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米良美一の「ヨイトマケの唄」

まずは、昨年12月16日付の、以下のURLの記事から。

日本のゲイ能界は…歌手、俳優はまだタブー
http://news.goo.ne.jp/news/fuji/geino/20051216/320051216026.html?fr=rk

このZAKZAKの記事は、自伝映画のプロモーションのために来日したジョージ・マイケルの記者会見に絡めて、日本の芸能人のカミングアウトの現状を語ったもの。

記事の本文では、

日本の芸能界では、バラエティー畑で、KABA.ちゃん(34)や前田健(34)がカミングアウトしたが、歌手や俳優の場合はカミングアウトが許されない状況にある。


とした上で、「状況にも変化が見えている」ことの例として、

「歌手、米良美一(34)が夕刊フジ記事でカミングアウト」

と書いてあった。

このZAKZAKの記事を取り上げていたブログの幾つかでは、

「米良美一は暴行事件がスキャンダルになっただけで、カミングアウトはしていない」

という主旨のことが書いてあった。

自分も同じように思っていたのだが、そもそもこのZAKZAKの記事は夕刊フジのものなので、米良美一がカミングアウトしたという記事が存在しているのは事実のはず。

そこで、その記事のバックナンバーがネット上に存在しているかどうか、探してみた。





すると、以下のURLのインタヴュー記事が見つかった。たぶんこれが、件の「夕刊フジ記事でカミングアウト」だと思う。



ひとりごと 米良美一
http://www.zakzak.co.jp/hitorigoto/20051022.html



このインタヴューは、昨年の10月22日付のもので、同年9月7日にリリースされた2年半ぶりのアルバム『ノスタルジア~ヨイトマケの唄』のプロモーションを兼ねてのものだと思う。


米良美一/ノスタルジア~ヨイトマケの唄




このインタヴューを読んで、自分は素直に、「ああ、素敵な内容だなあ」と思った。



スキャンダルがきっかけで、性的指向が結果として公になってしまった芸能人の、その後のスタンスというのは、今までの例を見る限りでは、ジョージ・マイケルやボーイ・ジョージのように、それまでとは一転して性的指向について能弁になるか、あるいは徹底的に沈黙するか。そのどちらかだったと思う。

米良美一は、そのどちらでもない。

自分の目にはそう見えた。

米良美一は、アクティヴィストのように能弁ではないけれど、かといって全く沈黙しているわけでもない。

一般の読者が目にするインタヴュー記事というのは、編集者の手によってエディットされているので、米良美一がどのていど性的指向について能弁なのかは、正確にはわからない。

でも、少なくともこの記事を読む限りでは、今の米良美一は、己の性的指向と、アーティストとしての己のバランスが、とても美しく保たれているような気がした。

このインタヴューの中にある、

「ゲイってことよりも、美しいものに手を出したい。」

という発言は、一見すると性的指向をぼかしたもののように思われるかもしれないけど、その一方で、

「前はね、『肉』で見てたんです。」とか、

「私、尽くすタイプなんです。三つ指ついて、“お帰りなさい”みたいな。でも、やってあげすぎるとダメ。相手も稼ぐようじゃないと。」

といったような、非常に率直な発言もある。

己の性的指向を明らかにしつつも、それに呑み込まれないように、一定の距離を保っている。

そんな感じがした。

もちろん、米良美一がそうした境地に達したのは、暴行事件を起こしたことによって辛酸を嘗め尽くしたからだとは思う。その意味で米良美一は特別。でも、こういうスタンスが保てること自体は、ゲイのアーティストにとっては理想的なんじゃないか、という気がする。



こうした記事の存在は一切知らずに、自分は去年の12月(だったと思う)、米良美一が「ヨイトマケの唄」を熱唱しているのを、偶然NHKの番組で観た。

夕刊フジのインタヴューの中で、米良美一は、

「高い声が出なくなり、『もののけ姫』が歌えなくなっていたんです。」

と語っていたが、確かに「ヨイトマケの唄」を熱唱していた米良美一は、天上の歌声というよりは、むしろ土の匂いを感じさせるような歌いっぷりで、その迫力に、ぐいぐいと引き込まれてしまった。

