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No. 10
RuPaul / Supermodel (You Better Work)
(1992)

1990年、ニューヨークのクラブのオーナーやプロモーター、DJからの投票によって、ニューヨークの夜の顔「マンハッタンの女王」に選ばれたのが、黒人ドラァグ・クイーンのル・ポールです。

ニューヨークでドラァグ・クイーンとして成功するよりも前から、ル・ポールは音楽の世界での成功を目指して、既に'80年代前半から下積み生活を続けていました。そんなル・ポールが、歌手としても初めて大成功したのが、1992年にトミー・ボーイ・レコードからリリースした、この「Supermodel (You Better Work)」でした。

この曲は、全米のダンス・チャートでナンバー・ワンとなっただけでなく、その年の年間ダンス・チャートの首位も制する大ヒット曲となりました。ル・ポールは一躍世界的なスターとなり、エルトン・ジョンからもデュエットを持ちかけられるほどになりました。(それによってレコーディングされたのが、このTOP100のNo.43の、「Don't Go Breaking My Heart」です。)

アーティストとしてのル・ポールの特徴を、ごく簡単にまとめると、

「ノンケ女子も羨むような、完璧な美貌とプロポーションの持ち主でありながら、パフォーマンスそのものはバリバリのオカマ」。

こういうドラァグ・パフォーマーって、実はそんなにいません。

ドラァグ・クイーンというのは、基本的には「女性性の戯画」です。「戯画」である以上、それはノンケ女子の憧れるものとは方向性が違います。

たとえば、このTOP100のNo.80のケヴィン・アヴィアンスや、あるいはNo.54や46のディヴァインを見て、「あたしもこんなふうになりたい!」と思うノンケ女子の人なんて、あんまりいないでしょ?

ケヴィン・アヴィアンスやディヴァインの扮装が、どうして「女性性の戯画化」なのかというと、それは彼らの性自認が「ノンケ女子」ではなく「ゲイ男子」だから。

一方。

No.50のハリスや、No.23のダナ・インターナショナルのようなトランスジェンダーのアーティストは、自分がMTFであるという自覚があるからこそ、自らを「女性美の完成形」に磨き上げ、ノンケ女子が羨むほどの完璧な容姿とプロポーションを手に入れています。

そんな彼女たちのパフォーマンスに、実はゲイゲイしさはそれほど認められません。

なぜなら、彼女たちの性自認は、「ゲイ男子」ではなく、「ノンケ女子」だから。

未だにこれを理解できていないノンケの人が、世の中にはごまんといるようですが、トランスジェンダーと同性愛は、全く別物。ともに性的少数者であるというだけであって、性的指向のあり方は、全く違います。

ル・ポールのことをよく知らないノンケの人が、ル・ポールのプロモーション写真を見たら、その人はル・ポールのことを、本物のスーパーモデルと勘違いするかもしれません。それほどまでに、ル・ポールの美貌とプロポーションは、ノンケ女子が羨む、女性美の完成形です。事実、ル・ポールは後に化粧品メーカーと専属モデルの契約を交わしたり、バービー人形が発売されたりもしています。

にもかかわらず、ル・ポールのパフォーマンスは、ゲイゲイしさ全開。

「Supermodel (You Better Work)」という楽曲にしても、そのタカビーな女王様目線は、明らかにゲイのもの。

つまり、自らを「女性美の完成形」に磨き上げた上で、オカマ丸出しのパフォーマンスを繰り広げるル・ポールの伝えているものとは、

「最高にイイ女とは、是、ゲイである」

ということ。

かもしれません。

"Supermodel (You Better Work)"
SUPERMODEL
(1992)


ル・ポールの詳しいバイオグラフィーは、こちらでどうぞ。
ル・ポール バイオグラフィー(Queer Music Experience.)



Supermodel to the World Supermodel to the World
RuPaul (1993/06/05)
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No. 9
Village People / In The Navy
(1979)

ゲイ・ポップ・カルチャー史上におけるヴィレッジ・ピープルの功績というのは、「アンダーグラウンドのゲイ文化を、主流のポップ・カルチャーの世界に乗せて、しかもそれを商業的に大成功させた」という点に尽きます。

しかし、ここで注意しておかなければいけないのは、当時のゲイ・ディスコ・シーンは、ヴィレッジ・ピープルの楽曲やヴィジュアルに対して、「ゲイを莫迦にするな!」と大きく反発していた、ということです。

つまり、ヴィレッジ・ピープルの表現の基本的性質というのは、「ゲイの戯画化」である、ということです。

だからこそ、当然そこには、「笑いの要素」が含まれています。

その「笑いの要素」が前面に出ているのが、1979年に全米のヒット・チャートで最高3位を記録する大ヒットとなった、「In The Navy」です。

「さあ! 君も海軍に入って、七つの海を駆け巡ろう!」と歌われているこの曲は、間奏の部分で、「でも、俺、泳げないし! 水が苦手だし!」というセリフが挿入されており、ヴィレッジ・ピープルの楽曲の中でもコミック・ソングとしての色合いが最も強い作品となっています。

