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前回のエントリーで、
「日本ではまだカミングアウトの意味を変えてくれるようなオープンリーゲイなアーティストは出てきてませんね。」
というコメントをいただいた。

そのコメントには全く同感で、そのような思いがあるからこそ、このブログやQueer Music Experience.のようなサイトを運営しているわけである。

だからといって、どんなゲイの人もカミングアウトするべきだ、とまでラジカルには考えていません。念のため。

結局、この自分自身が、どんなときにも確固たるゲイ・プライドを保っていられる自信がないからこそ、オープンリー・ゲイとして活動しているアーティストたちの勇気を讃え、その活動を応援していきたいという気持ちがある。

それが、このブログや、Queer Music Experience.を運営している理由だ。

閑話休題。

先述したように、日本ではまだカミングアウトの意味を変えてくれるようなオープンリー・ゲイのアーティストは、出てきていない。それは確かだろう。

では、果たして現在のアメリカやイギリスでは、カミングアウトの意味が日本とは異なるほどに、ゲイに対する社会の意識は成熟しているのだろうか? という疑問が残った。





日本の文化は「恥の文化」だから、日本人の国民性の常として、日本の文化を海外のそれと比較すると、「だから日本はダメなんだ」という自虐的な意見に傾きがちだ。

自分がQueer Music Experience.の中で、日本のゲイ・インディーズと海外のLGBTミュージックの両方を取り上げているのは、別に比較文化学の見地からゲイ・ミュージックを語ろうとしているのではなく、自分は洋楽も邦楽も好きだから、自分の好きなものを同じ土俵の上で語ってみたいという、ただそれだけの理由だ。

それだけの理由ではあっても、気をつけないと時には、ついつい「だから日本はダメなんだ」という発想に陥ってしまいそうになる。

だから、アメリカやイギリスのミュージック・シーンにおける、アーティストのカミングアウトを取り巻く周辺事情をもっと調べてみようと、インターネットでいろいろとアーカイヴを探していたら、以下のURLの記事を、Gay.comで見つけた。

Claiming Luther Vandross
http://www.gay.com/news/roundups/package.html?sernum=1196

この記事は、キース・ボイキンという黒人のゲイ男性が書いたものである。

ボイキンは、ハーバード・ロー・スクール卒の著述家で、クリントン前アメリカ大統領のアシスタントを務めていた経歴もあるそうだ。

このコラムは非常に興味深い内容で、ぜひ全文を翻訳して紹介したいと思ったのだが、そうなるとかなりの数の註が必要で、読みにくいことこの上ないことになりそうだったので、適宜に補足を加えつつ、重要な箇所を訳出するに留めておくことにした。



さて。

このコラムの中でボイキンは、今年の7月1日に54歳で亡くなった大物R&Bシンガーのルーサー・ヴァンドロスが、ゲイであったと主張している。


Luther Vandross / So Amazing
先月26日に発売されたばかりの、
ルーサー・ヴァンドロスのトリビュート・アルバム




なぜ死後になってから、そのような主張をするのかについて、ボイキンは、次のように論を進めている。

まず、ゲイがカミングアウトすることによって、ゲイはそれまでの不可視の存在から、可視の存在に変わってきている。しかし、そのように目に見える存在になっていくことが、イコール、理解を得られたというわけではない、ということを警告するアクティヴィストもいる。

そうした意見に対し、ボイキンは、次のように述べている。

もちろん、それは正論だが、黒人でありゲイである我々は、今でも目に見える存在になろうとしてもがいている最中なのだ。我々自身の英雄が、もっとたくさんカムアウトして姿を現してくれるのを、我々は今も待ち焦がれている。しかし、我らの大半は、未だに自分自身のクロゼットに囚われの身となったままなのだ。

ところが、最近の黒人ゲイ男性の有名人の中には、我々の最も良き代弁者とはいえない者がいる。


そして、ここでボイキンは、何人かの悪い例を挙げる。そのうちの1人が、ジョナサン・プラマーである。

プラマーは、ホイットニー・ヒューストン主演で映画化されたことでも有名なベストセラー小説『ため息つかせて』の作者、テリー・マクミランの夫であった人物である。

プラマーは、ゲイであったことが妻のマクミランに知られて、マクミランから離縁された。

この騒動の背景には、現代アメリカの黒人ゲイ男性のあいだに拡がっている、ダウン・ロウというライフ・スタイルの問題が横たわっている。

ダウン・ロウとは、妻や異性の恋人を持ちながら、その陰で男性との性的関係を続けていくライフ・スタイルのことである。それは単なる二重生活というより、自分は一体ゲイなのか、ストレートなのか、それともバイなのかという、性的な自己同一性のゆらぎに関わる問題である。


アメリカ黒人社会のホモフォビアは非常に深刻で、これを怖れる黒人ゲイ男性のあいだに、ダウン・ロウは広く浸透しているらしい。

プラマー自身は、自分がゲイだと自覚したのは、マクミランと出会って結婚してからのことだ、と主張している。

そのプラマーの主張に対し、ダウン・ロウに関する著書を出したことで、目下ダウン・ロウのエキスパートと見做されている、J.L.キングというアクティヴィストが、
「ナンセンスだよ。彼は自分がゲイだということを知っていたんだ」
と発言している。

