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『Fragiler』ジャケット新宿二丁目の ALAMAS CAFE のDJブースから、毎月第四金曜日の22時より公開放送されている、ゲイ雑誌『Badi』の公式 USTREAM 番組『Badi チャンネル』のテーマ・ソング「KnocK」を歌われている、シンガー・ソングライターの Men⇔Dy (メンディー) さんの2枚目のアルバム『Fragiler』(フラジャイラー)が、2月3日より発売開始となりました。

同日には、やはり同じく ALAMAS CAFE のDJブースから、こちらは毎月第一日曜日に公開放送されている、Men⇔Dy さんがメイン・パーソナリティーの USTREAM 番組『ジェンダラスナイト』にて、『Fragiler』の全曲紹介がありました。

『ジェンダラスナイト』は録画放送もされているので、このブログをお読みになってくださっているみなさまも、ぜひ下のURLをクリックして、『Fragiler』の全曲紹介をご覧になってみてください。58:40前後から全曲紹介が始まります。

http://www.ustream.tv/recorded/29006057

さらに、たけださとしさんのポッドキャスト『たけださとしの歌のフリーマーケット』でも、Men⇔Dy さんをゲストに迎えた前後編が、やはり2月3日から配信開始となっています。

第185回★Men⇔Dyの地味なニューアルバムに込められたアーティスト魂! 2/9のイベントもよろしく(前編)★(たけださとしの歌のフリーマーケット、2013.02.03)

第186回★Men⇔Dyの地味なニューアルバムに込められたアーティスト魂! 2/9のイベントもよろしく(後編)★(たけださとしの歌のフリーマーケット、2013.02.03)

この『歌のフリーマーケット』の前後編や、『ジェンダラスナイト』の中でも語られているように、今回の Men⇔Dy さんのニュー・アルバム『Fragiler』は、Men⇔Dy さん曰く、「地味」なアルバムです。

どう「地味」なのかというと。

これまでの Men⇔Dy さんの楽曲にあったような、明るくダンサブルな要素が影を潜め、バラードや、あるいはプログレ色のある暗いイメージの楽曲が、その中心となっています。

そして、全体のテーマは、タイトルにもあるとおり、「コワレモノ」。

Men⇔Dy さんはご自身のブログの中で、今作について、次のように記していらっしゃいます。

「人は皆コワレモノ。
儚いモノを抱え、健気に生きようとすればするほど傷ついてしまうものです。

でも、私はそんな人間が好きです。
先にある砂粒くらいの光に向かって、もがきながらも進もうとする人の方を押してあげる事が出来るように、そういう気持ちで今作は作っていきました。

もがく事、絶望。
私にとって絶望は、先に進もうとする人が誰しもが味わうプロセスだと思っています。
そう考えると、絶望という言葉そのものは、けっしてネガティブな言葉には思えないのです。

いつかどこかで、絶望のふちにいる誰かの耳にこの作品が届いて、少しでも後押しする事が出来たなら、その時ようやくこのアルバムを出した事に達成を感じる事が出来るような気がしています。」


私が Men⇔Dy さんのことを知ったのは、実は比較的近年のことです。だから、Men⇔Dy さんのデビューから今日までの変遷を、すべて見てきたわけではありません。そんな俄かファンの私であっても、今回の『Fragiler』が、これまでの Men⇔Dy さんのパブリック・イメージに比して相当「地味」な作品に仕上がっていることはわかります。むしろ、昔から Men⇔Dy さんのことを知らなかったぶん、Men⇔Dy さんの表現の引き出しの多寡がわかっていないからこそ、今回の変化の振幅が、なおさら大きく感じられるのです。

しかしながら、この「地味」なテイストこそが、Men⇔Dy さんが前々から取り組んでみたかった路線であるということは、たけださんの『歌のフリーマーケット』の中で、Men⇔Dy さんご自身の口からじっくりと語られています。「地味」であるせいで、ひょっとしたらこれまでのリスナーが離れていってしまうかもしれないことすら、Men⇔Dy さんは覚悟なさっているようで、それだけ強い思い入れが、この『Fragiler』には込められているのだということが、『歌のフリーマーケット』での Men⇔Dy さんのインタヴューを聴けばよくわかります。

