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 今年度(2014年度)のユーロヴィジョン・ソング・コンテストのオーストリア代表に選ばれている、ドラァグ・クイーンのシンガー、コンチータ・ヴルストを紹介した、当ブログの昨年(2013年)11月14日付の記事に、先日(2月27日)、コメントをいただきました。

 そのコメントの中で教えていただいたのが、昨年度のユーロヴィジョンのアイルランド代表の男性シンガーが、先月(2014年2月)の初めごろにゲイであることを公にした、との情報。

 そこで、早速ネット検索をして調べてみたのですが、これがもう、非常に素晴らしいアーティストだったんですよね。

 というわけで、今回はその男性シンガーについて書いていきたいと思います。

 情報をくださった水石さま、どうもありがとうございました!



 さて、その男性シンガーの名は、ライアン・ドーラン (Ryan Dolan)。北アイルランド出身の、28歳です。

 彼は自作曲「Only Love Survives」で、ユーロヴィジョンのアイルランド予選に優勝。代表の座を勝ち取り、スウェーデンのマルメにて開催された本選に参加しました。

 セミ・ファイナルでは8位入賞を果たし、計26カ国が競い合うファイナルへと進出。しかし残念ながら、最終結果は26カ国中、最下位の26位であったそうです。

 そのファイナルでのパフォーマンス映像を、私も YouTube で実際に観てみたんですが、いったいどうしてこれが高得点を得られなかったのかが、私には全くもって腑に落ちない。

 だってだって、こんなにも格好良く、しかも素晴らしい内容を持った曲とパフォーマンスなのに!

ライアン・ドーラン
(画像は Independent.ie の記事から)


「Only Love Survives」という楽曲は、トライバルな雰囲気のドラムの音が非常に印象に残る、前向きで力強いダンス・ミュージックです。この曲のファイナルでのパフォーマンスは、そうしたトライバルな要素を前面に押し出した内容で、たとえば和太鼓の演奏を観るのが好きだというかたであれば、絶対に「おおーっ!」と気分が高揚する、そういうパフォーマンスだと思います。

 少なくとも、私はものすごくアガりました。

 まあ、まずは観てみてください。

 できれば大きな画面で、重低音の良く効いたスピーカーに接続しての視聴をオススメします。



"Only Love Survives"
(Live on Eurovision Song Contest 2013 Grand Final)




 ……いかがでしたでしょうか? 良かったでしょ? たぶんこうした種類のパフォーマンスは、ヨーロッパよりも日本のかたたちにこそ好まれるような気が、私はします。

 さて、このライアン・ドーランのカミング・アウトについてなんですが、これを報じている記事の内容に拠りますと、それは先月5日の出来事。アイルランドの公共放送局である RTÉ Radio 1の番組に出演、そのインタヴューの中で、彼はゲイであることを公にしたのだそうです。

 参照したのは、以下の2つの記事です。

Eurovision star Ryan Dolan comes out as gay (Independent.ie, 2014.02.05)

Ryan Dolan: I Wish I Came Out A Long Time Ago (Wiwibloggs, 2014.02.05)

 これらの記事に引用されていた、今回のインタヴューでのライアンの発言は、このブログの親サイトである Queer Music Experience.に新しく掲載した彼のバイオグラフィーの中で、詳しく紹介しています。それをお読みいただけたことを前提に、ここから先は書き進めていくので、ぜひ彼のバイオグラフィーも併せてお読みになってください。

ライアン・ドーラン バイオグラフィー (Queer Music Experience.)

 さて、今回のカミング・アウトでライアンが語った内容は、これまで Queer Music Experience.に私がバイオグラフィーを掲載してきた海外のLGBTアーティストの発言のうちでも、一般人として暮らしている日本のLGBTのかたたちには最も身近に感じられるものの一つではなかろうか、と私は思っています。

 というのもですね、既に世界的な名声を手にしていて、かつキャリアも長いというアーティストがLGBTであることをカミング・アウトした場合には、そこで語られる内容というのは、「クロゼットのLGBTが著名人となってしまったが故の苦悩の告白」であったりとか、あるいは「著名人であるが故にカミング・アウトを許されなかった苦悩の告白」といったように、その性質が「著名人に特有のもの」になっていることが多いんですよね。

