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既に先月の話になってしまったんですが、エルトン・ジョンの武道館公演に、私も行って参りました。

その観覧記は、某ソーシャル・ネットのほうで既に日記としてアップしていたんですが、その日記にあれこれ加筆したものを、後日このブログにアップしようと思ってたんですね。

ところが、大幅に加筆してるだけの時間的余裕がないままに、ズルズルと日数だけが経過していき、気がつきゃ坊主も走り出す12月。

てなわけで、即時性を思いっきり欠いた内容になってはしまいましたが、某ソーシャル・ネットにアップしたライヴ観覧記の内容に大幅に加筆したものを、今日、このブログにアップします。




この日(11月21日)のために、アテクシ、会社を休みました。だって、いったん出社しちゃったら、どんなに早くても22時前に仕事を上がることなんてできないんだもん。ま、数年ぶりに不整脈が再発しちゃったくらい、夏からずっと一所懸命働いてきた自分へのご褒美ってことで。



いやー、やっぱスゴいですよ、エルトン・ジョンは。

今回のツアーでは、バックバンドは一切入れず、完全なワンマン形式。曲によってはバックトラックとしてシンセサイザーが入ってるんだけど、それも必要最小限度に抑えられていて、基本的には全曲ピアノの弾き語り。

んでもって、全部で3時間弱という、かなりの長時間ライヴだったんだけど、ビックリしたのは、アンコール前を除けば、エルトン・ジョンが最初から最後まで、一度もバックステージに下がらなかったことなんですよ。衣装チェンジとか、エルトンが一息入れるためのインターミッションの演出も一切なし。

もちろん、全曲ノンストップだったわけではなく、曲の合間にはMCをしたり、水を飲んだり、ピアノの前を離れてオーディエンスの声援に応えたりはしてたんだけど、そうしたちょっとした合間がエルトンにとっては休憩みたいなもんで、基本的には180分ものあいだ、ひたすら休みなく歌い続け、演奏し続けてました。

決して激しいパフォーマンスをしてるわけではないにせよ、エルトン・ジョンが今年で還暦ということを考えると、3時間弱を歌い倒すこのパワーは、もー、半端ではないですよ。



かなりの曲数が演奏されたので、ただでさえ物覚えの悪い藤嶋は、今回のセットリストなんて全然覚えられなかったんですが、とりあえずオープニングの1曲は、いきなり「僕の歌は君の歌」。

もーね、看板曲を全然出し惜しみなんかしてないの。

印象的だった場面は、2001年のアルバム『Songs From The West Coast』に収録されている、「赤い靴の少年のバラード」。

この曲を歌う前に、エルトンは力のこもった身振りを交えて、次のように語りました。

「この曲は、エイズで亡くなった僕の友達のバレエ・ダンサーについて歌った曲なんだ。当時アメリカの大統領はレーガンだったんだけど、レーガン政権はエイズに対する施策を何にもしなかったんだ。何にもね。」


彼がこのように語った瞬間、私は、武道館に集まった日本のオーディエンスが「イエーイ!」という歓声で応えちゃったらどうしよう、と一瞬心配してしまったんですよね。というのも、日本のオーディエンスは英語のMCが苦手だから、目の前のアーティストが何を語ろうとも「イエーイ!」の歓声で済ませちゃうという傾向があるんですよ。

たとえば、1987年のマドンナの初来日コンサートのときに、彼女が「東京の人たちは踊ってくれないっていう噂を聞いたんだけど、それは本当?」と英語でMCをしたんですよ。そうしたら、彼女が何を言っているかわからなかった当時のオーディエンスたちは、とりあえず盛り上がっときゃいいだろ的な発想で、「イエーイ!」と応えちゃったんですよね。

驚いたマドンナは「そうなの?」と訊き返すんですが、何を訊き返されてるかわからないオーディエンスは、それでも「イエーイ!」と応えてしまいました。そこでマドンナは、「じゃあ、そんなアンタたちにこの曲を歌うわ」と応え、当時の新曲だった「Causing A Commotion」を歌い始めました。

日本のオーディエンスには英語のMCは通じないとマドンナは痛感したのか、アンコール前の最後の1曲「Into The Groove」を歌い始める前には、日本語で「イッショニ ウタッテ」「イッショニ オドッテ」とMCします。マドンナが日本語で喋ったことに、オーディエンスは大喜び。ようやく言葉が通じたマドンナは、次はごくごく簡単な英語に切り替えます。

「Now everybody dance?」

当然、オーディエンスは大盛り上がり。

「Alright, let me see you dance!」

……この、マドンナと日本のオーディエンスとの間抜けたやりとりは、当時TBS系列で、録画放映だったにもかかわらず、カットされずにしっかりと全国放送されました。しかもゴールデンタイムに。ただし、字幕はついていませんでしたが。



またもやマドンナの例の引用が長くなってしまったんですが、かようにして日本のオーディエンスは、海外のアーティストのMCの内容を理解できないまま、「イエーイ!」の歓声で応えちゃうことがあるので、エルトン・ジョンの厳粛なMCに、日本のオーディエンスが「イエーイ!」とか応えちゃったらどうしよう、とか思っちゃったんですが。

しかし、それは杞憂でした。

たとえ英語が苦手な人であっても、エルトンのMCの中に「エイズ」という単語が含まれているのを聴き取るのは、さほど難しいことではなかったはずだし、そういう以前にエルトンの厳粛な声音から、エルトンがとても大切なことを語っているということは、ひしひしと伝わったと思います。

ちなみに、「レーガンはエイズのために何にもしなかった」という話を具体的に解説すると、レーガンが現職のアメリカ大統領だった1981年に、アメリカで初めてエイズの症例報告が行なわれたんですが、専門家たちが警告を行なったにもかかわらず、レーガン政権は何の施策も行なわなかったんですね。レーガン政権が何にも手を打たなかったことが、今日のHIVの蔓延の遠因となっているというのは、既に定説です。



あと、個人的にものすごくアガったのが、「ブルースはお好き?」。

この曲は、藤嶋がリアルタイムで接した初めてのエルトンのヒット曲なので、非常に思い入れの深い1曲。今回は基本的にピアノ1本のパフォーマンスなので、しっとりとした味わいのオリジナルから、ちょっとホンキートンク風のアレンジへと意匠が変化していました。

エルトン・ジョンのように長期に渡って人気を保持し続けているアーティストともなると、ファンが初めてエルトンの楽曲に接した時代がいつなのかが、実にまちまちです。自分の場合、「僕の歌は君の歌」のように既にスタンダード・ナンバーと化している楽曲は別格として、1984年のヒット曲である「ブルースはお好き?」以降の楽曲にリアルタイムでの思い出があるので、1985年の「悲しみのニキタ」や1990年の「サクリファイス」などのヒット曲を生で聴けたのは、とても感慨深かったです。



んで、アンコール前の最後の1曲は、「僕の瞳に小さな太陽」。

そしてアンコールは、「アイム・スティル・スタンディング」と「サークル・オブ・ライフ」の2曲。

「アイム・スティル・スタンディング」では、サビの部分の「Yeah, Yeah, Yeah!」でオーディエンスは大盛り上がり。

てなわけで、「アイム・スティル・スタンディング」のヴィデオ・クリップをどうぞ。エルトン・ジョンのヴィデオ・クリップの中では、たぶん視覚的にいちばんゲイゲイしい部類に入るのが、この「アイム・スティル・スタンディング」です。

"I'm Still Standing"
アイム・スティル・スタンディング
(1984)




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2007.12.09 Top↑
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