さて。

Men⇔Dy さんが音源上でこれだけ大きな変化を示したとなれば、次に気になってくるのは、Men⇔Dy さんのライヴ・パフォーマンスの内容が、楽曲の雰囲気の変化に伴って、いったいどのように変貌するのか、ということ。

アルバムの発売開始からほぼ一週間後の2月9日には、Men⇔Dy さんと小松美佳さんの共同企画によるライヴ・イヴェント『Men⇔Dy × 小松美佳 presents 「shimokita 雪山ロッヂ」』が、下北沢 MOZAiC にて開催されました。出演は、Men⇔Dy さんと小松美佳さんのほかには、HIRUGI.co さんと、そして Men⇔Dy さんと共に『ジェンダラスナイト』のパーソナリティを務めていらっしゃる ooming.さんをヴォーカルに擁するロック・バンド、わるだくみの、計4組。

この『shimokita 雪山ロッヂ』は、『Fragiler』の発売記念ライヴではなく、会場を雪山のロッジに見立てた、コンセプト・ライヴです。架空のロッジから届けられる架空のラジオ・プログラムという体裁で、ライヴの全体が進行します。舞台転換のあいだには Men⇔Dy さんを始めとする出演者のみなさんによるラジオ風のトークも繰り広げられ、単なる対バン・ライヴとは一線を画した、テーマ・パーク感覚のライヴ・イヴェントでした。

これを企画した Men⇔Dy さんとしては、当日いらっしゃったお客さんから感想をいただくのであれば、ご自身のライヴ・パフォーマンスへの感想だけではなく、企画そのものへの感想や、共演者のみなさんのライヴ・パフォーマンスの感想なども、当然お聞きになりたいことと思います。だから、『shimokita 雪山ロッヂ』の観覧記を私も書くのであれば、Men⇔Dy さんについてだけではなく、イヴェント全体についても述べるべきだとは思うのですが、いかんせん字数が膨大になってしまうので、ここではあえて、このイヴェントにおける私のいちばんの関心事であった、『Fragiler』発売後初の Men⇔Dy さんのライヴ・パフォーマンスについて、話題を絞らせていただきます。



というわけで、先にも述べたとおり、私は Men⇔Dy さんのライヴを拝見するようになってから、実はまだそれほどの年月を経てはいませんが、その程度の俄かファンである私にも、Men⇔Dy さんのライヴ・パフォーマンスにはダンサブルなイメージがありました。

と同時に、そのダンサブルなイメージは、アーティストとしての Men⇔Dy さんの偽りなき一つの側面ではあったとしても、決して本質ではない、という感触も、実はありました。
Men⇔Dy さんのライヴ・パフォーマンスの様子を実際にカメラで撮影したことのあるかたであれば、これはきっとみなさん賛同していただけると思うのですが、バラード系のナンバーを歌っているときの Men⇔Dy さんの表情には、撮影者をググッと強く引き込む力があるんですよね。単にフォトジェニックという以上のものがある。シャッターを押した回数は、アップ・テンポのナンバーのときよりも、バラード・ナンバーのときのほうが、確実に多いんです。

バラード系の曲を歌っているときの Men⇔Dy さんの表情は、とってもシリアスで、凛としています。普段の明るく弾けたトークの中では、それはなかなか見られないものであるからこそ、Men⇔Dy さんの素顔というのは、実はそうしたバラード系の曲を歌っているときの、シリアスで凛々しい表情のほうなのではないか、と私はかねてから感じていました。

そして今回のライヴ・パフォーマンスは、バラードやプログレ色の強いナンバーが中心となっていたからこそ、Men⇔Dy さんがかねてから望んでいた表現スタイルが単に実現したというだけには留まらず、かつてないほどまでに Men⇔Dy さんがその素顔をさらけ出した、ある意味では非常に赤裸々なパフォーマンスであったように、私は思うのです。

