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 前回のエントリは、2014年1月13日(月)に新宿二丁目で開催された、『第1回冬の東京レインボー祭り』の観覧記でした。

 ここで行なわれた、ダンス・ユニット、DOt It さんのパフォーマンスを観ていたときに、私が前々から気になっていた、「ゲイ・アイドル」という言葉の定義がどう変質してきているのか、それについての答えが、にわかに私の頭の中で、猛烈な勢いで言語化され始めました。

 しかし、それを『第1回冬の東京レインボー祭り』の観覧記に盛り込んでしまうのは、内容的にも量的にも、アンバランスに過ぎるので、こうして別の記事として書くことにしました。

 したがって、これは『第1回冬の東京レインボー祭り』での DOt It さんのパフォーマンスの観覧記ではありません。

 以下に記すのは、「ゲイ・アイドル」という言葉が定義する内容の変遷についての私の考察です。


 以前、私は、2013年3月23日に渋谷 REX で開催された、虹組ファイツのワンマン・ライヴ『虹組ファイツ単独ライブ4th ~みんなのハートに桜さけ!~』の観覧記の中で、次のように書きました。

『ゲイ・アイドル』という言葉がどのような存在を指しているのか、2013年の今は、たぶん過渡期というか、変化の境目のような時期にあるような気が、私はするんですよね。『ゲイ・アイドル』とか『ゲイアイドルごっこ』といったものに、オーディエンスのかたたちだけでなく、おそらくは虹組メンバーのかたたちのあいだでも、明確な共通意識が実は存在していないのではないか、という。」(太字も原文ママ)

※虹組ファイツ単独ライブ4th 観覧記 Here >  > 


 こうした感触は、その後、2013年4月28日に、東京・代々木公園イベント広場にて開催された、『東京レインボープライド2013』のステージを観て、さらに一層、強いものになりました。(このイヴェントの観覧記は未執筆です。)

『東京レインボープライド2013』のステージには、虹組ファイツのみなさんも出演されていただけでなく、ハロープロジェクトの楽曲が中心のダンス・ユニットである二丁ハロのみなさんや、名古屋を拠点に活動されている、ダンス・パフォーマンスが中心のセクマイ・アイドル・グループ、NSM48(現:NSM=)のみなさんも、出演されていました。

 そして、虹組ファイツのみなさんも、それから二丁ハロのみなさんも、NSM48のみなさんも、特に区別されることなく、一律に「アイドル」として紹介されていたんですよね。

 そのことに、司会者のかたたちも、それから会場にいるオーディエンスのみなさんも、特に違和感とか疑問を抱かれることなく、普通に納得されている様子でした。

 でも、私は、

「じゃあ、『ゲイ・アイドル』とか『セクマイ・アイドル』の定義って、いったい何なんだ?」

 と悩んでしまったんですよ。

 そして同時に、「ああ、私以外のここにいるみなさんがたは、『ゲイ・アイドル』というものを、『アイドルっぽい曲を、歌ったり、踊ったりする人たち』という、実にアバウトな括り方で、全然平気で納得していらっしゃるのだなあ」、と思ったんですね。



 もちろん、「ゲイ・アイドル」という存在に、厳密な定義なんぞ持ち込まなくてもええやんけ、という考え方もあるだろうと思っています。というか、そっちのほうが全然多数派なんだろうということもわかっています。自分の考えだけが正しいなどとは、ゆめゆめ思っていません。

 正誤とか良し悪しを論じたいわけではないんです。そこはどうか、誤解なさらないでください。

 とにかく、2013年4月28日の『東京レインボープライド2013』の時点で、「ゲイ・アイドル」という存在は、原則的には「歌手」なのか、それとも「ダンス・パフォーマー」なのか、という境界線が、どんどん曖昧になっている、という感触が生じたんです。