これというのは、'70年代末のアメリカにおいては、性の多様性というものが今ほどには一般に認められていなかったため、ゲイの文化が主流の文化で可視化していくためには、笑いの要素を取り入れる必要があった、ということです。

で。

ついでに言うならば。

「フォー!」が持ちネタの某コメディアンが、日本で人気を博したのは、たった2年前のことです。

ということは。

日本の一般大衆のゲイ理解っつーのは、'70年代末のアメリカと、未だに同程度、っつーことでもあります。

若い世代のゲイのみなさんがヴィレッジ・ピープルのことを知らないのは仕方のないことだとは思いますが、ヴィレッジ・ピープルについての知識があるのとないのとでは、「フォー!」の人の人気の見え方も、大きく変わってくるんだよー、ということは言っておきたいっス。

閑話休題。

ヴィレッジ・ピープルとは「ゲイの戯画化」であり、笑いの要素を含んでいたからこそ、幅広い層から支持を集めることができた。それは確かです。

しかし、ヴィレッジ・ピープルと「フォー!」の人が決定的に違うのは、ヴィレッジ・ピープルの表現の中には、同じゲイの人にだけ通用する、セクシャルなコードが含まれていた、ということです。

たとえば、デビュー曲「サンフランシスコ」は、歌詞だけを見れば単なるご当地ソングでしかないんですが、それを歌っているのがヴィレッジ・ピープルであるということで、そこには「ゲイ・タウン讃歌」という意味合いが発生します。この含みは、「サンフランシスコ=ゲイ・タウン」ということを知らない人には、全く理解できないものです。

「In The Navy」にも、やはり性的な含みが込められています。

「海軍にはゲイが多い」という俗説を知らない人には、ユーモラスな愛国ソングとしか聴こえません。しかし、この曲に込められた本当のニュアンスというのは、

「海が苦手なマッチョ男を、わざわざ海軍にリクルートする理由とは、是、如何に? ……むふふふふ」

ということです。

ヴィレッジ・ピープルは、確かにゲイを戯画化したことで成功したグループです。しかし、それは表面的な理解でしかありません。

楽曲の中では、ゲイのセックスが、かなり生々しいレベルで暗示されていたのです。

だからこそ、ヴィレッジ・ピープルは、ロック/ポップスの世界におけるLGBTの可視化に、大きな一歩を記すことができたのです。

一見しただけでは、ゲイを茶化すことによって商業性を得ているかのように見えるヴィレッジ・ピープルですが、その楽曲の中には、LGBTの当事者にのみ通用する性的コードが含まれていたからこそ、ヴィレッジ・ピープルの表現は主流のロック/ポップスの世界におけるLGBTの可視化の一歩であることが、クロゼットであった後続のLGBTのアーティストたちには理解できた。(事実、後年になってからペット・ショップ・ボーイズが「Go West」や「New York City Boy」のような楽曲を通じてヴィレッジ・ピープルへのリスペクトを示しているのは、そういうことです)

LGBTが主流のロック/ポップスの世界で可視化するための、その第一歩としての、一種の必要悪としての、「当事者による戯画化」。

それが、ヴィレッジ・ピープルなんです。

一方、「フォー!」の人のような「非・当事者の手による戯画化」は、LGBTの芸能人のカミングアウトに道を開くことはありません。むしろ、「ストレートの芸人であっても、ゲイのセックスをネタにして笑いを取るのはOKなのだ」という、不要な既成事実を作ってしまいます。それはかえって、LGBTの芸能人のカミングアウトをより難しくするものです。日本のゲイ・コミュニティは、「フォー!」の人を安易に面白がることによって、残念ながら、それを許してしまった。

繰り返しになりますが、ヴィレッジ・ピープルというのは、LGBTが主流のロック/ポップスの世界で可視化するための、その第一歩としての、「当事者による戯画化」だったんです。

私は、日本のゲイの若い世代に、もっとヴィレッジ・ピープルのシリアスな側面を知ってもらいたいです、マジで。

"In The Navy"
イン・ザ・ネイヴィー
(1979)


ヴィレッジ・ピープルの詳しいバイオグラフィーは、こちらでどうぞ。
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No. 8
Pet Shop Boys / Go West
(1993)

No.9の「In The Navy」が収録されていたヴィレッジ・ピープルの1979年のアルバムのタイトル曲を、ペット・ショップ・ボーイズがカヴァーしたのが、この「Go West」です。1993年のアルバム『Very』の収録曲で、全英で最高2位を記録する大ヒット曲となりました。

