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Queer Music Experience.では、まだバイオグラフィーのテクストを書き上げていないのですが、ケヴィン・アヴィアンスというオープンリー・ゲイのアーティストが、ニューヨークで活躍しています。

彼は、クラブ・シーンで強力な支持を受けているドラァグ・パフォーマーであり、ファッション・デザイナーであり、さらにはダンス・ミュージック・シンガーとしても活躍している、マルチな才人です。1997年にはシングル「Din Da Da」が、2002年には「Alive」が、全米のダンス・チャートでNo.1となっています。




"Din Da Da"
(1997)


そのケヴィン・アヴィアンスが、6月10日、マンハッタンのイースト・ヴィレッジで、アンチ・ゲイの集団に襲撃されました。

以下は、CNN.comに昨日(6月11日)付で掲載された記事の翻訳です。

ビルボードのダンス・チャートのトップに立ったケヴィン・アヴィアンス(38)は、手術を受けた病院から月曜日に退院する、とパブリシストのレン・エヴァンズが発表した。

警察によると、4人がヘイト・クライムの容疑で逮捕された。

アヴィアンスの顎は針金を入れて閉じられている状態だが、月末に行なわれるニューヨークのゲイ・プライド・パレードではパフォーマンスを希望している、とエヴァンズは説明した。先の発表では、アヴィアンスはイヴェントで歌うことは出来ない、とエージェントが語っていた。

エヴァンズによれば、「彼は体力を取り戻そうとしているところなので、パフォーマンスは大丈夫でしょう」とのこと。

アヴィアンスは、2002年に「Alive」がチャートのトップとなった。他には、2004年の「Give It Up」や、1997年にリリースされてビルボードのダンス・チャートでトップに立った「Din Da Da」がある。

エヴァンズによると、6人から7人の集団が、土曜日(6月10日)の早朝に、マンハッタンのイースト・ヴィレッジの角で、アヴィアンスを襲撃した。通行人はいたが、一人が物を投げつけたため、誰も救出には入らなかったということだ。

アヴィアンスはドラァグの扮装でパフォーマンスするが、襲われたときは、エヴァンズによれば「男のような格好をしていた」そうだ。

逮捕された4人は、年齢は16歳から20歳ぐらいだという。


原文はここです。

このニュースの衝撃から、私は未だに立ち直れていません。

が、まずは何より、ケヴィンの命には別状がないことを、喜んでいます。

犯人はやっぱり、体だけは中途半端に大人になった、頭の悪いガキどもでした。



こういうニュースに接するたびに思うのは、どうして嫌悪という感情を理由に暴力を振るうのか、自分には理解できない、ということです。



誤解を恐れずに言うならば、異性愛の人が同性愛のことを「気持ち悪い」と思うのは、仕方のないことだと思っています。

自分は異性に対して恋愛感情を抱いたり性欲を感じたりしたことが、一度もありません。だから、そんな自分にとっては、女性器と男性器が結合しているのを見るのは、正直、気持ちが悪い。

それと同じようなことなんだろうと思っています。

断わっておきますが、私は女性の肉体そのものが汚らわしいと感じているのではありません。

そうではなく、自分にとって女性の肉体というのは、性行為の対象ではないからこそ、女性器がそういう用途に用いられているのを見るのは気持ちが悪い、ということです。

異性愛の人の同性愛嫌悪も、これと同じなんだと思います。

要するに、自分の性的指向から外れた性欲・性行為は、誰だって嫌悪感を抱くという、ただそれだけのことなんです。

だから、倫理的に間違っているとか、自然の法則に反しているとか、そういったことはすべて建前でしかないんですよ。

みんな、自分の本音を覆い隠している。

セックスについて語るのを、恥ずべきことだと思い込んでいる。



このことは、なにも同性愛に限った話ではありません。

たとえば、同性愛者の人でも、それから同性愛には理解のある異性愛者の人であっても、小児性愛を「気持ち悪い」と思う人は、大勢いるでしょ? 小児性愛のことを「異常」だと、当たり前のように考えているでしょ?

でも、そうした感情も、実は同性愛嫌悪と、根底は同じなんです。

自分自身の性的指向にはそぐわない。だから、「気持ちが悪い」。

ただそれだけの理由なんです。

そして、その種の嫌悪感は、かく述べている自分の中にもあるんです。自分は異性愛を「気持ち悪い」と感じているし、小児性愛も、正直、「気持ち悪い」。

そういう自分なので、異性愛の人が同性愛を「気持ち悪い」と感じるのは、これはもう、仕方のないことだと考えています。

ただ、ですね。

その「気持ち悪い」という感情は、「自分自身の性的指向とは異なっている」という、ただ一点から出たものに過ぎないのだから、それが正しいか間違っているかという問題ではないということだけは、自分にははっきりとわかっているんです。

だから、自分は異性愛行為に嫌悪の感情があっても、異性愛が間違った行為だなんて思わないし、それを攻撃しようとも思わない。

それと同じ理由で、小児性愛も、異常だとは思わない。間違った感情だとは思わない。

(ただ、小児性愛の場合は、性欲の対象となる小児たちの側には、セックスの代償を引き受けるだけの肉体的・精神的発育が伴っていない以上、実際に小児と性行為に及ぶことには問題があるとは思っています。しかし、小児に性欲や恋愛感情を抱くこと自体は、あくまでも人間の性的指向の一領域だと私は考えています)

自分にとっては、自分の性的指向とそぐわない性行為の在り方は、「気持ち悪い」と感じこそすれ、否定したり攻撃したりするものではない。

異性愛や小児性愛という行為自体は、自分にはそういった指向性がないからこそ、「気持ちが悪い」とは思うけれど、それを否定したり攻撃したりする必要は微塵もないから、それらの指向性を持つ人を軽蔑したり排除したりする理由にはならないし、別に何とも思わない。「ああ、この人は異性愛者なのね」とか「この人は小児性愛者なのね」と理解して終わりです。あとは普通に接するだけです。

それで充分でしょう? 違いますか?



だから、「自分の性的指向とは異なる」という、ただその一点に基づいただけの嫌悪感を、すぐに他者排除に結びつけ、しかも、その手段に暴力を用いるという、そうした人々の、思考停止ぶりが、自分には本当に信じられない。



嫌悪感を持つこと自体は、別に構わないんです。仕方のないことです。

でも、そこで我々が気をつけなければいけないことは、「その嫌悪感が、いったい何に基づいているのか」を考えることなんです。

自分の抱いている嫌悪感が、「自分が考えている『しかるべき状態』とは違う」という、ただその一点に基づいているのであれば、その人が先ず疑ってみるべきは、それが「普遍的な正しさ」なのかどうか、ということなんです。

何かにつけて「正しいか、それとも間違っているか」の二元論で物事を語りたがる人は、十中八九、「自分だけが絶対的に正しい」という思い込みに囚われている人です。

そんな人たちは、「自分こそが正しいと思う根拠」を、突き詰めて考えてみることです。

自分の判断基準に、疑義を差し挟んでみることです。

そうすれば、いかに自分の考えが、どれだけ根拠のない思い込みの上に成り立っているかが解るはずです。



もっと思考してください。

あなたにとっては当たり前のことであっても、他の人には当たり前ではないかもしれない。

あなたにとっては正しいことであっても、他の人には正しくないかもしれない。

その可能性に、気づいてください。


思考するのをやめたとき、そこから暴力が始まるんです。

それはまさに、「コドモ」のすることです。




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2006.06.12 Top↑
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