 その感触が決定的になったのが、今回の、2014年1月13日の、『第1回冬の東京レインボー祭り』でした。

「ハロプロ大好きダンスユニット」と銘打たれた DOt It のメンバーのみなさんというのは、実は全員、虹組ファイツのメンバーでいらっしゃったのを見て、私は、

「ああ、『ゲイ・アイドル』の定義っていうのは、2014年の現時点では、『歌を歌っているかどうか』が重要なのではなくて、『女性アイドルの楽曲に合わせてダンス・パフォーマンスを繰り広げる』ことのほうが、より重要になってきてるんだなあ」と。



 どうして私が、この点に――つまり、「歌うこと」と「踊ること」のどちらにプライオリティーが置かれているのかに――やたらとこだわっているのか、というと。

 それは、そもそも「ゲイ・アイドル」というのは、ドラァグ・クイーンのようなダンス・パフォーマンス・ショーから派生したものではないから、なんですね。

「ゲイ・アイドル」とは、ゲイ・インディーズ・ミュージックの中から誕生したものです。

 ゲイであることに立脚した音楽活動を指向していた、ゲイのインディー・ミュージシャンたちが、2000年に開催された東京レズビアン&ゲイ・パレードの関連イヴェントとして、ゲイとレズビアンのインディー・ミュージシャンたちによる対バン・ライヴを企画。これにより、「ゲイ・インディーズ」と呼ばれる、ゲイ・コミュニティを基盤とした、セクシュアル・マイノリティによるインディー・ミュージックのムーヴメントが、2000年代の前半に、盛り上がりを見せました。

 この「ゲイ・インディーズ・シーン」の中から、「ゲイ・アイドル」は登場してきたんですよ。

 現在、虹組ファイツの楽曲のほとんどを手がけ、「二丁目アイドル」のマダム・ピロガネーゼさんや「セクマイ・アイドル」の NSM=さんにも楽曲提供を行なっている、虹組ファイツ背番号1番の岡本忍さん=田中守さんは、00年代の前半にゲイ・インディーズ・シーンから登場してきたかたなんですよ。

 そうした「ゲイ・アイドル」の起源をリアルタイムで見てきた私の認識では、「ゲイ・アイドル」というのは、「歌うこと」に大きなプライオリティーが置かれたものであって、「ダンスが先ずありき」ではないんですね。

 言い方を変えれば、「ゲイ・アイドル」というのは、元来は「ミュージシャン寄りのもの」として誕生したのであって、「ドラァグ・クイーン寄りのもの」として生まれたわけではない、という。

 ところが。

 そうした起源をご存じないかたたちにとっては(あるいは、ご存知ではあっても大して関心がないというかたたちにとっては)、「ゲイ・アイドル」というのは、出演者の側から見ても、オーディエンスの側から見ても、どちらの側から見ても、最初から既に「ドラァグ・クイーン寄りのもの」、つまり「歌うこと」には必ずしもプライオリティーが置かれていないもの、として見えているんだろうなあ、と。

 だから、これはもう完全に、ジェネレーション・ギャップですね。

「女性アイドル歌手の戯画表現」として、ゲイ・インディーズ・シーンの中から誕生した――つまり、本来は「ミュージシャン寄りのもの」として誕生した――「ゲイ・アイドル」が、どうして「ドラァグ・クイーン寄りのもの」へと、その性質が変化していったのか。

 それはもう、ごくごく単純に、ゲイ・インディーズ・シーンが00年代の後半に入ってからは、シーンとしては完全に自壊・退行して、そのようなムーヴメントの存在すらも知らないような世代のほうが、今ではゲイ・コミュニティの主流になっているのに対して、クラブ・シーンは昔も今も変わらず活況で、だから「現役のゲイ・アイドル」たちは、そちらのほうに活路を見出した、ということなんでしょうけれど。

 でも、たぶん、そういう以前に、虹組ファイツがその結成コンセプトとして標榜していた「ゲイアイドルごっこ」、つまり「アイドル歌手ごっこ」の中身自体が、そもそもが「歌真似」ではなくて、最初から「振り真似」であった、ということなんでしょうね。

 そのことに、私はなかなか気づけなかった。

 でも、よくよく考えてみると、私と同世代以上のかたたち(30代後半からそれ以上のかたたち)の中には、ピンク・レディーごっことか、WINK ごっこをして遊んだことがあるというかたが、男女を問わず、大勢いらっしゃるはずで、その「ごっこ遊び」の中身というのは、ピンク・レディーや WINK の、実は「歌真似」ではなくて、「振り真似」だったと思うんですよ。

