上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- Top↑
今回のエントリを読んでいただく前に。

まずは前回のエントリと、その基となっている、『に し へ ゆ く ~Orientation to Occident』さんの5月2日のエントリ「ナタリー・ポートマンは「選択的バイセクシュアル」になるのか?」を読んでくださいねー。

じゃないと、今回のエントリはワケわかんないと思いますよー。



ナタリー・ポートマンは「選択的バイセクシュアル」になるのか?(に し へ ゆ く ~Orientation to Occident)

選択的バイセクシュアル・アーティストの系譜・序章



では、続きをば。



LGBTミュージックの歴史上においても、それから知名度の高さにおいても、「選択的バイセクシュアル」のアーティストとして先ず筆頭に挙げるべきは、デヴィッド・ボウイです。

そして、1990年代のブリット・ポップの代表的バンドの1つ、スウェードのフロントマンであったブレット・アンダーソンも、「選択的バイセクシュアル」に属するアーティストの1人に分類できます。

初期のブレット・アンダーソンは、「僕は同性愛経験のないバイセクシュアルだ」と発言していました。その楽曲も、兄弟間の近親相姦などを題材とした、非常に頽廃的・耽美的なものでした。

そのブレット・アンダーソンとデヴィッド・ボウイが、1993年、イギリスの音楽雑誌『NME』誌上で、対談を行なっています。日本の音楽雑誌『rockin'on』の1993年6月号には、その対談の日本語訳が掲載されていました。

この対談の中で、ボウイとブレットの2人が、同性愛について語っている箇所が、非ッ常~に興味深いんですね。

なので、その1章分まるまるを、ここに引用しちゃいます。嫌がらずに読んでね。

ボウイ「70年代初期にバイセクシュアルの段階を経て、そしてその後自分はヘテロなんだということが次第に明らかになった時、僕はバイセクシュアリティーに首を突っ込んだことを否定したりはしなかった。ところが、僕がゲイ・コミュニティーの代弁者になれないということがわかると、みんな敵意をむき出しにしてきてね。僕としては『じゃあ僕みたいに、何年間か試してみたいっていう連中はどうなるんだ? ゲイじゃなくてストレートだけど、ただそのことを確かめたかっただけっていう、僕たちのような人間はどこに収まればいいんだ?』っていう感じだったよ」

ブレット「そういう態度は許されないんですよね」

ボウイ「その通り。誰も彼もが僕のことをいずれか一方にさせたがった。完全にこっちか完全にあっちか、とね。すごく戸惑った」

ブレット「それに、アーティスティックな面で自分自身をバイセクシュアル的に表現したからといって、それとプライヴェートの自分とは必ずしも関係ないですしね。単なる一個人でしかないんだから、プライヴェートで何をしようが俺は関係ないと思うんだけど、レコードを作る人間は何百人もの人間相手に喋っているから、プライヴェートでどういう人間なのかがもっと重要になってくる。悩みの相談を持ちかけてくるファン・レターみたいなものですよね。俺たちは精神科医じゃないのに。みんな、一個人としての俺たちじゃなくて、俺たちのレコードから力を得るべきなのにな」

ボウイ「そう。とにかくみんな、俺らに多様性を持ってほしくないんだよ。だったら……よし、多様化してやろうぜ! なんてね。話は変わるけど、エイズが人々の生活に旗振って踏み込んできているというのは、恐ろしいことだね。『おい、セクシュアリティーなど忘れてしまえ。そんなものはもう存在しない。一人の人間と出会い、死ぬまでその人間と添い遂げるしかないんだ』という世間の風潮には反対だ。ナンセンスだよ。もちろんエイズに対しては可能なあらゆる予防措置を講じなきゃ駄目だけど、セクシュアリティーは壊滅したとする今の風潮は、文明全体にインポテンツをもたらす最大要因になりかねないよ。我々の中にある、ディオニュソス神のように自由奔放なエネルギーこそが、我々を人間たらしめ、他のすべての生命体に対して我々を優位たらしめてくれるんだ。だから、我々の存在意義の限界に挑戦し続けるのは、正しいことだし、必要なことでもあるんだよ。なのにアンチ・ゲイ運動家たちときたら、そういうことはすべきではないと言う。恐ろしいことだ!」

記者「みんなあなたのような人間を胡散臭く感じているんですよ。そういう喋り方をする、ショウビジネス界の人間をね。何かたくらんでいるんじゃないのか、といつも疑ってしまうんです。たとえば、あなたのバイセクシュアル時代についてよく言われるのが『あれは大したいんちきだった』。」

ボウイ「でも一個人として言わせてもらうと、僕はあの声明を出す何年も前からバイセクシュアルだったんだぜ。その後確かに、自分は実はバイセクシュアルではないとわかったわけだけど、バイ生活の体験はすばらしいものだった。当時まで社会でタブー視されていた一分野に首を突っ込むというのは、すごくエキサイティングなことだったよ」

