これがカフェ・ライヴである以上、お客さんは全員テーブルに着いて Yosuke さんの演奏を聴くことになります。そうなると、奥の席のお客さんには Yosuke さんの演奏する姿が全く見えないということになってしまうんですね。
ゆえに、Lasah のオーナーさんは、テーブルの上に楽器を置いて演奏することを Yosuke さんにすすめたりもなさったのですが、Yosuke さんはあくまでも床の上に腰を下ろしての演奏スタイルにこだわりました。
そのこだわりの理由を、私は Yosuke さんの口からちゃんとうかがったわけではないので、正確なところはわからないのですが、おそらくはトイピアノの演奏を大前提としていたからではないかと、今では思っています。トイピアノを演奏するには、床の上に腰を下ろすことが必要条件だったのかな、と。
第一部と第二部のあいだの休憩時間のときに、お客さんとしていらっしゃっていた、
くま絵師の悠さん が、Yosuke さんのトイピアノを鳴らしてみようと、そっとキーに触れたのですが、軽く触れる程度では、音が出なかったのだそうです。
トイピアノって、力の加減を知らない小さな子どもが使うことを前提としているせいか、かなり強くタッチしないと、どうやら音が鳴らないらしいんですね。
ということは、それをテーブルの上に置いて演奏しようとすると、かえってタッチに力が入りにくくなるため、肝腎の音が出せなくなってしまう。それを Yosuke さんは回避しようとしたのではないか、と。
トイピアノは打楽器だ、とおっしゃっていたお客さんもいらっしゃったんですが、実際、目を閉じてトイピアノの音を聴いていると、マリンバとかブロッケンの音に非常に近いんですよね。打楽器のように、下方向に力を加える演奏が、どうやら求められてくるようなんです。
というわけで。
カフェ・ライヴとしては前代未聞、床の上での演奏となった Yosuke さんの Lasah ライヴでしたが。
かなーり、シュールな絵面でした。
ほら。 カフェ・ライヴというよりは、あたかもストリート・ライヴがそのまま屋内に持ち込まれたかのような雰囲気。
加えて、この日の衣装として Yosuke さんがまとっていたショールが、映画『ビルマの竪琴』をほうふつとさせる色合いだったので、オーナーさんからお茶を受け取る Yosuke さんの姿は、あたかも托鉢のよう。
さらに第二部では、オーナーさんの遊び心でキャンドルの灯りも加えられ、シュール度がさらにアップ(笑)。
曲によっては、トイピアノの弾き語りでフル・コーラスがパフォーマンスされたものもありましたが、多くの場合はイントロやアウトロ、あるいはブリッジ部分などで、トイピアノが用いられました。
トイピアノの音色は、たとえばオルゴールの音色のように、どこか物哀しい響きを湛えつつ、それが打撃音であるがゆえに、オルゴールに比べると明らかに押しが強く、そして鋭い響きがあります。そうした物哀しくも鋭い音と、非常に柔らかい電子ピアノの音色とのミックスは、音の強弱やテンポの緩急では表現できないような表情の変化を、曲の中にもたらしていたと思います。
さて、今回のライヴで歌われたのは、カヴァー曲が主体です。
しかし、何かのコンセプトに基づいて選曲されたというよりは、今回のライヴをもってこれまでの音楽活動に一区切りをつけようとしている今の Yosuke さんが、それでも歌わずにはいられないという強い衝動を覚える、そんな楽曲群がチョイスされている雰囲気を、藤嶋は感じました。
というのも、今回取り上げられた楽曲群のオリジナル・アーティストの顔ぶれを眺め渡してみると、これがまた、実に種々雑多なんですね。
アイドルワイルド、五輪真弓、リンキン・パーク、マドンナ、ダイド、ビョーク、松任谷由実、華原朋美、槇原敬之、チェット・ベイカー、ジュリア・フォーダム、ダレン・ヘイズ、ビー・ジーズ、マイケル・ブーブレ、ジョニ・ミッチェル、ジェームズ・テイラー(前回の Lasah ライヴで鹿嶋さんも歌われた「Shower The People」!)、etc...。
男性もいれば女性もいる。洋楽のアーティストもいれば、邦楽のアーティストもいる。
まさしく、ゴッタ煮の状態。