 つまり、「アイドル歌手ごっこ」というのは、「歌真似」ではなくて、最初から原則、「振り真似」とイコールである、と。

 そのことに、私はこれまで、なかなか気づけなかった。

 私自身は「アイドル歌手ごっこ」=「アイドル歌手の振り真似」に興じた経験がなかったし、それに加えて、先にも述べているように、元来「ゲイ・アイドル」の起源はゲイ・インディーズにある、つまり「ダンス・パフォーマー寄りのもの」ではなく、「ミュージシャン寄りのもの」である、という認識があったから、そんな私にとっての「ゲイアイドルごっこ」とは、先ず何よりも「歌うこと」にプライオリティーが置かれていたんですよ。それこそが必要最低条件だった。

 ところが、私以外のかたたちにとっては、そうではなかった。

「ゲイ・アイドル」の起源をご存じない世代のかたたち(あるいは、ご存知であっても関心はないというかたたち)にとっては、「ゲイアイドルごっこ」というのは、最初から「歌うこと」ではなくて、「踊ること」とイコールだったんでしょうね、きっと。そして、それが当たり前なんでしょう。

 ……その可能性に、ようやく思い至りました。



 虹組ファイツのみなさんの活躍を見て、「私も『ゲイ・アイドル』をやってみよう! 私も『ゲイ・アイドル』になりたい!」と思い立ったかたたちって、たぶん、大勢いらっしゃると思うんですよ。

 でも、2014年時点での「現役ゲイ・アイドル」のみなさんは、歌を歌いたくて「ゲイ・アイドル」をやっているという雰囲気の人が、ぶっちゃけ少ない気がするんですよ。むしろ、「歌を歌うこと」よりも「踊ること」のほうが、「アイドル」である条件としてのプライオリティーが高い、という印象で。

 もちろん、AKBとかハロプロ規模の女性アイドル・グループのかたの中にも、「歌うこと」のプライオリティーが全然低いかたはザラなので(笑)、そのこと自体は別に構わないっちゃあ構わないんですけどね。

 結局、もはや「アイドル」という存在は、イコール、即、「歌手」とは限らないんだろうなあ。

 歌手であることが第一義ではないからこそ、「歌うこと」のプライオリティーも、そんなに高くはないんだろうなあ。

 でも、私にとっては、それが単に「アイドル」の一語のみで表されている場合には、それはイコール、「アイドル歌手」のことなんですよ。世代的に。

 たとえその歌唱力が、たとえば北原佐和子さんのようにどれだけ破壊的なものであったとしても、私は全然構わないんですよ。それで充分、楽しいんですよ。だって、「アイドル」なんだから。そして、「アイドル」であるからには「歌手」なんでしょ? っていう、そういう認識の世代なんですよ、私は。

 歌わないアイドルというのは、たとえば「グラビア・アイドル」とか「アイドル女優」とか、何らかの接頭語なり接尾語がつくものであって、単に「アイドル」とだけある場合には、それはイコール、「アイドル歌手」のことである、という認識。

 だから、歌を歌わないゲイのダンス・ユニットのみなさんがたが、ご自身のことを「アイドル」と銘打って登場なさってきて、それを観るオーディエンスのみなさんも、その言葉の定義の曖昧さには何の疑問も抱かずに、虹組ファイツのような「歌うゲイ・アイドル」と同一線上のものとして享受なさっているのを見て、私は、

「じゃあ『ゲイ・アイドル』の定義って何なの? みんなはいったい、『ゲイ・アイドル』をどういうカテゴリだと考えてるの?」

 と、真剣に混乱してたんですけど。

 でも、それもやっぱり、単なるジェネレーション・ギャップなんでしょうねえ。

 2014年時点での「現役ゲイ・アイドル」のみなさんにとって、「歌を歌うこと」というのは、別にそれを軽んじているというのではなしに、たとえば「歌えるに越したことはないんだけれども、必ずしも必要最低条件ではない」という感覚のものなんでしょうかね? その辺りは、実際にお話をうかがったことがないので、正確なことはわからないんですけど。