この曲における「West」とは、ゲイ・タウンのサンフランシスコがある、アメリカ西海岸のことです。つまり、「Go West」とは、ゲイが安心して暮らせるコミュニティづくりを歌った、完全なるゲイ・アンセムです。

ペット・ショップ・ボーイズのヴァージョンは、しかしオリジナルのメッセージに、さらにヒネリが加えられています。

1993年といえば、エイズによって多くのゲイ・アーティストが命を落としていた、まさにその渦中の時代です。そんな時代にあって、ペット・ショップ・ボーイズは、この曲に「楽園の喪失」というニュアンスを込めています。ヴィレッジ・ピープルのオリジナルが発表された1979年は、エイズが本格的に猛威を振るい始める直前の、アメリカのゲイ・カルチャーにとってはいちばん平和な時代でした。

また、1993年といえば、旧ソ連を始めとする東欧諸国で次々と共産政権が倒れていった時代です。ヴィデオ・クリップを観てもらえればわかるかと思いますが、ペット・ショップ・ボーイズの「Go West」には、東欧諸国の西欧化、という政治的なニュアンスも加えられています。

……とはいうものの。

彼らがどういうニュアンスを込めたにせよ、ヴィレッジ・ピープルの原曲がもっていたゲイ・アンセムとしての意味合いは、ペット・ショップ・ボーイズの完璧なアレンジメントによって、これ以上はないというくらい最大限に昇華されています。

そして。

フレディ・マーキュリーが亡くなったのが、その2年前の1991年。

エルトン・ジョンが自らもエイズ基金を設立したのが、1年前の1992年。

そんな辛い時代だったからこそ。

1993年にリリースされたペット・ショップ・ボーイズの「Go West」は、エイズが猛威を振るう時代だからこそ、なおのこと自分たちの楽園を強く希求するゲイの心を、ヴィレッジ・ピープルのオリジナル以上に、大きく揺さぶったのです。

単にアゲというだけでなく、ここまでスケールが大きく、かつ涙が出そうになるくらいウワーッと感動的に盛り上がるゲイ・アンセムなんて、そうそうありません。

個人的な好みだけでいえば、この曲こそが、ゲイ・アンセムのナンバー・ワンだと、私は思っています。

"Go West"
ゴー・ウエスト
(1993)


ペット・ショップ・ボーイズの詳しいバイオグラフィーは、こちらでどうぞ。
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No. 7
k.d. Lang / Constant Craving
(1992)

北米地域でのロック/ポップス・シーンにおける、レズビアン・アーティストの流れは、k.d.ラング以前と以後とでは、明らかに違います。

k.d.ラングの登場以前にも、レズビアンであることを公にしていたアーティストは存在していました。フランクやトゥー・ナイス・ガールズといったアーティストは、そのファースト・アルバムが日本でも発売されていました。

しかし、それらのアーティストはインディーだったので、物流の面から、アメリカ国外にまでその影響力を行使するのは難しかった。

それらのアーティストが、何故インディーで活動していたのかといえば、それはアメリカのメジャー・レーベルが、女性アーティストの主体性を、全く認めていなかったからです。

だからこそ、女性による女性のための音楽を作りたいと願うアーティストたちは、女性シンガー・ソングライター専門のインディー・レーベル、オリヴィア・レコードを設立します。そして、そこからウィメンズ・ミュージックと呼ばれるムーヴメントが、全米に拡がっていきました。これは'60年代末から'70年代にかけてのことです。

このウィメンズ・ミュージックは、ラジカル・フェミニストの、オープンリー・レズビアン・アーティストによるフォーク・ロックが中心でした。

一方。

k.d.ラングは、政治的にはラジカルではありません。彼女は特に政治的なことを歌っているわけではなく、デビュー時からレズビアンであることをオープンにしていたわけでもありませんでした。それゆえに、彼女はメジャー・レーベルに籍を置くことができた、という見方も可能です。

しかし、だからといって、k.d.はノンケ女子のふりをしていたわけでは、決してなかった。

ブレイク直後のk.d.は、しばしば「男装の麗人」とか「女版ボーイ・ジョージ」などと形容されましたが、いついかなる場合でも男装というわけではなく、振幅のあるヴィジュアルです。

つまりは自然体、ということです。

ノンケの考える「女性らしさ」に、k.d.は自分を無理やり合わせようとすることもない。かといって、ラジカリズムに従って自分の「女性らしさ」を疎外することもない。

「これが私」というスタンスを、k.d.は常に貫いています。

k.d.が1992年に発表したアルバム『Ingenue』と、シングル「Constant Craving」は、商業的にも大きな成功を収めます。このアルバムによって、k.d.は初めて日本にも紹介されました。グラミー賞も受賞し、世間からのk.d.への注目がピークに達していたこの年に、彼女はアメリカのゲイ雑誌『The Adovocate』誌上で、レズビアンであることをカミングアウトしました。