記者「そして今度はブレットが、レコードを売るためにアンビバレントなセクシュアリティーを弄んでいると非難されていると」

ボウイ「今の時代だとそれだけで十分なダメージだね! ハッハッハ! この危険な90年代ではそのことを話題にするだけでこん棒で叩かされてしまうよ」

ブレット「本当にうんざりだな。俺がバイセクシュアリティーを弄んでいるとみんなが思うのは、曲の中でそのことに言及しているからなんですよね。でもそれは、“ボーイ・ミーツ・ガール”的な紋切り型ラヴ・ソングを書きたくないからなんですよ。だから時にはゲイの視点から曲を書くこともある。自分がゲイであるか否かにかかわらずね。ポップ・ミュージックの世界では、社会の一定部分の人間が信じられないくらい無視されている。だから俺はああいう書き方をするんです。べつに、故意に商業的に存続可能なバンドになりたいと思っているわけでも、故意に商業的成功が困難なバンドになりたいと思っているわけでも何でもないんです。ゲイの中にすら業界のゲームに加担してるやつがいるからで、それがすごくイラつくんですよ」

記者「つまり、70年代よりも93年の今のほうがセックスがタブーになっているということ? となると、マドンナが例の『SEX』本であれだけのパブリシティ効果を上げることができたというのも、それなりに納得がいきますね」

ボウイ「まあ写真そのものは、まるでヘルムート・ニュートンのアウトテイクみたいだったけどね。でもあの行為自体はものすごく挑戦的で、僕は非常に感銘を受けたよ。僕は、彼女に対する世間一般の意見には断固反対する。彼女が自分の立場を利用しているだとか、そういうことはもう言わなくてもいいよ――それはもうわかってることだ。でもこの時期にああいう行動を起こすというのは大変な冒険だと思うんだよ。彼女のもくろみが何なのかなんて、ほとんどどうでもよくなってる。行為とパーソナリティーを切り離して考えれば、あれは並外れて勇敢で、大胆な行為だったことがわかるよ。ある意味では、今の社会の抑圧的な流れと闘うためにも、もっとああいったことが起きてしかるべきなんだろうね」

記者「もし70年代に同じことを思いついていたら、あなたもやったと思います?」

ボウイ「ああ、多分ね。ただ僕の場合、写真は撮らなかったけど、実際にやってたからなあ。(註:底本では、太字部分は傍点)ハッハッハ! トニー・デ・フリーズ(当時のボウイのマネジャー)は、写真を撮るなんて考えつきもしなかった。でなきゃ今頃、ホテルでの激写の数々があちこちで出回ってるはずだよ。ハッハッハ!」

ブレット「あの本が実際に果たした功績は、俺も立派なものだと思ってます。誰でも自分のセクシュアリティーを徹底的に認識すべきですから。ただ、マドンナがやたらアテナ(*ギリシャ神話に出てくる芸術・戦術の女神)を気取ってて、その辺が俺にはうんざりだったんです。なんか全然おもしろみがなくて」

ボウイ「確かに。でも自分の真のセクシュアリティーを探求する権利が今も存在するとは、みんなもう思ってないんじゃないかな。今の時代、自分はゲイかもしれないと感じている男女は、恐らくそれをどうやって隠そうかと考えるだろう。『本当にそうなのか確かめたい』と思うよりもね。そんなこと、わざわざ考えすらしないよ。考えちゃ駄目だと言われているからね。もうすぐ『ストレートになろう』とか『一夫一婦制について学ぶなら今だ』とか『初めて出会った女の子、その子が君の生涯唯一の女性になる』とかいうキャンペーンが始まるんじゃない。これじゃまるで50年代だよ! 彼女が妊娠したら即結婚、ってね」

(『rockin'on』1993年6月号、100ページ~102ページより引用)


凄まじく長い引用になりましたが。

これが、93年にデヴィッド・ボウイとブレット・アンダーソンが対談した中の、2人が性的指向について語った部分です。

ボウイとブレットの発言は、非常に頷ける部分もあるものの、ゲイの当事者である私の視点からすると、頷くというよりはむしろ首を傾げざるを得ないような箇所が、幾つもあります。

簡単に言ってしまえば、ボウイやブレットの同性愛への認識は、当事者のそれと、いささかズレがあるんですよね。

というのも、ボウイもブレットも2人そろって、同性愛を、まるで「イデオロギーの一種」のように扱っているからです。



同性愛というのは、別にイデオロギーでも何でもなくて、伏見憲明さんの近著のタイトルにもあるとおり、単なる「欲望」です。



恋愛やセックスの相手は、異性よりも同性のほうがいいという、ただそれだけです。



それ以上でも、それ以下でもありません。



なのに、ボウイもブレットも、同性愛を1つのイデオロギーと捉え、それを前提に会話をしている。



ボウイとブレットの同性愛についての認識は、だからLGBTの当事者である私の目からすると、非常に「外在的」です。

たとえば、ボウイが「ゲイ・コミュニティーの代弁者になれなかった」ことをゲイが批判したのは、別に多様性を否定したかったからという理由では全然なくて、ただ単に、「なんだ、ボウイはお仲間じゃないのか」とガッカリしたという、ただそれだけのことです。