 でも、「現役ゲイ・アイドル」のかたたちが考えていらっしゃる、アイドル活動の第一義というのは、あくまでも「ダンス・パフォーマンスを行なうこと」であって、それこそがアイドルのアイデンティティだと認識されている。

 ……そういう雰囲気を、私は感じてしまうんですよね。

 そして、それら「現役ゲイ・アイドル」のみなさんと同世代のオーディエンスのかたたちも、たぶん女性アイドル歌手のかたたちの個性を、歌ではなくダンス・パフォーマンスで測っている人のほうが、実は多いんじゃないか、と。そんな印象です。

 念のため言っておくと、私は何も歌ばかりを重んじて、ダンス・パフォーマンスを軽く見ているわけではないですからね。実は私も、ゲイ・インディーズ・シーンで活躍していたデュオ・ユニット、GOLDEN ROSE の、そのダンサーとして、ステージに上がっていた経験があるので、ダンス・パフォーマンスの重要性、そして難しさ、過酷さは、身に染みてよーく理解しています。

※GOLDEN ROSE バイオグラフィー Here >  > 

 私がここで論じたいのは、「歌うこと」と「踊ること」の優劣を競うことではないんです。

 私が述べたいのは、「アイドル」という言葉の中に内包されている、「歌うこと」と「踊ること」の、プライオリティーの変化についてです。優劣の問題なんかでは、全然ないです。



 これからの「ゲイ・アイドル」は、これってものすごくヘンな例えであることは承知の上ですが、ある意味では、モノマネタレントの大御所であるコロッケさんと同じような進化の仕方をするケースが、増えていくのかもしれません。そんな気がします。

 コロッケさんって、デビューのきっかけとなった日本テレビ系列の『お笑いスター誕生』に出演なさっていたころは、形態模写が中心だったんですよね。つまり、実際に歌っていたのではなく、リップ・シンク。

 コロッケさんは、モノマネタレントとしてご自身の技術やパフォーマンス能力に磨きをかけていかれる中で、形態模写によるリップ・シンクから、実際に歌う歌真似タレントへと、徐々にシフトしていったんです。

 それに似たような印象を、私は先にも名前を挙げた、名古屋を拠点としているセクマイ・アイドル・グループの NSM= (Nagoya Sexual Minority Equal)のみなさんにも、感じたんですよ。

 まずはダンス・パフォーマンスからスタートして、ある程度の実績を積んでから、「ついにオリジナル曲ができました!」、という。

 もちろん、ステージ・デビューが先で、オリジナル曲のリリースは後から、という流れそのものは、既存の女性アイドル・グループにも見られる、特に珍しくはない事例なんですが、私が最初に思ったのは、「形態模写が先ずありき」という点で、「ああ、何だかコロッケさんみたいだな」と(笑)。

 そして、モノマネタレントというのは、必ずしもみなさん、歌を歌っていらっしゃるとは限りませんよね? 形態模写オンリーのかたもいらっしゃるし、たとえば清水ミチコさんのように、歌を歌って、オリジナル曲を作って、アルバムも出していたりはするけれども、顔マネのような形態模写も、重要な活動の一部であるという。

 つまり、モノマネタレント=歌手、とは限らないわけですよ。

 これからの「ゲイ・アイドル」も、たぶん、そうなるのかなー、と。

 ダンス・パフォーマンスは必要最低限の条件なんだけど、「歌うこと」は、実は必ずしも最低限の条件ではない、という。

 これっていうのは、つまり、先にも書いたように、「ゲイ・アイドル」という存在は、これまでのような「ミュージシャン寄りのもの」から、「ドラァグ・クイーン寄りのもの」に、カテゴリとしての性質が変化した、ということなんでしょうね。

 というか、少なくとも私の頭の中では、それが今回、事実認定されました。

 実際、2014年時点での「ゲイ・アイドル」のみなさんの主要な活動舞台は、ゲイのライヴ・イヴェントではなくて、ドラァグ・クイーンのみなさんと同じく、ゲイのクラブ・イヴェントでしょう?