単に音域が狭くなったという理由からだけではなく、歌に向かう姿勢そのものが大きく変化したのだということを感じさせる熱唱だった。

そんな姿をテレビで観た後だっただけに、夕刊フジの米良美一のインタヴューは、心に染み入るものがあった。


    *


さて、ここで、冒頭の記事に戻る。

この記事は、日本の歌手や俳優が性的指向をカミングアウトできないという状況に変化が見えてきた、というのが主旨だ。

そのことを、この記事では以下のような「音楽関係者」の証言によって表している。

槇原敬之はゲイが明らかになっても人気が落ちず、音楽界も流れが変わった。歌唱力が評価されるボーカリストも、最新アルバムのPVでいろいろなコスプレに挑戦してゲイをほのめかしている。男性も女性もOKの“両刀”と評判の俳優も、ゲイ好みのギンギラ衣装で大人気になりました。


つまり、ファン(というか購買層)は、アーティストの性的指向にさほどこだわらない風潮になってきた、ということなのだろうと思う。そして、それはある程度事実だろうと思う。

しかし、日本の歌手や俳優が性的指向をカミングアウトできない状況というのは、ファンの反応が怖いからという理由だけではないだろう。



思うに、歌手や俳優のカミングアウトを難しくさせているのは、それらの人々の性的指向を、マスコミがどのように報じるかを怖れてのものだ、という気がするのだが。



たとえば、この記事自体、そもそも見出しからして「ゲイ能界」などという駄洒落が盛り込まれている。

どのような意図でこんなしょーもない駄洒落を盛り込んでいるのかはわからないが、芸能人のカミングアウトというのは当事者にとっては非常に重大な問題なのだから、こうした駄洒落が盛り込まれているのを見てしまうと、「いざカミングアウトしたときに、自分の性的指向を面白おかしく茶化されるんじゃないか?」という危惧を抱いても、それは無理ないだろう。



イギリスのミュージック・シーンにおいては、スティーブン・ゲイトリーやウィル・ヤング、さらにはウエストライフのマーク・フィリーのように、人気絶頂時にカミングアウトするゲイのアーティストが続々と登場しているが、それよりも前の時代は、ジョージ・マイケルやボーイ・ジョージのように、スキャンダルがもとでカミングアウトに到った例を除けば、人気のピークが過ぎてからのカミングアウトが多かった。

それというのは、「今だったら、カミングアウトしてもそれほど騒ぎにはならないだろう」という判断があってのことだったと思うのだ。米良美一が夕刊フジのインタヴューで性的指向についてある程度フランクに語ったのも、同じ理由があったと思う。



結局、芸能人のカミングアウトを阻んでいる最も主だった要因というのは、ファンの反応というよりは、性的指向を公にするという真摯な行為の、大衆からの理解に、バイアスをかけてしまう、マスコミの報道姿勢にあるのではないのか?



自分は、そう思う。



件の記事は、以下のように締めくくられている。

G・マイケルは会見で『それぞれの国の文化の違いによってスピードの違いはあっても、必ず変化する』と強調したが、ゲイ婚が日本で受け入れられる日は来るか…。


もしも、この記事を書いた記者が、本当にそのような日が来るのを本気で望んでいるのなら、「ゲイ能界」などという駄洒落は書かないほうがいいだろう。

米良美一のインタヴューは良い内容だと思っただけに、そこが非常に残念だ。


    *


ちなみに。

先に引用した「音楽関係者」の発言内容を見て思ったんだが。

「PVでいろいろなコスプレに挑戦」

というのがゲイのほのめかしであるとか、

「ギンギラ衣装」

がゲイ好みであるとか、そういったことが理解できている時点で、この「音楽関係者」も、たぶんゲイだ(笑)。



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コメント

観た観た

その「NHKの番組」、わしも偶然観てました。美輪明宏とも槇原敬之とも違う解釈の唄い方がおもしろいなあと思ったけれど、「もののけ姫」以来歌を聴いてなかった人はぶったまげたんだろうか、それとも納得してたんだろうか。なんて気にしながら。

個人的には米良美一もすっかり垢がとれた感じがした。世間一般では垢がついたと見るのかもしれないけど(笑)。CDよりライブで体験したいタイプの歌手だなあと。すっかりチェックしていなかったのでライブスケジュールとか確認してみようかな(^-^)。

ちなみに、記事見出しってデスクが駄目だしするから、記者の意見が黙殺されるときがあるみたいだよ。ゲンダイの内部事情を知らないので、このケースが当てはまるかどうか判らないけど。

レスです。

>へいたろう様

なんて素早い書き込み……(笑)。

あの番組で米良美一の「ヨイトマケの唄」を聴いた人は、きっとみんな、生で聴きたいっ! って感じたと思う。すごかったもん、説得力が。あの説得力は、CDでは再現できないんじゃないかな。