 そうした種類の苦悩というのは、一般人として暮らしているLGBTのかたたちにとっては、理解も共感も大いに可能ではあったとしても、じゃあはたして身近に感じられるのかどうかとなると、実は必ずしもそうではない、というケースであるように思うんです。

 また、それとは別に、駆け出しの新人アーティストがカミング・アウトをしたり、あるいは既にデビュー時からLGBTであることを公にしていたアーティストがクロゼットだったころの苦悩をインタヴューで語ったりした場合には、今回のライアン・ドーランのカミング・アウトがそうであるように、著名人となる前のころの、つまりはティーンエイジャー時代の体験が、主に語られるのですが、通常この場合には、そのアーティストが生まれ育った国や地域に固有の社会事情が、深く絡んでくるものなんですね。

 たとえば、昨年度にアメリカのゲイ・メディアから大きな注目を集めた2人の新進LGBTアーティスト、メアリー・ランバートと、スティーヴ・グランドを例に採ると、彼らがインタヴューの中で語ったティーンエイジャー時代の苦悩というのは、実は彼ら2人が、共に熱心なクリスチャンであるということに、密接な関わりがあるんです。そのことは、私が既に Queer Music Experience.に掲載している、彼ら2人のバイオグラフィーをお読みになってもらえれば、お解りいただけるかと思います。

メアリー・ランバート バイオグラフィー (Queer Music Experience.)

スティーヴ・グランド バイオグラフィー (Queer Music Experience.)

 この2人が経験したティーンエイジャー時代の苦悩は、言葉を変えれば、非常に西洋的だ、とも言えるケースではないかと思います。そしてそうした苦悩は、日本で暮らしている一般のLGBTのかたたちにとっては、これもやはり、理解も共感も大いにできるものではあっても、必ずしも身近に感じられるケースだとは言えない、という気がします。

 ところが、ライアン・ドーランのティーンエイジャー時代の苦悩は、少なくとも参照元の記事に書かれている限りにおいては、宗教的な色彩というのは全然感じられないんですよね。彼は、メアリー・ランバートやスティーヴ・グランドのように、自身の同性愛と信仰との相克に苦しんでいたのではなくて、自分がゲイであるという困惑を誰にも打ち明けられないという、そのことにこそ苦しんでいたのです。

 そして、一般人として暮らしている日本のLGBTのかたたちにとっては、このライアン・ドーランが体験した内容こそが、最も身近に感じられるケースなんじゃないか、という気が、私はするのです。

 とはいえ、身近に感じられないケースを否定的に見ているというわけでは、全然ないですからね。念のため。

 ロック/ポップスのアーティストというのは、小説やマンガ、映画などのフィクションに登場する架空の人物ではなく、我々が暮らすこの世界に実在し、現実社会で実際に生活をしている人物たちです。そんな彼らによる、LGBTであることの苦悩の告白というのは、たとえそれがケースとしては非常に特殊な部類に属するものであったとしても、あるいはその内容が前向きなものであるか、それとも後ろ向きなものであるかにも全く関わりなく、それらは等しく、この現実社会の中でLGBTが生きていくとはどういうことなのかを示してくれる、貴重な実例なのです。

 その史料としての価値、存在意義に、正誤だの優劣だの良し悪しだのといった競い合いが入り込む余地は、全くありません。

 私が言いたいのはですね、誰がLGBTのロール・モデルとして優れているのか、などというような、正誤とか優劣とか良し悪しの競い合いなんかでは全然なくて、日本の一般のLGBTのかたたちにとって身近に感じられるケースというのは、いったいどのようなものであろうか、ということです。

 そして、今回のライアン・ドーランのケースが、そこにピタリと当てはまっているのではないか、というのが、この記事を通じて私が伝えたい趣旨です。

 ライアン・ドーランにとって、ゲイであることの苦悩というのは、ゲイであることそれ自体を罪悪視しているというよりも、自分は他の人たちとは違ってしまっているのだということへの困惑と怖れであり、だからこそ、その苦悩は、誰かに打ち明けられるような性質のものではないと彼自身は思い込んでしまって、自分一人の頭の中だけであれやこれやと思い悩んだ結果、その困惑と怖れが一層深まってしまい、自殺すらも考えるようになってしまうという、負のスパイラルに彼は陥ってしまった。