 東京のゲイのライヴ・イヴェントのオーガナイザーの多くは、00年代の後半からは、打ち込み系の人(「ゲイ・アイドル」もここに含まれる)には全然オファーをかけなくなってしまった。いったいどういう考えがあってそうしていたのか、その点についてだけは、私には全然、理解も共感もできなかったんですが。

 一方、ドラァグ・クイーンのみなさんがたは、ダンス・パフォーマンスが中心のかたもいらっしゃれば、リップ・シンクが中心のかたもいらっしゃる。そして、オリジナル曲を歌われる日出郎さんやマダム・ピロガネーゼさん、あるいはシャンソンを歌われるシモーヌ深雪さんやオナン・スペルマーメイドさん、さらには歌謡曲の星屑スキャットのみなさん、といったように、「歌うドラァグ・クイーン」のかたたちもいらっしゃる。

 つまり、その表現が成立するためには音楽が必要不可欠でありながら、「自分でも歌っているかどうか」が、分類上の基準にはなっていない、という点で、2014年時点での「ゲイ・アイドル」と、ドラァグ・クイーンとは、同じ性質のものなんですよね。

 だから、カテゴリ全体としては、「ミュージシャン寄りの性質のもの」では、最早ない。

 カテゴリ全体としては「ミュージシャン寄りの性質のもの」ではなくなった中で、今でも「ミュージシャン寄りの性質の人」が、個々に存在している、そんな状況。

 そして、そうした状況の中で、グループとしての性質を、今までの「ドラァグ・クイーン寄りのもの」から「ミュージシャン寄りのもの」へと、逆方向にシフトさせた NSM=さんに、私は大きな期待と関心を寄せている、というわけです。

 1st シングル「ニジイロHappiness!!」の作詞・作曲を手がけていらっしゃるのは、その起源がゲイ・インディーズの中にある、元祖ゲイ・アイドルの、岡本忍さん。

「セクシュアルマイノリティの存在を多くの人に知ってもらえますように◎」という、NSM=のみなさんの真摯な思いが大きなスケールで反映された、プライド・ソングの名作が、ここにまた一つ、新たに誕生した。

 ――私は真剣に、そう思っています。

 だから、その「ニジイロHappiness!!」が無料配信されている、SoundCloud のプレイヤーを、このブログにも埋め込んでみました。

 みなさんもぜひ、お聴きになってみてください。

 私の本気のオススメです。



 そして、NSM=さんのように女子メンバーが主体のセクシュアル・マイノリティのアイドル・グループがある以上、これからは「ゲイ・アイドル」という呼び方は、不適当なものになるでしょうね。

 NSM=さんは、ご自身を「セクマイ・アイドル」と称されていますが、今後このブログおよび Queer Music Experience.では、「ゲイ・アイドル」を含めた「セクマイ・アイドル」を、「LGBTアイドル」と呼称していこうと思っています。

「セクマイ」という言い方は、ゲイ女子のみなさんのあいだでは非常にポピュラーではあるのですが、ゲイ男子のあいだでは、実はそれほどポピュラーではないのが現状です。「LGBT間での通じやすさ」および「世界標準」のほうを重視して、こちらでは「セクマイ」ではなく「LGBT」と呼称させていただきます。



 ――そして。さらに。

 今後、Queer Music Experience.と、このブログで取り上げる「LGBTアイドル」のかたというのは、原則として、ご自分でも歌を歌っていらっしゃるかたに限定される、ということになるかと思います。

 これまで Queer Music Experience.、及び、このブログで大きく取り上げてきたドラァグ・クイーンのみなさんがたが、ご自分でも歌を歌っていらしたかたたちに、原則的には限定されていたのと、これは同じことです。これからは「ゲイ・アイドル」ないしは「LGBTアイドル」の肩書きがあるからといって、即、記事の題材にさせてもらうとは限らない。