赤裸々といっても、それは自伝的な内容の曲が多く歌われたというような意味ではありません。

私なりの語彙で書き表すと、それは「勇気ある自然体」とでも言うべきものでした。

Men⇔dyさん1


仮に、私が Men⇔Dy さんの所属事務所とかレーベルの重役であったとしたならば、Xジェンダーであることをオープンにしていらっしゃる Men⇔Dy さんを、「メンズでもレディースでもない Men⇔Dy」というキャラクターで「売り出す」にあたっては、たとえば既にテレビ界で活躍していらっしゃるオネエ系タレントのみなさんのほとんどがそうであるように、Men⇔Dy さんもまた、その楽曲やパフォーマンスは、明るく元気なイメージの路線で行こう、という判断をしていたと思います。

そして、実際にこれまでの Men⇔Dy さんは、そうであったのだと思います。

でも、その判断というのは、あくまでもビジネス上のものなんですよね。Men⇔Dy さんの素顔とか本質をどうやって表現していくか、という観点からのものではない。

Men⇔Dy さんのようなXジェンダーのかたをもあえて含めた、広い意味での MtF (Male to Female) のかたというのは、テレビ界の流行からの影響なのか、「明るくて元気が良くて、トークが達者で、見た目も派手」なのだという先入観を持たれがちです。しかもそうした先入観、思い込みは、セクシュアル・マジョリティのかたたちのあいだだけでなく、同じセクシュアル・マイノリティであるはずのゲイやレズビアン、バイセクシュアルのかたたちのあいだにもあるように感じます。

そして Men⇔Dy さんは、非常に生真面目なかただからこそ、そうした先入観や思い込みを、あえて拒絶はせずに、周囲からの期待としてポジティヴにとらえ、Men⇔Dy としてのパブリック・イメージの中で、その期待にがんばって応えてきたのではないか、という感触が、私にはあるのです。

ライヴにおいて、明るくダンサブルなナンバーで弾けている Men⇔Dy さんの姿は、もちろんそれもまた Men⇔Dy さんの偽りなき一つの側面ではあるのだと思いますが、それは「みんなの期待に応えようとしている Men⇔Dy」の姿であり、他者が Men⇔Dy さんに対して抱いているイメージを Men⇔Dy さんご自身がなぞって具現化してみせたという、いわば先ず他者ありきの一面であるようにも思います。

一方、バラードや暗いイメージのナンバーを歌っているときの Men⇔Dy さんは、たとえ地味であったり暗めであったり、あるいは演劇的な意味での演技が入っていたりしても、それは周囲からの期待とか先入観、思い込みなどからは切り離されたものであるぶん、先ず他者ありきではない、むしろ素のままの自然体であるような印象が、私にはあるのです。

そして、そのように「地味」に見えてしまう自然体を、自身の表現活動の主軸にするということは、考えようによっては「リスナーやオーディエンスからのこれまでの期待を裏切る」という行為でもあるので、Men⇔Dy さんのように生真面目でサービス精神の旺盛なかたにとっては、非常に勇気の要る決断であったように思うのです。そうでなければ、たけださんの『歌のフリーマーケット』の中での Men⇔Dy さんの発言にあったような、「ひょっとしたら私の音楽を今まで聴いていてくれた人が離れていってしまうかもしれない、それでも構わない」という覚悟は、決して出てきたりはしないはずなのです。

勇気をもって自然体の自分を表現している、そんな『Fragiler』での Men⇔Dy さんを、だから私は、「勇気ある自然体」と形容したのです。

Men⇔dyさん2


それから、今回のライヴで私が撮影した Men⇔Dy さんの写真をチェックしていく中で、私が改めて気づかされたのは、今回のライヴでの Men⇔Dy さんは、祈りを捧げるような表情や所作が非常に多かった、ということです。