でも、ゴッタ煮であるからこそ、これを貫く明確な一本のラインがあるとしたら、それはもう、「僕はこの曲を歌いたい!」という Yosuke さんの意志一つだけなんですよね。
しかも、それが非常に強い衝動でない限り、こうも雑多なラインナップにはならないと思うんですよ。「ちょっと歌ってみてもいいかなー」という程度の軽い衝動だったら、むしろ並置するのを避けてしまうような、そういう雑多ぶりなんですよね。
だからこそ。
この種々雑多なセット・リストには、「僕は歌を歌いたい」という、自身の音楽活動のいちばん根源的なモチベーションを、今回のライヴを通じて再確認しようとなさっている Yosuke さんの意志のようなものを、私は感じました。
Yosuke さんはMCで、次のようなことをおっしゃっていました。
「ふだん道を歩いていても、鼻歌がつい出てしまうというたちで、歌うことが止まらないので、今回、一区切りということをいちおう言いながらも、たぶん『歌いたい』という衝動はなくならなくて、たぶん、歌うことの形が変わると思うんですよ。どんな形になるのかは自分でもわからないのですが、これからも歌は続けるけれども形は変わるというのを、わかりやすく説明したかったので、一区切りをつけるという告知の仕方になったと思うんです」 そして、こうもおっしゃっていました。
「歌って、すごく不思議な力があって、男性アーティストの曲も女性アーティストの曲も今日は歌ってますけど、自分であって自分でないような、男性性と女性性を超えていくぐらい、自分にとっては特別なもので、歌いながら自分じゃなくなっていく感覚が、やっぱり好きなんだと思います。」 男性性と女性性を超えていくというのはまさしくその通りで、今回のライヴでは女性アーティストの楽曲も多く取り上げられていたのが、私には印象的でした。ファルセットを多用することによって、今回の Yosuke さんのライヴは、通俗的な男らしさとか女らしさのイメージの縛りからは完全に解放されたものになっていたように思います。
種々雑多なセット・リストが可能になっているということは、裏を返せば、それだけ多くの境界線を越えているということでもあるんですよね。
「僕はこの歌を歌いたい」という、いちばん根源的な衝動を拠りどころに、性別や使用言語、そしてジャンルといった、実にさまざまな境界線を、ファルセットやウィスパリング・ヴォイスの多用と、鍵盤の弾き語りというシンプルなアレンジによって越境する。
歌によって境界線を越えていく――それが、Yosuke さんのひとまずの歌い収めが到達した境地だったのだと、私は感じています。
そう、これはあくまでも、一区切りなんですよね。
MCの中では、こうも語られていました。
「プロになることを目指していたので、いろんなところで歌わせていただいたり、いっぱいデモ・テープを作ったりしてきましたけど、『頑張っちゃったな』というところが今までずっとあったりはしたので、今後またやっていくとしたら、もうちょっと気楽にやれたらいいなと思いつつ、でも気楽にやるには自分が精進しなきゃいけないわけで、その辺はすごく悩んでもいますが、いったん区切りをつけるとはいえ、何らかの形でまたやれるといいなと思っています。とりあえず、歌うのは、すごく好きです」 ☆ そして、そんな Yosuke さんのイメージに合わせて、Lasah のオーナーさんがチョイスなさった今回のお茶は、まずはコレ。台湾の高山茶。
品評会で賞をとっているお茶だそう。悠さんの言葉によると、これだけで今回のライヴ料金と同じくらいの値段がするんだって。ひえー。
そして2杯目に出されたのは、この高山茶の、今年の新茶。このセレクトには、Yosuke さんにはこれからも歌を歌い続けていってほしい、新たな歌を見つけてほしいという、オーナーさんからの期待とメッセージが込められています。
そして今回のお茶菓子はコレ。
右下のクグロフは、Yosuke さんからのリクエスト。これがすっげー美味! Lasah さんがふるまってくれるお茶菓子に、ハズレは一切ナシ!
☆ というわけで、Yosuke Live [Oblivion]@Lasah の観覧記でございました。
正しいドレミで、楽しいドレミ!(笑)
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