メジャー・レーベルに所属する女性アーティストが、レズビアンであることを公にしたのは、k.d.が最初でした。

彼女がメジャー級のアーティストであり、人気のピーク時にカミングアウトしたからこそ、その影響力は、アメリカ国内だけにはとどまらず、世界的なレベルで波及しました。

そして、このk.d.のカミングアウトは、アメリカの音楽業界におけるレズビアンの可視化の流れを作り出し、1993年にはメリッサ・エスリッジが、1994年にはインディゴ・ガールズが、次々とレズビアンであることを公にしました。

彼女たちはいずれも、LGBTライツにコミットはしていても、決してラジカルなアーティストではありません。LGBT以外の人々にも充分訴えかけるだけの普遍性は失わず、しかしノンケのリスナーに媚びることはせず、「ゲイ女子としての自然体」を大切にしている。

そうした「メジャー級のレズビアン・アーティストのスタンダード像」を築き上げたのは、まさにk.d.ラングの功績です。

「Constant Craving」の収録アルバム『Ingenue』は、LGBTミュージックの名盤中の名盤です。

つーか、基本アイテムです。必聴。

"Constant Craving"
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(1992)




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No. 6
Sylvester / You Make Me Feel (Mighty Real)
(1978)

このLGBTミュージックTOP100を最初から丁寧にご覧になってくださっているかたなら、既にお気づきのことかもしれませんが、このTOP100には、黒人アーティストの曲があまり含まれていません。

選者である私が黒人アーティストを嫌っているのではありません。

LGBTであることを公にしている黒人アーティストの数自体が、絶対的に少ないのです。

アメリカでは、黒人差別が今でも根強く残っています。つまり、黒人のLGBTは、二重の差別に苦しんでいる、ということです。したがって、黒人のアーティストのカミングアウトは、白人のアーティスト以上に難しいのです。

この辺の話は、このブログの2005年11月6日のエントリに、詳しく記してあります。ぜひ参照してください。

ルーサー・ヴァンドロスのセクシャリティを巡る話

黒人のアーティストがカミングアウトする難しさは、何もメジャー級のアーティストに限った話ではありません。現在アメリカでは、インディーで活動しているLGBTのヒップホップ・アーティストたちが、「Homo Revolution Tour」と題して、全米各地のクラブをツアーしている真っ最中ですが、この「Homo Revolution Tour」に参加しているのは、ヒスパニックや白人のアーティストが中心です。

インディーの世界でさえ、黒人アーティストがカミングアウトするのは難しいのです。

そして、このTOP100に登場している黒人のLGBTアーティストの顔触れを見てみると、バイセクシャルのミシェル・ンデゲオチェロ以外は、いずれもドラァグ・クイーン出身のアーティストです。シルヴェスターもル・ポールも、ケヴィン・アヴィアンスも皆、ゲイ・カルチャーと密接な関わりのあるクラブ・シーンから登場したアーティストだったからこそ、カミングアウトも可能だった、といえます。

ドラァグ出身のアーティストしかカミングアウトできない状況というのは、オネエキャラしかカミングアウトを許されない空気のある日本の芸能界に、ちょっと似ているかもしれません。

ゲイ・ディスコ・シンガーのパイオニアであるシルヴェスターは、ゲイ・ポップ・カルチャー史上におけるその存在が決して軽視されているわけではありませんが、もっともっと讃えられてもいいはずの人です。

シルヴェスターのバリバリのオネエキャラは、悪い意味でのゲイのステレオタイプに当てはまってしまうので、その点が嫌われているのかもしれませんが、1970年代という時代にあって、ここまで堂々とゲイ性を前に出して次々とヒット曲を飛ばしていた黒人アーティストがいたという事実は、黒人アーティストのカミングアウトが21世紀の現在でも非常に難しいことを考えると、偉業と呼ばずにはいられません。

「You Make Me Feel (Mighty Real)」は、シルヴェスターの1978年のセカンド・アルバム『Step II』からのシングルで、全米のダンス・チャートでナンバー・ワンを記録したほか、全英のシングル・チャートでも最高8位を記録した、シルヴェスターの代表曲です。エレクトロニック・ダンス・ミュージックの記念碑的作品でもあり、ダンス・ミュージックの殿堂入りも果たしている名曲です。

"You Make Me Feel (Mighty Real)"
ユー・メイク・ミー・フィール
(1978)


シルヴェスターの詳しいバイオグラフィーは、こちらでどうぞ。
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残るはあと5曲。続きは、また後日。


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2007.04.23 Top↑
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