それはまるで、『Fragiler』のジャケット写真のようでした。

Men⇔dyさん4


Men⇔Dy さんは今作『Fragiler』について、「先にある砂粒くらいの光に向かって、もがきながらも進もうとする人の方を押してあげる事が出来るように、そういう気持ちで今作は作っていきました。」と述べておられますが、今回のライヴでの Men⇔Dy さんもまた、やはりそうした人たちのために、厳粛な祈りを捧げていたのだと思います。

特に圧巻だった場面は、既にたけださとしさんも Twitter 上で記しておられるように、『Fragiler』の事実上のタイトル・トラックである「コワレモノ」から、前作収録の「名もない星座の街から」にかけての流れ。ここでの転換は、まるで一人芝居を観ているかのようで、シンプルでありながらも実に演劇的な、通常のポップスのライヴにはない、引き締まった空気がありました。これは今回のライヴ会場である下北沢 MOSAiC さんが、照明機材の非常に充実した箱であることも大きかったと思います。

Men⇔dyさん3
照明によって作り出された、欠けた月をバックに歌う Men⇔Dy さん。
この場面は非常に幻想的でした。


リスナーやオーディエンスからは明るく元気なイメージを求められがちな Men⇔Dy さんであるからこそ、このような演劇的な演出や所作、表情の中にこそ、むしろ「自然体を表現してみせることの勇気」が滲み出している、それを私は強く感じます。

私が Men⇔Dy さんの歌とパフォーマンスにいちばん感銘を受けるのは、その部分なんです。

つまり、自然体を表現してみせることの勇気。

たとえば、ゲイやレズビアンのミュージシャンにとっての「勇気ある自然体」とは、自身の性的指向に偽りのない表現活動を行なうことだと思います。なぜなら、ミュージシャンが性的指向を公にするのは非常に勇気の要ることだから。

一方、Men⇔Dy さんのようなXジェンダーのかたをあえて含んだ、広義の MtF のミュージシャンのみなさんの場合には、それが逆になってしまうんです。

つまり、その表現活動の内容が、セクシュアル・マイノリティであることにいちいち関連づけられて解釈されてしまうのです。

avex trax 時代の中村 中さんが、まさにそうでした。

別に性同一性障害をテーマに歌っているわけではないのに、歌詞の内容をいちいち性同一性障害に結びつけて解釈されてしまいがちでした。

それと似たようなことが、Xジェンダーをオープンにされている Men⇔Dy さんのキャリアの初期にも、おそらくあったように思うのです。

でも、生真面目な Men⇔Dy さんは、そうした先入観や思い込みに基づいてしまっている周囲からの期待に、それでもきちんと応えてきたのではないでしょうか。

だからこそ、そんな Men⇔Dy さんのようなXジェンダーであることをオープンにしているミュージシャンのかたにとっては、セクシュアル・マイノリティであることには基づかない表現活動こそが、かえって逆説的に、「勇気ある自然体」の表出となる。

その「自然体を表現してみせる勇気」を、Men⇔Dy さんは『Fragiler』という作品によって、私たちに示してくれた、そう思います。

そして、演劇的な演出によって、むしろ自然体の姿を表現してみせた Men⇔Dy さんは、ある意味では受動的だったともいえるこれまでの、「みんなの期待に応える Men⇔Dy」から、より他者に対して能動的な、「みんなの幸せを祈る Men⇔Dy」へと進化を遂げた。

――そのように、私は感じています。



Men⇔Dy さんは、祈る人です。



確かに『Fragiler』は、MtF のシンガーに求められがちな明るさはないかもしれません。けれども、聴けば聴くほどに味の出る、優しい祈りに満たされたアルバムです。

ライヴ会場での販売のほか、Men⇔Dy さんの公式サイトからも、通販で購入が可能です。

Men⇔Dy Official Site
http://men-dy.com/


みなさんも、ぜひ『Fragiler』を実際に手にして、そしてじっくりと、繰り返し聴いてみてください。

BGMとして聴き流すのではなく、ヘッドフォンを装着して余分な音を遮断して、リラックスしながら大音量で聴くのが、私のオススメの楽しみ方です。



それでは、長文、たいへん失礼いたしました。


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2013.02.12 Top↑
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