にもかかわらず、彼はそれを、あたかもイデオロギー批判であったかのように解釈している。

なぜかというと、それはデヴィッド・ボウイが、同性愛というものを、あたかも「イデオロギーの一種」であるかのように認識しているからです。

だからこそ、「当時まで社会でタブー視されていた一分野に首を突っ込むというのは、すごくエキサイティングなことだった」なんて発言も、彼の口からは飛び出してくるわけです。

一方のブレット・アンダーソンも、全く同様です。

たとえば、「“ボーイ・ミーツ・ガール”的な紋切り型ラヴ・ソングを書きたくないから」という理由でゲイの歌を書いたというのは、これはまさに彼が、同性愛について語るという行為の性質を、「既存の価値体系への挑戦」の一環として認識していたことの表れだと思います。

そういう認識で同性愛を曲の題材に選んでいたからこそ、「ブレット・アンダーソンはバイセクシュアリティーを弄んでいる」と批判されていたわけなんだけど、彼は自分が批判されている理由を、完全に履き違えていました。そのことは、この対談を読めばハッキリとわかります。

確かに、今のこの世の中で、同性愛を表立って語るという行為には、「既存の価値体系への反逆」という性質がついて回ります。でも、それは既存の価値体系が同性愛の存在に否定的だから自然とそうなってしまうのであって、要するに「単なる結果」でしかないんですよ。既存の価値体系に反旗を翻すこと自体が目的ではない。

にもかかわらず。

ボウイもブレットも、既存の価値体系への反発・挑戦が先にあって、その手段として、同性愛を「選択」している。

だからこそ、それが当事者とのあいだに認識の齟齬を生み出す原因となっているんです。

ところが、おそらく当人たちは、そのことに気がついていない。



とはいうものの。

LGBTミュージックの歴史上から言えば、デヴィッド・ボウイの功績は、本当に計り知れません。

ボーイ・ジョージもモリッシーもホリー・ジョンソンも、みんな「ボウイの子ら」です。

"Starman"
スターマン
(1972)




Ziggy Stardust Ziggy Stardust
David Bowie (2003/10/21)
Virgin Records Us
この商品の詳細を見る




そして、ブレット・アンダーソン率いるスウェードは、デビュー曲「The Drowners」を1992年に発表したころは、当時の英国のプレスから「第2のザ・スミス」と大絶賛されていました(今回のエントリで紹介したボウイとの対談は、ちょうどそのころのものです)。

しかし、セカンド・アルバムのレコーディング中に、ギタリストのバーナード・バトラーが脱退。それが直接的に影響したわけではないのですが、その後は大きく路線を転換し、耽美色は薄まっていきました。

それに加えて、オアシスやブラーといったバンドが台頭してきたこともあり、ボウイほどの大きな影響力を、スウェードはイギリスのロック・シーンに及ぼすことはできませんでした。

しかし、セルフ・タイトルのファースト・アルバムは、本当に素晴らしい作品だったと、今でも思います。

特に、ブレットのヴォーカルとバーナードのノイジーなギターが、まるでデュエットのように緊密に絡み合っていて、これがもー、最高にカッコいいです。

ちなみに、スウェードのドラマーであったサイモン・ギルバートは、のちにゲイであることをカミングアウトしています。スウェードが2003年に解散した後は、タイに渡り、やはりゲイであることをオープンにしているタイ人のヴォーカリストのジーンや、やはりゲイであることをオープンにしている元パナッシュのポール・ハンプシャーらが結成した多国籍パンク・バンド、フトンに、2005年から加入しています。(フトンの2005年のシングル「Rich, Baby」は、私が作成したLGBTミュージックTOP100の、No. 96の楽曲です)

フトンのバイオグラフィーは、こちらへどうぞ。
フトン バイオグラフィー(Queer Music Experience.)

"Animal Nitrate"
アニマル・ナイトレイト
(1993)




スウェード スウェード
スウェード (1993/04/01)
ソニーミュージックエンタテインメント
この商品の詳細を見る




しかし。

選択的バイセクシャルに分類されるアーティストたちの全員が全員、ボウイやブレットのように、同性愛を「既存の価値体系への挑戦」の手段として用いていたというわけではありません。

純粋にLGBTの人々の擁護だけが目的で、「俺は同性愛経験のないバイセクシャルだ」と発言したアーティスト(つまり、楽曲上には逆説的にバイセクシャリティーが一切現れていないアーティスト)が、1994年に、アメリカから登場してきます。

というわけで、選択的バイセクシャル・アーティストの系譜は、さらに次回に続きます。(まだ続くのか!? とか言わないでね)



スポンサーサイト
2007.05.05 Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://queermusicexperience.blog10.fc2.com/tb.php/166-10259315
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。