記事の見出しは、たぶんデスクがつけるんだろーなーとは思ってたけど、やっぱりね……。

結局、見出しは「エサ」だからね。

必然的に俗っぽくなっていくし、記者の良心が反映される余地はないのかねえ……。

最近、いろんなブログを見て、いろんな意見を読むようになったんだけど、ソースとして用いている記事の語り方とか、記者の視座をも含めて論じてる人って、意外に少ないんだよね。

マスコミのバイアスの存在を感じなくなってる人が多いみたい。

付けたしレス。

>へいたろう様

思ったんだけど。

あのNHKの番組を、へーちゃんも藤嶋も観てたっていうのは、時間帯を考えても、すごい確率の偶然なんだけど、一方では妙な必然も感じられて、なんだか笑えます。

がはは

偶然と必然、確かに(笑)。

ちなみに、どっかの正月番組で「ゲイ能界を代表する大物」としてレイザーラモンHGが紹介されてたんだけど、それはそれで自分的にタイムリーで苦笑してしまった…。

でも、そのセンスの悪さはなんとかしなよって…老婆心だわな。

レスです。

>へいたろう様

やっぱ思うよねえ? センスの悪さ。
でも、テレビの世界って、結構しょーもない駄洒落がまかり通ってるし、そんなもんなのかな?

>米良美一は、そのどちらでもない。<

私も先日舞台で米良さんのトークをきいてそう感じました。そしてそこのところがとても魅力的で、その人間性に惹かれてファンクラブに入会してしまいました。先日の舞台でも「美しいものが好き。ゲイっていうより」と仰っていました。かっこいいなあと思いました。

>yamさん

コメントをどうもありがとうございます。

私と同じように感じてくださったかたがいらっしゃるのは、すごく嬉しいです。

なんていうか、「自意識を肥大させるのではなく、美意識を磨いている」っていう感じで、そこがかっこいいですよね。

自意識よりも美意識を重んじているからこそ、ゲイ云々という話題に対しても過剰に自己防衛することなく、だからといって全面否定もしないという、自然体の自分でいられるという。

「芸術に奉仕する者」としての理想的なスタンスだと思うんですよね、今の米良さんは。


2006年の書き込みに2007年になってなにかをつけるというのもかなり気が引けますが、私もyamさんと同ようにごく最近、多分yamさんより少し前に米良さんのファンになりまして、FCに入会してしまいました。

米良さんに何があったのか詳しくは存じませんが、多分かなりなダメージを受けることが重なって起こったのだろうとは想像できます。

でも、どのようなことがあったにせよ、米良さんという方からはとても真面目で真剣に「生きる=唄」に取り組んでこられた方
という印象をうけます。

いつでも真摯に、それも最大限に・・・・
そんなにしなくてもいいじゃないと、もしかしたら止めたくなるほどに・・・

ステージでの演奏を聴く前に、FCの集いでご本人にお目にかかってしまいましたが、細やかな心遣いには新米ファンとしてはおもわず恐縮してしまうほど。

「ゲイ」であるとかなにかそのような性的指向が話題になったようですが、
私の友人にはその傾向の方が多く、そしてその友人達は皆素晴らしい才能と、そして細やかな愛情と思いやりを持っています。
「ゲイ」という言葉は私にとってはむしろ「素敵な人」のイメージが強いです。
(私自身はFemaleです)

男も女もないと思います。
あるのはお互いに思いやれる心だと・・・
それと、米良さんの言葉、「美しいものに惹かれる」心。
芸術家だったら当然すぎるほど当然な言葉ではありませんか!

ただ、ちょっと気がかりなのは、米良さんがもっと輝くためにサポートする人材が不足ではないかという思いです。

まだステージも拝見していない新米ファンが言うことではないかもしれませんが、米良さんの側近に、適切なアドバイザーが足りないように思えてなりません。

アドバイザーを兼ねる素敵なパートナーが出現するといいのね。
と、真剣に願ってしまいます。

遅ればせながらのコメント、失礼します。

>hikomaさん

初めまして。コメントをどうもありがとうございます。(^^

>ただ、ちょっと気がかりなのは、
>米良さんがもっと輝くためにサポートする人材が
>不足ではないかという思いです。

あ、コレについては、私も似たようなことを思います。

私はFC会員ではないので、作品やメディア越しにしか米良さんを知らないのですが、現在の米良さんは、「作品が米良さんに従属している」というよりも、「米良さんが作品に奉仕している」という印象なんですよね。それは決して、作品のインパクトに米良さんが喰われているという意味ではなく、良い作品を作るために滅私奉公している、という感じなんです。

