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9月21日に札幌にて開催されたクラブ・イヴェント『エゾナイト』の公式テーマ・ソングとして同日にリリースされた M'KEYS×COBO.「rainbow」が、現在 Dandoo Online Shop にて発売中です。

※ジャケットは、ゲイ雑誌『G-men』で有名な、あの児雷也先生が手がけておられます。
「rainbow」ジャケット
rainbow / M'KEYS×COBO. - Dandoo Online Shop | だんどうオンラインショップ



レヴューとはまた違うんだけど、この曲を聴いて、ものすごーく嬉しくなったので、その思いを、以下につらつらと書き綴っていきます。



このシングルは、作詞・作曲・編曲のクレジットが記載されていないので、M'KEYS と COBO.の2人がどういう役割分担で実際の制作を行なったのか、藤嶋にはわからないんだけれども、この曲を聴いてとっても嬉しく思ったのは、サウンドの格好良さももちろんのことながら、その歌詞の内容が、これまでにゲイ・インディーズでリリースされてきたゲイ・プライド・ソングの流れを、決して絶やさずに今日にまで受け継いだ、まさに王道の内容になっている、ということでした。

そして歌詞カードに掲載されている M'KEYS と COBO.のそれぞれのプロフィールの中でも、この2人は自分が「ゲイ・アーティスト」であることを、キッチリと明言してくれていました。

そのことが、藤嶋には本当に嬉しかった。



Queer Music Experience.に掲載している sola ちゃんのインタヴューの中で、sola ちゃんがLGBTの看板を掲げて活動しているご自身のことを「今の流れに自分は逆行してるのかもしれないけど」と語っている箇所があります。

これというのはつまり、「LGBTの看板を掲げて音楽活動をすることに懐疑的な雰囲気が、ゲイのインディー・ミュージシャンたちのあいだでは現在は大勢を占めているという空気」を、このインタヴュー収録当時の sola ちゃんは感じていた、ということだと思うんですね。そうでなかったら、こんな発言が出てくることはないだろうし。

※件のページはこちら。
http://k-serv.homedns.org/QueerMusicExperience/interviews/sola_interview4.html

そして。

そうした空気を、私こと藤嶋も同じように感じていました。

つーか、sola ちゃんが『ソラニワ』(2007年12月15日開催)をオーガナイズするよりも前の時期は、そういう空気がもっともっと、かなーり濃厚に漂っていたと思います。

もちろん、LGBTの看板を掲げたくても諸事情により掲げられない(たとえば、既に芸能事務所に所属していて、本人はゲイ・アーティストとして活動したくとも事務所がそれを許さない、等)、というケースも私は実際に知っていますが、この時期はそういう「仕方なく」という感じではなく、sola ちゃんが語ったように、「LGBTの看板を掲げないことこそが、今の時代の流れだ」という奇妙なコンセンサスが、濃厚に感じられました。

藤嶋は既に2006年の時点で、LGBTの看板を掲げて音楽活動をすることに懐疑的な雰囲気が当時のゲイ・インディーズに濃厚に漂っていたことへの危惧を、その年の4月18日に mixi の日記に書き記していました。PDFにして保存してあるその日記によると、マイミクさんから寄せられたコメントへのレスで、藤嶋は、

「このままでいくと、たぶん今のゲイ・インディーズは、『ゲイの音楽サークル』と同じ存在の仕方になっていくと思う。」

と予言めいたことを書いているんですね。

この場合の「ゲイの音楽サークル」というのは、現在の虹組ファイツが言うところのサークル活動ではなく、ゲイ・インディーズ・シーンが形成される前の時代とほぼ同じ状態のことを指しています。

ゲイ・インディーズの黎明期を知らないアーティストさんたちは、「ゲイの音楽サークル」という状態をむしろ「進化」と捉え、積極的に望んでいたのかもしれないけれども、ロックやポップスに取り組んでいるゲイのインディー・ミュージシャンが「ゲイの音楽サークル」という枠組みを超えてもっと全体的なネットワークを形成し始めたのがゲイ・インディーズのそもそもの始まりだったので、「ゲイの音楽サークル」と同じ存在の仕方になっていくということは、少なくとも私の目には、「進化」には見えなかったんです。