そんなキングの発言に、ボイキンは真向から反発する。

ボイキンは、自分がゲイだと自覚したのは25歳のときで、それ以前は自分のことをゲイだとは知らなかったし、男と寝たこともなかった、だからプラマーの発言が真実かどうかはわからないが、あり得ない話ではない、として、プラマーを擁護している。

(ただし、ボイキンはプラマーを全面的に擁護しているわけではなく、何をやっても「マクミランの夫」としてしか語られない彼のような人物が、黒人ゲイ男性の代弁者として見做されることには反発している。)

そしてボイキンは、以下のような言葉で、キングを激しく攻撃する。

「自分がストレートなのかバイセクシャルなのかすらもわからないキングのような男が、黒人のLGBTコミュニティのスポークスマンになっているのは、どういうことなんだ?」

このように論を進めた上で、ボイキンはルーサー・ヴァンドロスのセクシャリティについて主張を始める。

以下は、ボイキンがルーサー・ヴァンドロスについて述べた箇所の翻訳である。



ルーサーは、我らの時代における真髄のバラッド歌手であり、艶やかであり繊細でもある、美しい声の持ち主であり、成功し富を成した独身男性であった。すぐにでも妻を見つけられたはずなのに、彼は一度も結婚をせず、ヘテロのライフスタイルを真似ることもほとんどなかった。BET(註:ブラック系の放送局)の2002年のインタヴューで、彼はセクシャリティについて尋ねられると、「それは誰にも関係のないことだ」とだけ応えた。ストレートのセレブだったら絶対に言わないような、正直な回答だった。

しかし、黒人のコミュニティでは、我々は今でも、「訊くな、答えるな」という不文律に唯々諾々としている。ヴァンドロスの死後、彼のセクシャリティを明らかにしようとする努力が、どうかすると彼の過去の非凡な業績を貶めるかのように動揺する黒人たちがいる。その理由こそが、この「訊くな、答えるな」という不文律だ。

我々黒人のゲイとレズビアンは、我々自身の姿を反映した偶像の登場を切望しているのだということを、人々は理解していないのだ。白人には、エレン(註:エレン・デジェネレスのこと。アメリカのコメディエンヌで、レズビアンのカリスマと言われている)がいて、エルトン(・ジョン)がいて、『Queer eyes for straight guys』(註:アメリカの人気テレビ番組。5人のゲイ男性が、ダサいストレートの男を、ゲイのセンスで格好よく改造する番組)がある。にもかかわらず、我々は、ダウン・ロウの広告塔であるJ.L.キングや、著名人の妻を欺いてしまったゲイ男性のジョナサン・プラマー、そして、1年前の今月にニューヨーク市議員を殺害した黒人ゲイ男性のオスニール・アスキューに、悩まされているのだ。メディア上で我々についての建設的な話題を目にすることは、滅多にない。そして、ストレートの黒人が我々について語ろうとすると、R.ケリーのミュージック・ヴィデオ(註:全5章で構成された『Trapped in the Closet』のこと)の中に登場するクロゼットのゲイの牧師のように、スキャンダラスに表現されてしまう。

だからこそ我々は、ルーサーに関心を寄せてもらいたいと切望しているのだ。我々は、我々が何者であるかという真の多様性を反映した、現実的な偶像が現れるのを願っている。そして、それこそが、我々が我々自身のことを語らなければならない理由なのである。




……全文翻訳はしないなどと言いつつ、結局半分近くを訳出してしまったが。

死後になってから関係者の証言によってゲイであったことが明らかになったアーティストは、決して珍しくない。今年になって日本でドキュメンタリー映画が公開されたクラウス・ノミも、その1人だ。

しかし、考えてみると、そうしたアーティストたちの大半は、確かに白人だ。

既に亡くなっている黒人アーティストのセクシャリティを明らかにしようとするならば、当然、そのアーティストがゲイであったことを知っている人々からの証言を集めなければならない。

ところが、そうした人々もおそらくは同じように黒人のゲイ男性なんだろうから、ボイキンがいうところの「訊くな、答えるな」という不文律が働いて、確かな証言を集めるには相当骨が折れるのではないか。



ルーサー・ヴァンドロスが、「偉大なるR&Bシンガー」としてだけではなく、「偉大なる黒人ゲイ・アーティスト」としても認知されるようになるには、まだまだ時間がかかるのかもしれない。



そして、ボイキンのコラムからもう一つ読み取れるのは、「アメリカのゲイ・コミュニティ」などという単一の枠組みは、実は存在していない、ということである。

そして、アメリカの「黒人のゲイ・コミュニティ」では、おそらくは日本以上に、カミングアウトのままならない現状がある、ということだ。



ゲイ・コミュニティのあり方は、国家単位で考えるべきものではなく、民族単位で考えるべきものなのかもしれない。






――とまあ、書いているうちに、話がどんどん大きくなってしまったが。

民族単位で捉えるべきものかもしれない、と自分で書いてみて、改めて実感したのだが、Queer Music Experience.で紹介している海外のアーティストは、ほとんどが欧米のアーティストだ。

アジアのアーティストは、唯一、フトンだけだ。

しかもフトンは、タイ、日本、イギリスの混成バンドで、純正のアジアン・ゲイ・アーティストは、自分の知る限りでは、まだ紹介ページを設けてはいないが、レスリー・チャンだけだ。しかも既に故人。

タイや香港あたりだったら、オープンリー・ゲイのメジャー・アーティストは、他にもいそうな気がするのだが。

誰か詳しい人がいたら、教えてください。



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2005.11.06 Top↑
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