「もののけ姫」が大ヒットして、一躍スターになったころの米良さんは、もっとギラギラした印象でした。それこそ「作品が米良さんに従属している」という感じで、米良さんを輝かせるために作品が存在している印象だったんです。

でも、今の米良さんは全く逆で、「芸術に滅私奉公している」、という印象を受けるんですよね。作品の良さを輝かせるためにこそ米良さんの歌がある、という感じで。

アーティストの生き方として、どちらが素晴らしいかといえば、それはもちろん後者なんですが、その一方で、滅私奉公し過ぎると、それこそ本当に、「滅私」してしまうのではないか、という気がするんですよ。

その意味で、米良さんがもっと「地に足を着けたアーティスト」として活動していくための重石が必要なのではないかなー、という気がしています。

良い意味で「世俗の人」になってほしい、というか。

そのための重石は、hikomaさんのおっしゃるような、ブレインの存在であったり、パートナーの存在であったりするかもしれないな、と思いました。

世間の大半の人は、かつてのカウンターテナーから、「ヨイトマケの唄」を歌うようになった米良さんを見て、むしろ世俗的になったように感じているのかもしれませんが、私の目と耳からするとそれは全く逆で、泥くささを歌えるようになったことで、かえって泥が落ちて、軽やかになったような感じなんですよね。(^^



お返事いただき恐縮しております。

FCの集いで、古くからのファンの方のお話によると喉の不調があったとき、かなりファンの方に気を遣われて,そのことをまた、ファンの方が気遣われたということを伺いました。

痛々しいほどに・・・
だったそうです。

そこから「滅私奉公」が始まってしまったのではないでしょうか?


なんとも残念なことには、私はごくごく最近、米良さんの存在を知り情報収集を始めていますが、まだまだ入り口に立っているような状況です。
でも、そんな私でさえ“米良さんには(Fさまが仰るところの)ブレイン不足”をひしひしと感じたと言うことです。

Dのゲキジョーというテレビ番組
非常に「涙路線」が強調された番組で、ただもう「涙・涙・・・」で
参加者全員が泣くことを前提に構成されているような番組でした。

その中で、米良さんは一生懸命ご自分について語っておられました。
そうとうな覚悟があってその番組に参加されたのだという
「決意表明」の“心”に胸を打たれました。

FCの集いではご自身を米良奴ですと紹し、カラオケで松田聖子・美空ひばりを熱唱!
ファンの皆さんへのサービスに全身全霊で努める米良さん、これほどまでに
しなくてもと、痛々しさを覚えました。

でも、もしかしたら米良奴を自称した米良さん、「座持ち」を案外楽しんで
いたのかもとも思います。

私は演歌は好みませんが、米良さんの熱唱された「乱れ髪」はすごかった!
艶で怨の世界に聞く全ての人たちを誘い込まずにいられない情念の世界。

「マリアンナの嘆き」で細やかな女性の心を表現する米良さんのその表現力は
あるいはこの演歌によって培われた要素も、あるいはあるかもしれないと、
今、思いあたります。

5月の白寿ホールでのコンサートで、初めて声楽家としての米良さんに接するので
全てはそれを聞いてから・・・・
かもしれませんが。



>hikomaさん

>私は演歌は好みませんが、米良さんの熱唱された「乱れ髪」はすごかった!
艶で怨の世界に聞く全ての人たちを誘い込まずにいられない情念の世界。

うわー! 米良さんの「乱れ髪」!
すげー聴いてみたいです。
さぞや凄いことになってるんでしょうねー。

私も演歌はそれほど聴かないんですが、曲によってはハマるんですよ。米良さんの「乱れ髪」は、想像するだに、ワタシのツボにハマりそうで怖い。

そうしたパフォーマンスを、あえて通常のアルバムやコンサートで披露してみるというのも、私は大いにありだなーという気がします。

たぶん、そのほうが、「米良さんご自身も楽しみながら仕事している」という感じになりそうに思うんですよね。「滅私奉公」ではなく。

まあ、これはあくまで、私個人はそう感じたということなんですけれども。


5月のコンサート、ぜひ楽しんできてくださいね。きっと素晴らしい体験になるものと思います。
(^^


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