まあ、どのようにしてゲイ・インディーズが形成されていったのかが、これまでちゃんと語り継いでこられなかったというところにも問題はあるのでしょうが。



2006年4月より後のゲイ・インディーズが、実際に「ゲイの音楽サークル」と化していったのは、これはもう藤嶋の主観ではなく、客観的な事実だと思います。というのも、藤嶋以外にも何人ものかたたちが「ここ数年のゲイ・ミュージック・シーンは元気がなかった」という趣旨のことを mixi 上やオフィシャル・サイト上で発言されているんですよね。2006年から2008年あたりのゲイ・インディーズに対しては、藤嶋以外のかたたちも、そういう厳しい評価を下されているんです。

そして、こうしたゲイ・インディーズの動きは、ここ数年の日本のゲイ・コミュニティ全体の空気とも、絶妙にリンクしていたように思います。

若い世代のゲイのかたを中心にして、ゲイ・カルチャーへのこだわりや、ゲイであることへのこだわりが、どんどん失われていっています。

確かに日本という国は、わざわざゲイの看板を掲げなくてもゲイとして生きていくことはできるし、そうやって生きていくことに慣れてしまえば、ゲイ差別を感じずに生きていくこともできます。

こうした近年の空気を、体育 Cuts は「飼い慣らされてるだけ」と一刀両断にしていましたが、その見解には藤嶋も全く同感なんです。

といっても、別に無差別カミングアウトを強制・推奨しているわけでは全くありませんからね。念のため。

そうではなく、特定の国や地域、共同体に固有の文化が失われてしまったら、それはその国や地域、共同体の喪失と、限りなくイコールでしょ?

でしょ?

たとえば大昔、当時の日本の為政者が、アイヌや琉球の人たちに大和文化を強制することによって、アイヌ人としての、琉球の民としてのアイデンティティが剥奪されていった、という歴史もあるじゃない?

いささか大袈裟な例えではあるけれど、でも、地域や共同体固有の文化へのこだわりの喪失って、結局そういうことだと思うんですよ。

固有の文化へのこだわりを失うということは、固有のアイデンティティの喪失なんです。

ゲイ・カルチャーへのこだわりが失われていくということは、ゲイ・コミュニティそのものの危機とイコールだと、私は思うんですね。後藤純一さんが Gay Life Japan を通じてゲイ・カルチャーに徹底的なこだわりを見せているのは、まさにそれが理由だと私は思うんです。ご本人に直接確認したわけではないですが、絶対にそのはずだと、私は確信しています。

ゲイ・インディーズについて言えば、その基礎を築いた功労者の1人である「がんちゃん」こと春日亮二さんの死と前後して、城野祐樹くんや sola ちゃんといった、ゲイ・インディーズの黎明期を知っているアーティストさんたちが、LGBTの看板を明確に掲げたライヴ・イヴェントをもう一度東京に復活させようと、オーガナイズに自ら乗り出すようになりました。城野くんがライヴのオーガナイズに自ら乗り出したのは、がんちゃんの死が一つのきっかけとなっているんだそうです。

これもまた大袈裟な物言いに思われるでしょうけれども、ゲイ・インディーズの2006年ごろから今日までをリアルタイムで体験しているかたたちは、「共同体固有の文化へのこだわりを喪失すると、いったいどういう状況を招くか」ということを、目の当たりにしてきたはずの人々だ、と私は考えています。

ただ、ゲイ・インディーズの場合、重要となってくるのは個々のアーティストの姿勢というよりも、むしろそれらのライヴ・イヴェントのオーガナイザーのスタンスこそが、シーンに対して決定的な影響を及ぼすのだということが、この数年でかなりはっきりしたと思います。だからこそ、sola ちゃんや城野くんのような人たちが自らオーガナイズに乗り出したのだと思うし。

もちろん、出演者が全員LGBTのアーティストで占められているライヴ・イヴェントが必ずLGBTの看板を明確に掲げていなければいけないということはありません。でも、少なくとも今ハッキリと断言できるのは、LGBTの看板を掲げたライヴ・イヴェントが皆無になったとき、それはLGBTインディー・ミュージック・シーンの喪失とイコールだ、ということです。

それはもうハッキリと証明されたと、私は思います。

城野くんや sola ちゃんが実践したライヴ・イヴェントのオーガナイズは、ほぼ実際に喪失してしまっていた、特に東京のLGBTインディー・ミュージック・シーンの仕切り直し、再生の試みであった、と私は思っています。