 歌を歌わないパフォーマンス・スタイルを、否定しているのではないです。

 歌を歌ってはいないドラァグ・クイーンのかたたちにも、私が大好きなパフォーマーのかたたちは、たくさんいらっしゃいます。

 実際には歌を歌っていないのに、これはもうディーヴァ以外の何者でもないだろうというくらいに、「歌ごころ」に溢れた感動的なパフォーマンスで魅せてくださるドラァグ・クイーンのかたたちも、実にたくさんいらっしゃるし、そういうかたたちを、私は尊敬しています。たとえば私は、『東京レインボープライド2013』でのレイチェル・ダムールさんのパフォーマンスを拝見して、感動のあまり号泣した人間です。

 でも、Queer Music Experience.と、このブログは、あくまでも「LGBTのシンガー/ミュージシャン」に焦点を合わせて書いているものなので、その「書き手としての焦点」を、ぼやかしたくはないんです。

 ただそれだけのことです。

 だから、今後は、「LGBTアイドル」の話題を取り上げる場合には、「歌うLGBTアイドル」のみに限定させてもらいます。



「歌を歌わないダンス・ユニットとしてのLGBTアイドル・グループ」は、今後も増えていくような気がします。

 そして、「歌を歌うLGBTアイドル」のほうが、きっと少数派になる。

「歌うドラァグ・クイーン」が少数派であるのと同じく、ね。

「歌うゲイ・アイドル」の代表格であった虹組ファイツの中からも、『第1回冬の東京レインボー祭り』に出演なさった DOt It のみなさんのように、「歌わないダンス・ユニット」が派生してきた。この事実って、たぶんご本人がたが認識なさっている以上に、かなり大きい出来事だと思います。

 というのも、「歌うゲイ・アイドル」である虹組ファイツのメンバーのかたでさえ、「踊ること」のプライオリティーのほうが高いということを、プライド・イヴェントという大きな場で披露した、ということなので。

 もちろん、ご本人がたにしてみれば、DOt It としての活動と、虹組ファイツとしての活動は、全く切り離された、相互には関連性のない別個のものなのかもしれませんが。

 でも、「DOt It とは何者か」という事前の情報は全く知らずに今回のライヴを観覧した私の目には、DOt It さんのパフォーマンスというのは、「蓋を開けたら虹組ファイツだった」感が、ものすごく強かったんですよ。

 それに加えて、虹組ファイツの他のメンバーのかたたちも、すぐ近くで DOt It さんのパフォーマンスを見守っていらっしゃった。それに気づいていたオーディエンスのかたたちは、誰しもが DOt It さんのことを、「虹組ファイツからの派生ユニット」と受け止めたはずです。

 つまり、「ああ、虹組ファイツも、ついに二丁ハロのみなさんのようなダンス主体のスタイルを、取り入れ始めたのだなあ」と。そういう印象が強いんですよ。

 そして、こうしたダンス・ユニットという形態での「LGBTアイドル」が、そのカテゴリでの主流になっていく気がします。

 たぶん今後の「LGBTアイドル」は、ドラァグ・クイーンと同じように、歌わないかたのほうが多数派・主流派になる。

 そして、それを観るオーディエンスの側も、「LGBTアイドル」を「女装(ないしは異性装)をしないドラァグ・パフォーマー」の類のように、最初から認識している人のほうが、多数派・主流派になる。

 というか、既にそうなってる。



 そして、「LGBTアイドル」を「ミュージシャン寄りのもの」として認識するかたは、「ゲイ・アイドル」の起源を知っている、ごくごく一部の人々に限られるようになる。

 つまり、マイノリティ。

 その一人が、この私。

 たぶん私は、マイノリティ中のマイノリティになってしまった。

 それって、正直あんまり嬉しくない。

 くどいようですが、「歌うこと」と「踊ること」の優劣とか良し悪しは、別に問題じゃないんです。

 私の享受の仕方が、どんどん古めかしいものに、結果としてなっていく、そのことが寂しいから、だから、こういうネガティヴな書き方になってしまう。

 そのことについては、本当に申し訳ないです。

 以上です。



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2014.01.19 Top↑
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