌を通じて、子どもたちのあいだから偏見を取り除こう」という意図を込めたのだと。

でも、歌詞の内容を見ると、闘争的な姿勢はそれほど前には出ていなくて、テレンスくんは「自分はこれで幸せなんだ」ということを伝えようとしているんですよね。むしろハッピーな楽曲のはずなんです。

曲調に悲壮感が漂っているというあたりに、当事者であるテレンスくんと、実際に曲を作った大人たちのあいだに、微妙に認識のズレが生じているのではないかと言えなくもないのですが、これはこれでいいのだと思います。

たぶん、こういう曲調のほうが、当事者ではない人たちにも関心を持ってもらいやすいと思うので。



テレンスくんが、この先、どういう人生を歩んでいくのかは、誰にもわかりません。ゲイの親に育てられたからといって、テレンスくんもゲイとして生きていくとは限りません。

もしも、テレンスくんが、この先ゲイとして生きていくことになったとしても、ゲイのカップルが愛情あふれる家庭を築くことは充分以上にできるのだということを、彼は実体験として既に理解しているんだから、彼の性的指向がどうであれ、きっとテレンスくんは、幸せな家庭を築き、幸せな子どもを育ててくれることに間違いはないはずです。

そこには不幸なんて何もない。

「Twee Vaders」は、ゲイのカップルによって幸せに育てられた少年が歌う、新しい形のゲイ・プライド・ソングなんです。



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2007.04.02 Top↑
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