そして、この喪失と再生をリアルタイムで目にしてきた藤嶋は、後続の世代が同じ歴史をくり返さないようにするために、それを語り継いでいく義務があると思っています。



で、ですね。

LGBTの看板を掲げて音楽活動をすることに懐疑的な雰囲気というのは、そこで活動しているアーティストたちの楽曲の内容にも、少なくない影響を与えていたと思うんですよ。

がんちゃんの genetic LOAD PROJECT の一連の楽曲や、GALE の「Always Proud」や「BRAVE WALKER」のようなゲイ・プライド・ソングはもう古い! という空気も、私はかなり濃厚に感じていました。

だって、この種のゲイ・プライド・ソングは、2005年の TETSU vs M'KEYS の「ボクノシルシ」や、Takashi の「野性の花」あたりを最後に、リリースがほぼ途絶えていたから。

ここ数年の傾向としては、田中守 a.k.a.岡本忍が、ゲイであることに立脚したアイドル歌謡を多数発表して孤軍奮闘と言ってもいい大活躍をしていたり、sola ちゃんがセクシャリティー・フリーをテーマとした傑作「ソラニワ」をライヴで演奏したりしているけれども、ゲイ・インディーズの黎明期に多くのリスナーやオーディエンスを励ましてくれた、「自己肯定をテーマとしたゲイ・プライド・ソング」の新曲は、ほぼ完全に途絶えていたように思います。

「ボクノシルシ」よりも後の時代のゲイ・プライド・ソングとしては、3ピース・バンドの SPEEDER を率いているゲイ女子アーティストの kkjk が作詞を担当して、尾辻かな子さんが歌った、2007年の「Running to the Rainbow」があります。この時期は kkjk や尾辻さんのようなゲイ女子のかたがゲイ・プライド・ソングをクリエイトして歌っていたけれども、ゲイ男子によるプライド・ソングは、すっかり廃れていました。自己肯定がテーマの佳曲はあっても、それこそ「Running to the Rainbow」のような直球型のプライド・ソングを、ゲイ男子のミュージシャンが新曲として発表したのは、「ボクノシルシ」が発表された2005年が最後の時期です。

悲しいことに、それが事実なんです。

若い世代のゲイのみなさんはゲイであることに悩まなくなってきている、とよく言われています。でも、そのように言われている一方で、自分のセクシャリティを肯定できずに悩んでいる若い世代のかたたちだって、実は今でもたくさんいるんです。そのことは、NHK教育の『ハートをつなごう』を観れば明らかです。

今でも多くの若いLGBTのかたたちが、自分のセクシャリティに悩み、孤独感に苛まれ、場合によっては自傷したりしているんです。

遠い海外ではなく、この日本で。

私たちが暮らしているこの日本の、今この時代でも、ね。



だから。

ゲイ・プライド・ソングだって、まだまだ必要とされていると思うんです。

ゲイ・プライド・ソングを必要としている若いゲイの人たちは、今でもたくさんいるんです。



そして、ここでようやく話はスタート地点に戻ってくるんですが。

『エゾナイト』の公式テーマ・ソングとしてリリースされた M'KEYS×COBO.の「rainbow」は、まだまだ必要とされているはずなのにどういうわけか長いあいだ途絶えていたゲイ・プライド・ソングを、2009年の現在に復活させてくれた、素晴らしい1曲だと思うんです。

そしてこの曲が、ゲイ・インディーズが東京だけでなく全国区で最盛期を迎えた時期の代表的アーティストの1人である M'KEYS の単独ではなく、若い世代のゲイ・アーティストである COBO.とのコラボレーションであるということが、私にはすごく嬉しい。

喪失と再生を経た今、ゲイ・インディーズは、20代の若い世代のアーティストさんたちがとっても元気です。alis くんや SEKI-NE くん、くん、藤本大祐くん、etc.(五十音順)。

そして、Metro の片割れとして、わざわざ札幌からやってきて東京でライヴを行なってくれている COBO.も、その1人です。

まさにゲイ・プライド・ソングの王道を往く、この「rainbow」という楽曲に、COBO.の名前がクレジットされているのが、藤嶋は本当に嬉しい。

王道復古を飾ってくれたのが若い世代の代表格の1人である COBO.だということが、私には本当に嬉しいです。

こうした曲のクリエイトに、若い世代のアーティストが積極的に関わっている、そのことには、ものすごく大きな意義があるんです。



やや攻撃的な内容の文章になっちゃってるかもしれないし、ここで私が書いたことには異論・反論も多数あるでしょうが、とにかくこれが、今の私の正直な思いです。


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2009.10.26 Top↑
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