 しかし、ライアン・ドーランは、ゲイであることそれ自体を罪悪視していたわけではなかったからこそ、彼の家族の全員が、彼の性的指向を受け入れてくれたときに、ゲイとして生きることは、もはや苦悩ではなくなった。

 つまり、彼にとってのゲイであることの苦悩というのは、「家族や友人といった近しい人々にも打ち明けられない秘事を持ってしまうことの苦悩」と、ほぼイコールであったんですね。

 そして、それを克服した彼の体験には、職業や肩書き、あるいは居住している国や地域の違いなどで左右されてしまうような特殊な要因が、ほとんど含まれていません。

 つまり、LGBTのかたであれば、どなたの身にも等しく起こり得る、そういう種類の克服体験なんです。

 そうした種類の、つまり「LGBTであれば、誰の身にも起こり得る、身近なカミング・アウト体験」を語ったロック/ポップスのアーティストって、実は、そんなに多くはないのではないか? というような気が、私はするんですよね。

 その点において、ライアン・ドーランのカミング・アウトのインタヴューは、実は画期的なものなんじゃなかろうか、と私は思うのです。



 そして、今日(2014年3月7日)、ライアン・ドーランのカミング・アウト後の初のシングル「Start Again」が、デジタル・リリースとなりました。

 この曲のミュージック・ヴィデオは、既に YouTube で公開が開始されています。ゲイ・アーティストの田亀源五郎先生も、3月4日付でこれを紹介するツイートをなさっているので、ひょっとしたら既にご覧になっているかたも、いらっしゃるかもしれません。

 このミュージック・ヴィデオの内容については、親サイトの Queer Music Experience.に掲載したライアン・ドーランのバイオグラフィーの中で、思いっきりネタバレで紹介しているのですが、実は非常に辛い内容です。

 辛い内容ではあるのですが、しかし、そのバイオグラフィーの中でも書いているように、このミュージック・ヴィデオを通じてライアン・ドーランが訴えたかったのは、悲劇を美化してしまうことなんかではないんです。こうした悲劇をこれ以上起こさないためにも、悩みは決して一人だけでは抱え込まずに、信頼できる人や、かかりつけの医師などに相談すること、そしてもしも悩んでいる人が身の回りにいるようであれば、その悩みに耳を傾け、受け止めてあげること、なのです。

 先にも書いた通り、ライアン・ドーランがかつて体験した、ゲイであることの苦悩というのは、ゲイであることそれ自体を罪悪視していたのではなく、家族を始めとする近しい人々に隠し事を持ってしまうことの苦悩とイコールでした。だからこそ、彼の家族全員が彼の性的指向を受け入れ、彼にはもはや隠し事がなくなったのと同時に、ゲイであることもまた、苦悩なんかではなくなったわけです。

 ということは、肝要なのは、ゲイであることの苦悩を決して自分一人だけで抱え込まないようにする、ということなんです。

 それこそが、ライアン・ドーランのメッセージの核です。

 ぜひ、ご覧になってみてください。



"Start Again"
(2014)




 LGBTに対する社会からの偏見は、依然として存在しています。そのこと自体はライアン・ドーランも認識しているからこそ、「Start Again」のミュージック・ヴィデオはこのような内容になっているわけです。しかし、LGBTであることを受け入れてくれる人だって、これはもう揺るぎようのない客観的な事実として、必ず存在しているのです。

 そうした前提に立った上で、他者との違いに由来する自己への疑念を、決して一人で抱え込んではいけないという、それをメッセージの核としているライアン・ドーランは、LGBTであることは決して罪悪ではないと訴え続けてきたLGBTアーティストの先人たちに続く、次の世代のLGBTのロール・モデルであるかもしれません。

 私は、そう感じています。

 そんなライアン・ドーランのことを、私はこれからも引き続き、応援していきます。



ライアン・ドーラン公式サイト
http://www.ryandolanofficial.com/



ライアン・ドーランのシングル、アルバムをご購入されるかたは、こちらからどうぞ。
iTunes - Music - Ryan Dolan



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2014.03.07 Top↑
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